6話 魔獣との遭遇
ノジーと離れたロインたち3人は、思わぬ敵と遭遇していた。
ダンジョンの最深部とも言える地下神殿を思わせる遺跡に住み着いていたのは、
キマイラに属する魔獣、マンティコアだった。
象のように大きく、ライオンのような強靭な獣の身体を持ち、その頭は
猿じみた醜悪な顔がついている。大蛇のように太く長い尾の先には毒針が見えており、
鎌首をもたげるようにうごめいている。
依頼で討伐対象とされたモンスター以外のものも相手にすることはあるが、
ゴブリンのついでにしてはあまりに恐ろしい魔獣であった。
マンティコア一体いれば、特に備えのない村などはなすすべもなく滅ぼされてしまうだろう。
指揮され訓練された軍隊をもって対応するべき相手なのだ。
「おやおや、ほおほお。今日ははいい餌がかかったものだ。理想的だな。」
なんとも邪悪な笑みを浮かべ、マンティコアは喋った。
マンティコアは人語を解する。そして、ゴブリン以上に狡猾で知恵が働くのだ。
マンティコアは特に人肉を好む種族だが、餌を求め村など襲えば、
すぐに人間どもが群れを率いて討伐に来ることは理解していた。
理想的なのは、なんとか人間たちの目に止まらず、好物である子供や若い娘を手に入れることだ。
大抵のマンティコアは、街道や村はずれといったところを狙う。
しかし、どうしても人間が居なくなると騒ぎになるのだ。
捜索隊が組織されたり、人間が群れで動くようになると、いつかは存在がばれてしまう。
その場は逃げられても、軍か英雄の手によって執拗に追い回され、討伐されるのが
大抵の仲間の末路であった。
そこで、このマンティコアはダンジョンの奥に住み着くことを選んだのだ。
ダンジョンに魔力を与え、余計に発生したゴブリンを外に追い立て、村を襲わせる。
すると、討伐のため人間は冒険者を派遣するのだ。
この国では若い女性の冒険者も珍しいことではない。もし来たのが美味そうな相手でなかったり、
面倒そうな相手だったら、入り組んで隠れるところの多いダンジョンで身を潜めるだけだ。
もし冒険者が帰ってこなくても、それはダンジョンで魔物や罠にやられただけのこと。
日常的なことであって、めったに騒ぎではならないのだ。
やや効率は悪いが、マンティコアにとって比較的安全にご馳走を得られるいい方法だった。
まず攻略済みの低難易度ダンジョンのゴブリン退治に、英雄クラスのものが派遣されることなど無いのだ。
何度か繰り返して人間どもが不審に思った頃にはダンジョンを変えればいい。その頃にはゴブリンも尽きる。
さて、今度のダンジョンに住み着いて、早速冒険者が来たことは察知していたが、
今回の侵入者はマンティコアにとって大当たりであった。
美味そうな若いメス2匹を含む3匹。素晴らしい。大成功だ。
そして今、逃げにくい広場の中までうまく誘い込むことに成功したのだ。
「ロイン、こいつ……。」
「ああ、目をそらすんじゃないぞ。マンティコアだ。」
「あ、は、魔獣ですよね。話には聞いたことあります……。」
「シェリー。」
ロインは視線を送る。
シェリーは青ざめた顔で、首を左右に振る。
フラヴィも明らかに怯えていた。
「なんでこんなとこに、なんで……」
とつぶやいている。顔に絶望がよぎっていた。
二人も、とても敵う相手ではないと理解しているようだ。
「どうやら言葉は通じるようだな。俺は、ゴブリンを退治しにしただけだ。
あんたと戦う気は無いのだが。ここは、お互い怪我を避けて、解散といかないか?」
ロインは気さくな態度を表現しながらマンティコアに話しかける。
剣は構えたままだ。
「馬鹿な。ここでお前らを逃がしても、次は大群を連れてくるはずだろう。
ワシはこの住処を割と気に行ってなあ?」
そう言うと、ロインの後ろに備えたフラヴィ、シェリーをニタリとした目でねめつける。
「そうだな、ワシの好物については知っているだろう?
いい餌を連れているじゃないか。そこのメス二人を置いていくっていうなら、お前だけは
帰ることを許してやろうかなあ?ヘッヘッヘ……。」
二人の服の下の肉付きでも考えているのだろうか。開いた口から
尖った恐ろしい牙が覗き、伸びた赤黒い舌からよだれがしたたりおちた。
フラヴィもシェリーも、魔獣の食欲が自分に向けられていることに、
嫌悪と緊張が入り混じった顔をする。
「そうかそうか。どうしようかなあ。迷ってしまうなあ。少し考えさせてくれよ。」
3人はパーティでの冒険はそこそこの経験があったが、ここまでの相手に
遭遇するのは初めてであった。
今まであった最大の敵でも、キラーベアの若く個体をなんとか倒したレベルだった。
とても、敵う相手ではない。
このダンジョンの中で、逃がしてくれる相手でもない。
もし負けたらどのような恐ろしい結果が待ち受けているのか。
3人は、脳裏にちらつく絶望を勇気と闘志で振り払おうとしていた。
ロインは自分を落ち着かせるように、ゆっくりと深呼吸をした。
フラヴィとシェリーはマンティコアから目を離さず、覚悟を決め、
ロインが時間稼ぎしている間に小さな声で長い詠唱を完成させようとしていた。
「やっぱやめだ!あんた、絶対帰してくれそうにないしな!」
ロインがまっすぐに駆け出す。
後衛二人の魔法の完成を察してのものだ。
ロインは長剣を自分の前に斜めに倒し構え間合いを詰めた。
対魔獣用の防御に向いた、カウンター狙いの構えである。
近寄るロインに、マンティコアが大獅子の前足で攻撃を繰り出す。
毛に覆われた前足から、大きな鏃を思わせる恐ろしいツメがいくつも飛び出ていた。
ほんの軽く撫でられただけで、人間などずたずたに引き裂くものだ。
ロインは恐れながらも、怯まず剣を合わせた。
長剣に衝撃が伝わる。マンティコアにとってはジャブ程度の攻撃でも、人間にとっては恐ろしい重さだ。
かろうじてロインの剣技は、マンティコアの前足を受け流していた。
だが、マンティコアの武器はツメや牙だけではない。
尾についた毒針が、間髪入れずにロインに襲いかかっていた。
金属が弾ける音がする。
ロインは手甲でマンティコアの毒針を弾き返していた。
ロインこだわりの、希少金属を使ったこだわりの手甲であった。
「ほほお」
毒針の一撃を防いだことに、マンティコアは面白い、という笑みを浮かべる。
不意にロインはマンティコアと間合いを取った。
フラヴィの魔法に巻き込まれないためだ。来るなら今だ。
パーティを組んで戦ってきたものもの同士の、無言の連携だった。
「焦げてしまえ!」
フラヴィの杖から雷光が走る。長い集中と詠唱を経て生み出された、特大の電撃魔法だった。
マンティコアがバアンと大きな音と閃光に包まれたかと思うと、
全身から煙が吹き上がった。
「あ、が……」
それは威力もさることながら、強力な雷撃で敵の動きを止める効果もある魔法だった。
さすがのマンティコアも、雷に打たれたように口から煙を吹き出しよろめく。
「今です!」
フラヴィの魔法の間合いを読み、ギリギリで巻き込まれない間合いを取ったロインは、
シェリーが合図を声かける時にはすでに次の必殺の一撃を繰り出していた。
大きく踏み出し、全身の筋肉を全力で稼働した大振りな突きの一撃。
それに、シェリーが風の魔法で、剣に一瞬の加速と威力上昇を乗せたのだ。
マンティコアの厚く硬い脇腹に、ロインの長剣が深く突き刺さった。
「グアアアァァァァッ!!!!」
マンティコアが苦しそうな叫び声をあげる。
まだだ。まだ完全に動きを止めるには至らない。
ロインは、長剣を引き抜くと、次の一撃を前足の腱に狙いを定め、上段から振り下ろす……。
そのとき、マンティコアがニヤリと笑った。
振り下ろされるロインの剣の横腹を、マンティコアが裏手ではたく。
鈍い音をたてて、ロインの長剣は中頃からへし折れると、
手から離れ地面を転がっていた。
「な……!?」
その瞬間、ロインは世界がスローモーションになったように感じた。
殺気。次の一撃、尾の毒針がこちらを向いているのがわかる。
手甲で防げたものだ。今回も……。
だが、突いてくると思われたマンティコアの毒針は、ロインの首筋めがけ、
恐ろしい速度で射出されたのだった。
ロインの鎧の隙間、首の根元からマンティコアの毒針が吸い込まれる。
棒手裏剣を思わせる大きさの毒針が根本まで刺さったのだ。
ロインは焼けるような痛みを感じた。叫び声すらあげられなかった
「ロイン!」
ひと目見てわかるロインの大ダメージに、シェリーが悲痛な叫びをあげる。
だがマンティコアは次の一撃をすでに用意していた。
毒針は一本だけではないのだ。尾が鎌首をもたげ、筋肉に力を貯めると、毒針をシェリーに向け発射した。
シェリーは思わず飛び道具よけの防壁を張っていた。
跳んでくる毒針は大きい。弾こうと魔力をより込める……。が、
無常にも毒針は防壁を貫通し、シェリーの肩に突き刺さった。
「あああああああっっ!!!」
「もう一度…喰らいなさい!」
シェリーに毒針が突き刺さったそれと同時、フラヴィはすでに次の攻撃魔法を完成させていた。
こうなっては、後先考えずに全力を出すしか無い。
杖にチャージしていた非常用の魔力も稼働させた。
あいつを倒して、一刻も早くロインとシェリーの解毒を行わなくては。
全力で雷の魔法を放つ。目を開けてられない閃光と、眼の前で雷が落ちたような轟音がフロアに響き渡る。
発生した熱が顔を熱くする。先程のものより強力な光と熱がマンティコアを襲った。
「さっきのダメージと合わせ、これなら……!」
と思った瞬間だった。一歩足を動かそうとしたところで、
動かず後ろに転んだのだ。どうしたことかと見ると、腿に毒針が突き刺さり血が流れていた。
いつの間に刺さったのだろう。痛みがない。その毒は麻痺の効果があるようだった。
「なるほど、さっきよりよりいい一撃だったぞ。人間の小娘にしては
上出来な魔法だ。多少は痛みを感じた。ここまでやれるのは珍しいぞ?褒めてやろう。」
「なっ!?」
全身から煙をあげたまま、マンティコアがニタリと笑った。
水を浴びた犬のように全身を軽く振ると、煙も搔き消える。
先ほどのロインが追わせた傷も、煙とともに消えていった。再生したのだ。
「どうだね、うまくいってると思えたかね?せっかく来てくれたのだ。
お遊びには付き合ってやらんといかんでな。」
ほぼ無傷。魔法もロインの一撃も、ダメージを与えていると思っているのは錯覚、
いやマンティコアの演技だったというのか。
「魔法も褒めたところで、次は肉の味も評価してやろうか。」
このままされるがままになるものか。
フラヴィは杖を構えようしたが、手に力が入らず落としてしまった。
とっさに杖を使わず指に魔力を集中させ、詠唱する。即応の小威力の火球魔法だった。
だが、魔法は発動しない。
「フラヴィ!魔法が!魔法が使えないの!!」
ロインの元に這いずり、解毒と回復の魔法を試したであろうシェリー。
だが、その魔法は発動しない。
ロインは意識を失い、顔色が悪くなっているのがわかる。息も細くなっているようだ。
「残念だなあ。この毒はゆっくり獲物を味わうためのものだ。
もちろん、身体だけでなく、魔力をも麻痺させるのだ。」
「ああ、そう、その男に対しては別の毒を使ってある。
単純な猛毒だ。もうそろそろ死ぬだろう。」
フラヴィはケープの内側に隠してあったナイフを取り出す。
「猛毒は使うと肉の味がひどく落ちて食べられなくなるのでな。
まあ男の方はゴブリンやスライムの餌にしておけばいいが。」
鞘を封じた簡単な留め具が外れない。
刃先に毒を塗ったので、うっかり取れないように厳重にしたのだ。
「この麻痺の毒は便利だぞ?獲物の意識があるままに、
生きたままゆっくりと味わえるんだ。」
やっとのことで鞘を外した。
狙いはマンティコアではない。自分の首筋であった。
しかし持とうと思った手に感覚が無い。取り落としてしまう。
「さあ、お前ら二人、どっちから先に頂くとするかなあ?
ダンジョンの奥までせっかくこれだけのご馳走を届けてくれたのだ。
なるべく死なないように、ゆっくりと柔らかいところから頂くとしよう。」
もう一度拾おうとしたナイフを、マンティコアの前足が弾き飛ばした。
自害すら許されなかった。ナイフは見えないところまで転がっていった。
ニタアと笑うマンティコアの顔が直ぐ目の前にあった。
「あ……。」
フラヴィは恐怖で言葉を失った。
股間を熱いものが流れる。失禁したようだ。
もう、できることはなにもない。
本当の絶望が、今始まるのだ。