↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
どうあがいても悪役令嬢になれません! ~わたくし、完璧な悪事を働いているはずなのに、なぜか聖女と崇められて断罪フラグがへし折られていく件~  作者: 和三盆


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
22/108

第22話「静かな綻び──令嬢、影を読む夜」

評議会の改革案が動き出してから一週間が経った。街角の貼り紙には「名簿回収委員会」からの告知が増え、商人や職人、漁夫たちの間にも小さな期待と警戒が広がっている。セレスティア・ハイラントは日々、書類に目を落とし、被害者の訴えを聞き、委員会での討議に臨んだ。だが忙しさの合間にも、彼女の胸にはいつも薄い陰が残っていた――あの夜の矢、ルシアの血、城に残る「あの匂い」。


ルシアは驚くほど早く回復している。傷はまだ痛むが、顔の色は少し良くなり、午前の陽光に笑顔を返すようになった。セレスティアはそれを見て、胸の奥でほっと息をつく。ルシアは包帯の端を器用に撫でながら、小さな声で言った。「お嬢様、私、もうじき執務室に戻ります。文書を並べるのは得意ですから」セレスティアはすぐにからかうように返す。「では、あなたの仕事は“パンチの効いた書類の並べ方”と名付けましょうか」二人は微笑み合い、短い安らぎの時間がそっと差し込んだ。


しかし、穏やかさは表面的だ。名簿回収は進む一方で、散逸したページの一部は複数の手を渡り歩いている。誰かがそれを持ち出した理由は様々だ――脅しや金、家名の保全。だが彼女が最も気にかけたのは「情報の価値を利用している者の思考回路」だった。真実を捻じ曲げ、民意を操作するには、紙そのものよりも紙を使う人が重要だ。だから彼女は、人の動きを読むことに時間を割いた。


ある夕刻、王宮に新たな来客があった。隣国の駐在使節、ヴァルター商館の代表──いかにも礼節を重んじる中年紳士だ。表向きは交易の再開についてだが、実際には「黒帆の残党掃討後の余波」や「国境付近での不穏な物資の動き」についての打診が目的であった。アレクシスは社交辞令を交えつつも、鋭く質問を重ねる。セレスティアは脇で静かに相手を観察する。目の端に宿る微かな疲労。窓の外を見たときに浮かぶ影の歪み。使節は情報を持ってきたが、その情報の「匂い」が何かを隠しているのを、彼女は嗅ぎ取った。


夜、委員会の会合でその使節の報告が共有され、サミュエルが解析をまとめる。「報告によれば、隣国の商団と連絡を取る中に、第三の業者の名が頻出する。黒帆とも関連があり、港を転々としている。興味深いのは、動きの中に“偽の物資目録”が混ざっている点で、これが名簿の偽造物と同様の技術を用いている可能性が高いということだ」セレスティアは椅子でもたれ、手帳に淡々とメモを取る。隣国の使節は善意とも敵意とも取れる揺らぎを持つ情報を差し出していた。真の価値は、その揺らぎが誰に利益を与えるかを照らすことにある。


その日の夜、セレスティアは独り書斎に残っていた。窓の外には王都の輪郭が静かに広がり、遠くで市井の灯が瞬いている。彼女は拳を握りしめて紙片を眺めた。文字列、印影、擦れた蝋。そこに残る「手の癖」を、彼女は自分の言葉で一つずつ唱えるように繰り返した。すると、ふと背後で窓の方から影が動き、リュシアンがそこに立っていた。


「夜に考えごとをするのは良い趣味だね」彼は軽く笑い、部屋の空気を一瞬変える。だがその目は、いつもの玩具好きな好奇心ではなく、冷たい計算で輝いている。「隣国の話は――慎重に扱うべきだ。外の手は、こっちの人間を籠絡するために“救いの手”を差し伸べてくるからね。見返りはいつも高い」


セレスティアは促すように聞き返す。「あなたは何を望んでここへ?」リュシアンは肩をすくめる。「ただ君の選択がどう転ぶか見たくてね。だが、少し気になることがある。名簿を散らした者たちの“指示系統”は想像よりも柔らかい。外部の声を借りる者もいれば、自分らで小箱を操る者もいる。混沌のなかで誰が本当に主導しているかは、まだ霧の中だ」


二人の会話は表向きの取引ではない。リュシアンは小さな情報の欠片を投げ、彼女はそれを繋いで糸口を作る。時に彼は有益な断片を差し出すが、対価として彼は彼女の「選択」を観察したいと告げる。セレスティアは苛立ちつつも、その動きを利用することをやめない。利用されるくらいなら、こちらからさばいてやる──彼女は心の中で度々そう決めていた。


数日後のこと。ある古い倉庫で、行方不明だった名簿の束が見つかるという報が入った。束は湿気と鼠の齧痕にまみれていたが、ページは揃っており、重要な隠し口座の列記が残っていた。幸いにも、回復可能な部分が多く、法務班はそれを検証するために急ぎ鑑定を進めた。ページの一つに、見慣れない細い筆致で書かれた走り書きがあり、そこに「北塔、第三区画、夜明け前」とある。指定は具体的で、恐らく密会場所の記録だ。


セレスティアはその行を見て、体が小さく震えた。北塔――あの場所は王宮の古い記録室や監視の目が届きにくい場所である。彼女はすぐにサミュエルに極秘の小隊の派遣を要請する。アレクシスは慎重に承認し、夜明け前の張り込みが決まった。これが確証をもたらすチャンスかもしれない。


夜明け前、霧が薄く残る城の周縁で、セレスティアは馬の背に低く座った。同行はサミュエル、二人の親衛、そして彼女自身の小さな随行隊。静けさを切り裂くのは馬の蹄だけだった。北塔に近づくと、影が動き、暗がりで人々の足音が重なっている。見張りの合図で、サミュエルが素早く動き、影の群れを包囲した。


捕らえられたのは、驚くほど多様な連中であった。貴族の下働き、教会の若い使者、商人の旅烙印を持つ男、そして――ひとりの黒衣の女。女は見た目には普通の旅人であったが、その瞳には冷たい意志が宿っていた。取り押さえられた者たちは混乱し、口々に「上からの命」「帳簿は言われた通り運んだだけだ」と繰り返す。動機は金、恐怖、家名。だがその中で最も注目を引いたのは――黒衣の女の持つ小さな笛だった。笛には不思議な細工が施されており、近くの箱から出てきた紙片と形状が一致した。


尋問で女は初めは黙していたが、やがて小さな声で何かを明かす。「私は――指図された者です。音で合図を送るの。名簿の移動は笛の音で行う。誰が笛を吹けと言ったかは知らない。ただ、合図が来れば動く。それだけ」その言葉は場を静かにする。音による伝達は荒野でも城内でも使われ得る。鍵は、誰が合図を出しているのかを追うことだ。


サミュエルが報告をまとめ、彼の顔は硬い。「この女が言う“合図”の出所は城内の一地点からである可能性が高い。笛の音は単純だが、その受け手は多い。内部に“連絡網”が維持されている」セレスティアは歯を噛む。内部の連絡網──それは彼女たちが追ってきた影の根幹だ。誰かが“秩序”を装って秩序を壊している。だが誰のために。


翌日、委員会は新たな判断を下す。北塔で捕らえられた者たちの中で、何人かは取引の記録を吐き、記載の一部に「ヴァルター商館」の貨物記録番号が混じっていた。隣国の使節の報告と繋がる断片が、ここで繋がったのだ。だが一つ奇妙なことが残る。ヴァルター商館は公式には協力的であり、使節は公的に王都との連携を求めている。だからこそ、彼らの名がここに出ることは両国の関係を危うくする。セレスティアは重い選択を迫られる――公開するか、それとも裏で更なる確証を得るか。


その夜、彼女は王太子に呼ばれて密室に赴く。アレクシスは瞳を伏せて、長い息をついた。「隣国の名前を公に出せば、貿易も外交も吹き飛ぶ。だが隠せば我々の正義は傷つく。君はどちらを選ぶ?」セレスティアの答えは静かだったが断固としている。「私は事実を尊重したい。だが同時に、民の安全も守る。まずは証拠の連鎖を確かめ、もし外部の意図が悪辣であれば、我々は外交の場でそれを示す。だが公開は慎重に」アレクシスはうなずき、二人は夜の城を見下ろした。


数日後、法の力と外交の慎重さを兼ね合わせた行動が実を結ぶ。王宮とヴァルター商館の間で密約のような形で事実確認が行われ、商館側からは一つの説明が出される。外部勢力の一部が商団内部で“潜り”を作り、商館自体はその事実を知らなかったというのだ。彼らは協力を約束し、共に潜りの掃討を誓う。公的な場では、王国は隣国に対して直接的な非難は避けつつ、協議を進める姿勢を取る。セレスティアの判断は、短期的な衝突を避けつつ真相を追うというバランスを保った。


だが、物語は静かに別の線を引いていた。北塔で捕らえられた女の笛に残った唾の断片から、特殊な薬草の成分が検出される。薬草はこの国の西域だけで採れるものであり、その流通経路には、ある修道会の名がついていた。宗教と商い、政治が複雑に絡み合った糸は、ますます太くなっていく。


夜明けの薄い光が城を染める頃、セレスティアは一枚の紙を手にした。それは彼女がこれまで求め続けてきたものの一つだった――内部の合図を受け取った者の名簿である。名簿の一番上には、慄然とする名が書かれていた。――「長老院の枢密、ある者の名」。彼女は目を閉じ、ゆっくりと舌を噛みしめた。


「まだ、ここから深く掘る必要がある」彼女は静かに言った。「だが私は恐れない。誰が幕の裏にいようとも、私たちは一つずつ糸を断ち切る」ルシアは彼女の手を取り、その温もりを伝える。「お嬢様、あなたはもう“なりたい悪役”ではない。あなたは私たちの盾だ」セレスティアは小さく笑い、窓の外の静かな光を見た。


リュシアンが再び影のように現れ、低く囁く。「君は良い方向に進んでいる。だが覚えておくがいい。幕を引く者は、時にその幕を失うこともある。だが君の選択が民のためなら――僕はそれを見守ろう」彼は去り際に小さな紙片を落とす。それには短く一言だけ。「北の港、月末」──それだけが、次の扉の鍵だ。


セレスティアは紙片を拾い、胸ポケットにしまった。深呼吸をし、顔を上げる。夜は終わりに近づき、王都はまた始まりの匂いを吐いた。断罪は依然として遠い。しかし彼女は知っていた。断罪とは単に名を呼ぶことではなく、傷ついた町を繋ぎ直すことであり、そのための戦いはまだ続くのだと。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。