第2話「断罪の宴、そして魔王召喚は天気予報のまにまに」
前回の一件から、一晩しか経っていないはずだが、なぜかセレスティアの世界は劇的に変わっていた。貴族達の注目は彼女へと集中し、城下は小さな祭りのように祝杯を挙げている。王太子アレクシスは日に日に表情を柔らげ、ミレイユは露骨にセレスティアに頭を下げている。断罪どころか、肩を抱かれ、花冠を手渡される毎日——これはまさしく悪役令嬢の終焉である。
「くっ……!」
セレスティアは鏡に向かい、自分の描いた“最凶の悪女”の姿を脳内で反芻した。黒いドレス、羽根の仮面、冷たい笑み。それらがまるで、よろめきながら脱ぎ捨てられる気配。彼女は深呼吸して決めた。次の一手はもっと大胆に、もっと分かりやすく、かつ演出豊かに——歴史に残る悪女を演じきるのだ。
まずは婚約披露の宴。政治的にも華やかに、社交辞令として“婚約祝いの舞踏会”が催されることになった。セレスティアはここで「王太子を陥れる決定的な一撃」を放つ計画を練る。婚約指輪の代わりに呪詛の印章を差し込む。舞踏会の最中に王太子に向けて「真の姿」を暴露し、彼を世界から抹消する──演出は完璧だ。
準備は慎重に進められた。魔術師の使う古書からとある一節を抜き取り、劇的演出用の“偽の呪文”を作成する。ドレスは黒、髪は夜露のようにまとめ、道具はすべて調達済み。忠実な(?)侍女ルシアに向かって、セレスティアはにやりと笑った。
「ルシア、今宵は私のために精一杯演技して頂戴。舞台は王宮全体よ」
ルシアは小さく震えた笑みを返す。彼女はセレスティアが“最悪”のプランを胸に抱えていることをおぼろげに理解していたが、その“最悪”が何故か人々を喜ばせる結果になるのを、密かに不思議に思っていた。
当日。玉座の間は絢爛たる光で満ち、金銀の装飾が踊るように反射する。貴族たちの装いが一斉に咲き乱れ、会場の期待は最高潮。セレスティアは黒いベールを翻し、王太子を舞台中央へと引き寄せた。狙いは人前での“決定的告発”だ。
「アレクシス殿下、あなたの心の臓に触れる真実をここで暴露しますわ!」
セレスティアの声は冷たく研ぎ澄まされ、全員の視線が一斉にこちらへ注がれる。会場は一瞬、静寂に包まれた。
だが、その直後、会場の扉が荒々しく開き、城外から慌ただしい使者が乱入した。顔を真っ青にした侍従が息を切らしながら告げる。
「陛下! 南方の穀倉地帯が疫病に侵され、収穫が壊滅的です! ただし、唯一の希望と言えるのが……ハイラント領で独自に開発された『治癒米』が効を奏していると!」
会場は瞬時にざわめいた。治癒米——それは数日前にセレスティアが、悪女の気取りで領内の貧民へ撒いた“実験的な強化飼料”の別名だった。彼女の「領民を苦しめて断罪を誘う」というおおまかな計画が、なぜか収穫危機を救う鍵になっていたのだ。
王太子の顔から怒りの色が消え、代わりに深い安堵と感謝が広がる。「セレスティア殿、あなたが……あなたが導いたのか!」とアレクシスは叫び、拍手が巻き起こった。セレスティアは内心で震えながらも、咄嗟に作り笑いを浮かべた。
(これじゃまるで、私が救世主みたいじゃないの……! 最悪のタイミングで救世主になってしまうとは。天罰でも下りるがいい!)
舞踏会はそのまま“感謝の宴”へと変わり、セレスティアは舞踏会場の真ん中で舞う羽目になった。彼女が黒のドレスで舞う様は「謙虚な黒衣の聖女」と称され、来客の視線は温かさを帯びる。セレスティアの心はごうごうと燃える怒りと苛立ちでいっぱい――だが、彼女はその感情を伏せ、さらなる大作戦へと舵を切ることにした。
次の計画は「魔王召喚」である。今回ばかりは間違いなく世界を混乱に陥れ、断罪への流れを作る——そう信じて疑わなかった。だが召喚とは単なる派手な儀式ではない。古文書を読み解く必要がある。ひそかに城の書庫へ通い、古い魔導書を借り出したセレスティアは、満月の夜に王宮の庭で密かに儀式を敢行することにした。
月は薄雲をまとい、風はさざ波のように吹いている。彼女は黒い円陣を描き、古文書の呪文を低く唱えた。炎の香が立ち上り、地面がかすかに震え、儀式は順調に進んでいるように見えた。
「来い、魔王よ! 我が命ずる、世界を喰らえ!」
セレスティアは最後の言葉を吐き、儀式の核心へと踏み込む。
――だが、闇の裂け目から現れたのは、予想外にも巨大な影ではなく、淡い光を放つ“雲”だった。そしてその雲が、城の上空で渦を巻き始めると、空は一瞬にして暗転。次の瞬間、ぽつぽつと雨粒が落ち始めた。
「うわっ、雨!?」
セレスティアは咄嗟に顔を上げた。雨はすぐに土を濡らし、屋根を叩き、やがて土埃を洗い流した。数日続いた干ばつを知らぬ間にやわらげるような、優しい恵みの雨である。
翌朝、城下は歓喜に満ちていた。田畑の土は潤い、収穫への希望が戻ったのだ。人々は口々に「セレスティア様のおかげで雨が降った!」と歌い上げ、彼女を称える横断幕まで作り始めた。
「そうか……我が魔王召喚は、天気を司る女神を呼び出してしまったのか」
セレスティアは手を胸に当て、絶望と呆然を混ぜたため息をついた。自分が招いたのは破滅ではなく恩寵。これでまた「聖女」の称号が追加されるだろう。王太子は更に彼女を頼るようになり、貴族たちは更に信頼を寄せる。セレスティアの予定はまたしても台無しにされた。
しかし、その夜、彼女の小間使いルシアが静かに近づいてきて囁いた。「お嬢様――皆があなたに期待しているのは、あなたが本当は優しいからだと思います。お嬢様が意図していなくても、そう見えるのです。……それが人を救っているんです」
セレスティアはルシアの瞳を見返し、自嘲の笑みを浮かべた。「優しい? その言葉、どう受け取ればいいのかしら。私が優しいからって、世界が私を讃えるのならば——それはそれで厄介ね」
ルシアは小さく頭を下げた。「でも、お嬢様。人は結果を見ます。行為の意図ではなく、その結果で人を判断します。どうか、それを心に留めてくださいませ」
その言葉を聞いて、セレスティアはふと考えた。もし自らの“悪行”が誰かを救う結果に結びつくのなら、そしてそれが人々を幸せにするのなら——それは果たして本当に悪なのか。彼女の胸の内で、理想と現実が静かにぶつかる。
(だが、私が望んでいた“断罪”はどこにあるの? なぜ誰も私を罰しない?)
答えは出ない。だが、ひとつだけ確かなことがある。彼女の行動はこの国の運命を、そして自身の立ち位置を確実に揺るがしている。
そして遠く王宮の陰で、黒いマントの男がそれを見つめていた。薄笑いを浮かべ、彼は手に古びた巻物を握りしめる。
「面白い——この“聖女”を利用する価値がありそうだ」
男は低く呟き、暗闇に溶けるように消えた。彼の影は、これから起きることの序章にすぎない。
セレスティアはまだ知らない。断罪の鐘が鳴るよりも早く、彼女に新たな“役割”と、より厄介な敵が訪れようとしていることを。




