表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/23

12

ドラマーが息を吸い込んだ。息を吐きながら腕がしなる。ピアノ、ベース。一気に音が出る。


アップテンポ。抽象的な曲だ。オリジナルか、比較的新しい曲だろう。ドラムの手数が多い。シンバルとスネアが意外なタイミングで繰り出される。ベースのテンポは一定でドラムと噛み合っている。リズムセクションに支えられたピアノは少しレイドバック気味で、全体のリズムが奇妙にうねっている。ミュートを効かせたトランペットの長い音が暗いホールを切り裂いて、細かく早いパッセージが続く。


最初の方は頑張ってベースラインを聞き取っていたが、すぐに諦めた。5度や3度を絡められるとコード進行は全く分からない。ピアノのバッキングはテンション(※)の多い抽象的なコードを叩みかける。カッコいいが、何をやっているかほとんど分からない。


テーマからそのままトランペットのアドリブに入った。無闇に音で埋めず、余白で聞かせる。事前に組み立てたメロディを繰り出すのではなく、考えながら吹いていることがわかる。緊張感がある。突き刺さるようなアドリブ・ライン。マイルズ・デイヴィススタイルだ。


大量の音に身を任せる。ピアノアドリブ。半音階スケールの多用。実践的アプローチだ。ちゃんとメロディラインを構築するには手腕がいる。見事な演奏だ。エネルギッシュなドラムは若さからか。20歳そこそこだろう。ベースはアラサー?ピアノは40半ば。トランペットが30歳オーバー。ベースソロが終わり、トランペットがソロを取る。めちゃくちゃになってきた。スケールに従うことなく吹きまくっている。アドリブ純度が高くて羨ましい。ピアノだとこうはいかない。ドラムソロに流れ込む。心地いいリズムだ。


一曲目の途中から客がちらほら入ってきた。演奏を聞きながら視野に入った客をさりげなく観察する。60代のカップル。6、70代の男の二人連れ。それから20代で派手めの格好をした女性二人。演奏者の知り合いだろう。30代の地味な女性一人客。いかにもジャズを一人で聞きに来そうな理知的な雰囲気だ。チャージを払ってドリンクを受け取り、それぞれテーブルにつく。カウンターは僕だけだ。


もしここが1960年代のニューヨークだったら?ビバップとクールジャズのカオスに、突如抽象的なこの演奏が発生したとしたら、ジャズ史に残る名演奏、あるいは少なくともその分岐点になったことだろう。当時のミュージシャンに少なからず影響を与え、その演奏のいくつかは名盤として必聴とされたことだろう。


しかし今、東京では彼らの演奏がマス市場に受け入れられることも、SNSでバズることもない。テクニックは申し分ない。音楽性もいい。インテリジェントでクールだ。なぜだろう?と僕は考える。YoutubeやSNSでバズる曲。ヒットを狙った曲。コード進行にもメロディラインにも新鮮味はない。ノリのいいリズムと1456のコードにペンタトニックスケール(※)。まあ、今さら新しいコード進行やメロディが出てくるわけはないのだが。ヒットしない曲とヒットする曲を比べても、大きな違いがあるわけじゃない。歌詞や映像、周辺のナラティブ、漠然としたイメージが結びついて楽曲が何か化学変化を起こしているだけだ。


音楽が売れるためには、プレイヤーの偶像性(キャラが立っていることはもちろん、美形であれば申し分ない)、周辺のイメージ、ナラティブ。そして金をかけたプロモーションが必要なのだろう。どれだけ良い音楽でも(そもそも良い音楽ってなんだ?)単品で市場に放り出しても売れない、ということだ。JPOPアーティストのフォロワーの数は、キース・ジャレットのそれよりよほど多いのだ。演奏を聞きながらそんなことを考えていると、誰かが僕の肩を叩いた。振り向くと山﨑さんが立っていた。


3曲目は超速い"Milestones"。テクニックに関心する。ピアノがよく追いつくものだ。


「来てくれたんだ。ありがとう」

彼が演奏をかいくぐって話た。僕はスツールの上で少々姿勢を正し、軽く会釈をした。

「ピアノやってくれる気になった?」

忘れたわけじゃなかったようだ。

「いえ、今日は客として来ただけです」

と僕も声を出す。彼は頷いて僕の肩を2度軽く叩き、バーカウンターの奥の扉を開け、中に入っていった。カウンターの女の子がスマホ越しにもの問いたげに僕を見た。


休憩時間。バンドのメンバーがてんでに飲み物を取りにきた。ピアノ弾きと何気なく目が合う。僕が会釈をすると軽い会釈が返ってすぐに目をそらした。ソフトドリンクやビールを注文し、カウンターの子と会話したり冗談か何かを言ったりして、ステージ脇に戻った。他の観客もつまみや追加のドリンクを注文したり、席で会話をしたり、スマホをいじったりしている。

「オーナーと知り合い?」と彼女が僕に言った。

「そうだね」

「どんな?」

「僕もピアノを弾いてるんだけどね。山﨑さんがやってるバンドに入らないかって」

「へぇ。ってことはプロなの?」

「や。プロじゃない。あなたと同じ。趣味だよ」

ふーん、と少し間があく。

「どこで弾いてたの?」

「"C7"ってジャズバー」

「すごいじゃない」

「まあ下手なんだけどね」

「でも人前で弾いてるんでしょ。すごいじゃない」

僕は言葉を濁す。

彼女がスマホをしばらくいじって、画面を僕に見せた。

「水曜がピアノ・ソロになってて『ギノ』ってあるけど、ひょっとしてこれが君?」

「まいったね。仕事が速い」

「今度行くからよろしくね」

僕は頷く。この手の社交辞令をためらいなく言ってしまう女性は多い。仮に本当に来てくれたとしてもやることは変わらない。

休憩が終わり"Tell Me a Bedtime Story" が始まった。 ボサノヴァっぽい静かなドラム。さざ波のようなシンコペーションとコード進行。目を閉じて心地よいサウンドに身を任せる。

22時。ライブが終わったタイミングで僕も席を立つ。

「良かった。かっこいい。さすがプロだね」

「カワサキさんはスゴいわよ」と彼女がいう。カワサキさん・・・。トランペット、リーダーだったかな。僕はやはりピアノが気になった。タッチの安定感には舌を巻く。他にも・・・。と思いながら、特に話は広げないまま「そうそう」と頷いた。

「じゃあ、また」

「また来て下さいね」

エレベータの前に立ってボタンを押した。扉が開く前にちらっとカウンターを見ると、彼女が皿を洗いながらこちらを向いて微笑んだ。僕も慣れない微笑みを作り、古い匂いのするエレベータに乗り込んだ。



※ テンション:緊張感を与える音。CM^7(ドミソシ)ならレ(9)や#ファ(#11)、ラ(13)など。


※ 1456:CメジャーならC、F、G、Amをメインとしたコード進行。ポップスの王道。

  ペンタトニックスケール:メジャースケールから4度と7度を抜いたもの。Cメジャーならドレミソラ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ