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必読! その後の「カンダタ」 

作者: 畔道一歩

 お釈迦様は深く悩んでおられた。カンダタ(犍陀多)に極楽へ転入できるようチャンスを与えたことを。それも一度だけ蜘蛛を助けたという善行に甘んじて。裏切られたような、自分の判断が誤っていたような。しかし誰が切ったのか、なぜ切られたのかは定かではないが、あのとき蜘蛛の糸が切れていなければ……この極楽は……。

 このモヤモヤ感を払拭しようとスマートホンを手にされた。息抜きにユーチューブを使い大好きな桂文枝の創作落語の動画を視聴するためではありません。対話型AI(人工知能)「Heaven GPT(ヘブンGPT)」にヒントをもらうためです。このモヤモヤした気持を打ち込まれた。画面には瞬時に回答が表示された。回答件数は選択の余地なく、1件のみだった。


<誰かが切ったのではなく、それはカンダタの悪い心が切ったのです。なぜ切られたのか。それは改心したいという善き心の欠片(かけら)が微かに残っていたからです。チャンスを与えたことは間違いではありません。リターンマッチのできる社会は健全です。>


 お釈迦様の目は「善き心の欠片」に吸い付いたままでした。しかし、しょせんは器械が出したヒントゆえ、お釈迦様はすべてを受け入れることなく、ご自分でお考えになることを決意したのでございます。


 さて、ふたたび地獄へ落とされたカンダタはしくじった理由、その他の状況を冷静に回想し考えていた。摩訶不思議なのはやはり蜘蛛の糸であった。なぜ、俺だけが蜘蛛の糸を見つけることができたのか。お釈迦様はこの暗闇の中からどうして俺を見つけることができたのか。くる日もくる日も考えた。そして、突然、ある光景がフラッシュバックしてきた。それは、悪事を働き終えて深い林の中を帰る途中、(みち)ばたを這っていく小さな蜘蛛を見つけたときだった。いつものように、さっと足を挙げて、踏み殺そうしたが、

「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命を無暗(むやみ)にとると云う事は、いくら何でも可哀そうだ。」

 と、思い直して、その蜘蛛を殺さずに助けてやったことがあった。

 これで蜘蛛の糸と自分とが結びついた。お釈迦様は後にも先にもない俺の唯一の善行を知っていたのだ。見ていてくれたのだ。お慈悲をかけてくれたのだ。

また、くる日もくる日も考えた。あるとき、極楽に関わるある噂を耳にした。人口が超過密で治安や食糧・住宅事情が極めて悪化していることを。また、考えた。あのとき糸が切れないで、自分を含め地獄の亡者どもが全員、極楽へ不法侵入していたならば、極楽はどうなっていたことやら。

 またまた考えた。すると享楽的なニューロンからなる脳ミソは自己肯定する方へと働いた。誰が切ったのか、なぜ切れたのかは知らないが、糸が切れた結果として、俺は極楽の平穏無事な秩序を維持するために善いことをしたのだ。俺の身体の中にも善人の欠片がまだ残っている。慈悲深いお釈迦様はこの善人の欠片に気づかれ、お認めになり、きっとまた糸を垂らしてくださることだろう。

「次がラストチャンスだ。へっへっへっ」

 カンダタは口元に不敵な笑みを作り、今日も血の池で浮いては沈み、沈んでは浮かび真っ暗闇をじっと見上げているのでした。


 あの日から幾らかの時間が過ぎました。極楽は、いつものように穏やかで暖かい昼下がりでした。がその陽気とは裏腹に、お釈迦様は机上に積み上げられた住民基本台帳と財政収支簿をにがにがしく眺めておりました。カンダタが耳にした噂は事実であった。極楽への入国者が増えすぎて、食糧問題や住宅問題が発生し始めたからでございます。財政も逼迫しておりました。

 これらの難題を考えることに疲労(ひろう)困憊(こんぱい)した目をふと蓮の花にやると、1匹の蜘蛛が留まっておりました。お釈迦様はその蜘蛛をじっと見つめていると、不意にカンダタのことが脳裏をよぎりました。あのとき、誰が切ったのか、なぜ切られたのかは知らないが、という問いへの「ヘブンGPT」の回答─『カンダタの悪い心が切った』、『善き心の欠片』─を思い出しつつ、こう思案するのでした。

「糸が切れないで地獄の亡者たちがこの極楽へ不法侵入してきていたならば現状はもっと悪化していたことだろう」と。

 こう考えを巡らせるやいなやお釈迦様はピーンと閃きになりました。カンダタは─その真意とは別に、彼の悪心が善果をもたらした(『悪業を転じて善業と成す』)─極楽にとって善いことをしてくれたのだ。お釈迦様は満面に慈悲深い笑みを浮かべられ、こう呟くのでした。

「もう一度、カンダタだけにチャンスを与えてやろう。与えてみよう。今さら1人増えても、どうってことはない。ヘブンGPTも『リターンマッチのできる社会は健全だ』と回答していた。いざとなれば素行の善くない者を地獄へ転出させることだってできる」

 さっそく、お釈迦様は話し合いをする機会を持とうと、閻魔大王にLINEメールを送りました。暇な業務に時間を持て余しているのか、まるで待ち焦がれていたかのようにすぐに返信が届きました。

「オッケーです」

 話し合いは極楽と地獄の境界線に隣接するミーティングルームで行われました。

 お釈迦様が先に口を開きました。

「死ねば、善人も悪人もみんな平等ということで、極楽へ入国してくる者が増えて、食糧・住宅事情は悪化し、さらに財政をも圧迫しています。デフォルト寸前です。がしかし、これこれしかじかで、もう一度だけ、カンダタにだけ極楽へ転入できるチャンスを与えてみたいのですが」

 唐突な交渉事項に面くらい閻魔大王は腕組みをし、「う~ん」と唸り、「相変わらず慈悲深いことですなあ」と咎めるように言うと、スマートホンを手にし、対話型AI「Hell GPT(ヘルGPT)」を開いた。60年代後期に流行ったコミックソング─『帰って来たヨッパライ』─をユーチューブで視聴していただくためではない。答えに困り、どうしたものか、とヒントを得ようと交渉事項を打ち込むためでした。瞬時に回答が出た。ただの1件。熟読し、5秒ほど黙考した後、口を開いた。

「幸い地獄は過疎状態です。限界集落すらあります。入獄してくる者は極悪非道な者のみ。極楽で素行の悪い者を強制的に転入させたとしても資金も食糧も住宅も十分に余裕があります。さて、カンダタのことですが、私が見る限り2度目の地獄落ちした後はずいぶんと大人しくしているようです。矯正授業は無遅刻無欠席、皆勤賞ものです。授業のない日は、日がな一日、天空ばかり眺めています。前回のしくじりを悔いているのか、あるいは次なるリターンマッチを狙っているのでしょうか」

 極楽への転入の話題に進まないので、お釈迦様は丁寧に懇願するようお訊ききになりました。

「で、カンダタの極楽への転入については、いかがお考えでしょうか」

「まあ、そう慌てないでくさい。この動画を見てください」

 閻魔大王はスマートホンで録画した動画アプリを起動させ、お釈迦様にかざした。そこには矯正授業の中で口述試験を受けるカンダタの姿が映っていた。


<教誨師;脚をケガした犬がびっこを引きながら歩いています。それを見て、あなたはどうしますか。

亡者A;犬のことなんて放っておけ。早く、くたばるよう蹴飛ばしてやれ。それより金持ちの家を物色し 

 ろ。

亡者B;捕まえて、皮を剥がして喰えば美味いぞ。タンパク質が補給できる。

亡者C;そう、喰えば美味い。ホルモンとして売ってもいい。

      ・

      ・

      ・

カンダタ;抱きかかえ、動物病院へ連れていき、治療を受けさせます。怪我が原因で命を落とすかもしれ

 ませんから>


<教誨師;腰の曲がったご老人が重たいゴミ袋を引きずりながらゴミ収集場へ運んでいます。この場面に遭遇したとき、あなたはどうしますか。

亡者H;年寄りの運動にもなるので、見過ごさず、引きずる袋を踏んづけてやる。

亡者I;道路の真ん中に放置するよう耳打ちする。その際、独居か同居人がいるかを確認する。できれば

 電話番号も。

亡者J;受け取って隣家の玄関先にそっと置き、逃げる。そうすれば、隣の住人が収集場へ運ぶ。これが

 一番楽チンだ。

      ・

      ・

      ・

カンダタ;ゴミ袋を受け取り、収集場へ運んであげる。その後、老人の手を引いて家までゆっくり誘導し

 てあげる>


<教誨師;歩道で拾った紙袋に100万円の札束が入っていました。あなたはどうしますか。

亡者L;まず、本物かどうか調べるために家へ持ち帰る。本物なら家賃・食費として使う。

亡者M;懐へ仕舞い込んで、足早に現場から離れる。これは鉄則だ。

亡者N;すぐにパチンコ屋に入ってゲームを楽しむ。それから普段なら入れない高級レストランでたらふく食べる。残りは風俗でパーと使い切る。

      ・

      ・

      ・

カンダタ;すぐに近くの交番へ届けます。落とされた方はきっと困っているでしょうから>


<教誨師;自分が犯した罪をどう理解していますか。

亡者P;受け子がヘマをしなければ、オレオレ詐欺はうまくいったものを。クソ!

亡者Q;周りがみんな敵に見えたんだ。通り魔殺人を犯したが、俺のせいじゃない。

亡者R;女房が俺に隠れて浮気をしたから、裏切ったから、殺害したまでのこと。俺に責任はない。

      ・

      ・

      ・

カンダタ;もう少し、常識を学び身に付ける努力をしていれば良かった。窃盗、殺人、放火、あらゆる罪

 を犯し、後悔している。いくら謝っても謝り足りない。こうして罰を受けるのも謝罪の一つ。深く反省 

 している。>


 もうよかろうと閻魔大王はスマートホンを手元に引き寄せ動画アプリを終了させてから言った。

「悪事を働くのも正しい教養や知識を身に付けていないが故のことも多々あります。この動画をご覧になって、どう思われますか」

 お釈迦様は静かにお答えになった。

「矯正教育の成果でしょう。罪を懺悔(ざんげ)し、よく改心したものと受け取りました」

 閻魔大王はしっかりとお釈迦様の目を見て返した。

「正直なところ、心の襞の奥底にある真の心根については、判断しかねますが、順調に改心へと向かっているかのようには見えます」

 聞き終えると、お釈迦様はニコッと笑みを浮かべられました。

 閻魔大王は厳つい表情を崩すことなく続けた。

「さて先ほどの件、お言葉を返すようですが、カンダタだけにチャンスを与えると他の亡者たちが暴動を起こしかねません。そんな思慮分別のない輩ばかりですから。そこで今回限りの実証実験ということで、転入できるのは1名のみとし、カンダタ以外の希望する亡者たちにもチャンスを与えるということであれば」と、賛同しました。

 お釈迦様は、「ありがとうございます」しっかりと頭を下げてから提案されました。

「では、次に転入の方法ですが、いかがいたしましょうか」

 閻魔大王はすぐには答えが浮かばず、「何か腹案をお持ちですか」と訊き返した。

 お釈迦様はこれ幸いとお答えになられた。

「古典的な蜘蛛の糸は使わず、亡者ばかりを集めて、その中から極楽へ転入できる者を競争させて選抜してみては」

「蜘蛛の糸は使わない。うん。それはグッドなアイディアですなあ。もう時代遅れもはなはだしい。さらに推薦型選抜も総合型選抜も使わない。競争型選抜のみ。いいでしょう」

 閻魔大王は相好を崩し、諸手を上げて賛成した。

「何でもって競争させましょうか」

 すぐにお釈迦様はお訊きになりました。

 額に手をやり数秒、黙ってから閻魔大王は「一度亡者たちを三途の川の岸に戻して、そこを渡るタイム競争をさせて、優勝者のみを極楽へ転入させ、残りは地獄へ戻していただければ、良いかと考えます」こう提案すると強面に歪んだ笑みを浮かべた。

 お釈迦様は反対する理由もなく─心の中でカンダタが優勝できれば良いが、と手を合わせ─問いかけます。

「では、亡者たちをどうやって三途の川の岸まで誘導しましょうか」

 その方法は一つしかない。閻魔大王は涼しい顔で言った。

「現世と地獄との間にある(あん)(けつ)(だう)を使い三途の川の岸まで歩かせましょう」

「ほ~。それは良いところに気づきましたね。目的を達するにも歩かせて苦労もさせて……」

 すべてを言葉になさらず、お釈迦様は目尻を下げて応えます。

今度は閻魔大王が問いかけます。

「さて、次にどう競わせますかな?」

「自由形の競泳はいかがでしょうか」

 お釈迦様は決してちゃかしたわけではありません。川を渡るわけですから競泳もありかな、と提案されたのです。

 閻魔大王は微かに失笑を浮かべ、上半身を大きく左右に振り身体全体で否定した。

「亡者とはいえ、泳ぎのできない者もいるでしょ。ここは公平を期すために」

「では、やはりお決まりの」と、お釈迦様が─帆掛け舟─と言いかけたところで、「渡し舟はどれを使わせますかな?」と、閻魔大王は語気強く言葉を繋いだ。

 その強さにお釈迦様はとっさに答えを変更しよう、と右手を顎にそえて思案げにお答えになった。

「そうですねぇ。ヨットや屋形船では贅沢すぎます。帆掛け舟やイカダでは時間がかかりすぎます」

閻魔大王はキラッと目を光らせ、それならばと提案した。

「カヌーはいかがでしょうか」

「カヌーではオールの漕ぎ方を訓練させないことには……」

 お釈迦様は渋柿を(かじ)ったような顔付きをしてお答えになった。

 お二人とも妙案が浮かばず、ぎこちない沈黙の空気が降ってきた。

 ほどなく、閻魔大王が探るような声音で提案した。

「お釈迦様。モーターボートはいかがでしょうか。 運転に際し、免許証を要しない遊戯用として改造したものが多数、倉庫に保管されています。ゴーカートやAT車を運転する要領で操作できます。超簡単です」

 言い終わると閻魔大王は─どうだ、これで決まりだ─得意げな顔をした。

「うん。いいですね。いい。子供でも操作できます。さすがは、閻魔大王ですねぇ。いいところに気がつかれましたね。モーターボートでいいでしょう。そうしましょう」

 お釈迦様は満面に笑みを浮かべられた。

「遊戯用とはいえ、ボートには最新の画像録画再生AI機器が搭載されていますので、フライングやレース途中での反則、ゴール時の着順の微妙な判定も迅速かつ正確にできます」

 閻魔大王も破顔一笑し付け加えた。

 こうして三途の川を渡る競争にモーターボートが採用されることになった。


 事前に極楽への転入希望者を募集した。我も我もと押しかけ、ほぼすべての亡者が集まった。閻魔大王は─そんなにも地獄は居心地が悪いのか?─転入希望者名簿のリストをにがにがしい思いで捲っていた。一方、お釈迦様はカンダタがこのレースに勝てるようお経をあげて祈願した。

 次に、お2人は選抜方法とルールを決めた。それを審査委員長である長老の舟守りがアナウンスした。


『極楽への転入を希望する者は三途の川を渡るレースにおいて優勝しなければならない。レースは1回限りとする。なお、レースにはモーターボートを使用する。フライングや軽微な反則などにはイエローカードを出す。2枚出された者は失格とする。悪質な反則へはレッドカードを出し、その時点で失格とする。レースの審査委員会は舟守りたちで構成する。以上』


 このアナウンスを聞いたカンダタは─これはお釈迦様がくれた最後のチャンスだ─小躍りして喜んだ。さらに、喜ぶ理由があった。窃盗、殺人や放火という悪事を働く元凶となったのはギャンブル中毒で、それも競艇であったこと、そのモーターボートは瞬発力が良くてスピードが出ることを知っていたし、ボートの走る姿が目に焼きついているのでイメージトレーニングもし易かったからである。

 レースの状況はドローンに搭載された画像解析AIカメラでミーティングルームのモニターへも転送された。そのモニターにはスタートラインに並ぶ無数のボートが映っていた。ボートは白装束姿の舟守りの鳴らすお(りん)の合図とともにいっせいにスタートする。カンダタはエンジンの性能を確認しようとブレーキを踏んだままアクセルを思い切り踏み込み、勢いよく─ブル~ブル~ブル~~~─(から)()かしをし、はやる気持ちを抑え、お鈴が打たれるのを一日千秋の思いで待っていた。

 待つ間、岸辺をぐるりと見回した。が、岸辺には観客は1人もおらず、渡し舟の掘っ立て小屋に勤務する事務職員が数名好奇な目でこちらを眺めているだけだった。何とも寂しいレースである。そういう感情が心に浮かぶほどカンダタには余裕があった。優勝するための何か確固たる秘策を持っているのか、ニタニタと笑みを浮かべていた。

 ようやく舟守が台に立ち、注意事項とルールをもう一度説明してから、「レディ~」と大声を発し、「チン~~~」とお鈴を鳴らした。

 カンダタの乗るボートはスタートダッシュとばかりに勢いよく飛び出した。が次の瞬間、ボン~ボン~~と梵鐘(ぼんしょう)が鳴った。それはスタートが無効であることのシグナルであった。そう、誰かがフライングをしてしまったのだ。それは誰あろうカンダタであった。痛恨のフライングを宣告され「ちェ」と舌打ちした。もちろんイエローカードも出された。

 気持を落ち着けて臨んだ2回目のスタートは慎重になりすぎて、明らかに出遅れてしまった。どこまでいっても離される。焦る気持をアクセルに込め、イメージどおりの速度で追いかけた。川の中ほどを過ぎたときには先頭集団を捉え、あっさりと追い抜きトップに躍り出た。

「へッ、ちょろいものよ」

自ずと不適な笑みがこぼれた。

 が、それもつかの間、後方から、舳先を上げてゴボウ抜きの勢いでボートが近づいてきた。実に華麗に水面を切るハンドルさばきであった。それもそのはず。その乗り手は元ボートレーサーだった。八百長を犯した上に、それを密告した人物を惨殺した罪で地獄へ落ちていた。このままではいとも簡単に追い越されてしまう。

「ヤバイ! ここで負けたら、もうチャンスはもらえない」

 ちらりと後方に目をやったカンダタは─キツネのような目をピッカと光らせ─実際のレースで見たときのように実に巧妙に─秘策である─進路妨害を試みた。追突を避けようと後続のボートは意図して舵を大きく右に切り、速度を緩めた。カンダタはそのまま1位でゴールした。満面の笑みで右手の人差し指を高く突き挙げ、ガッツポーズを繰り返した。

「あはッはッはッ。これで極楽へ行ける!」

 が当然のごとく、後続の亡者からビデオ判定のリクエストが出された。

 審査委員会はカンダタの優勝を一時、保留にし、画像録画再生AIと画像解析AIによる厳密な検証をし、協議した。時間はさほどかからなかった。検証および協議の結果、カンダタによる明らかな進路妨害が認定され、一発退場のレッドカードが出された。その瞬間、カンダタは膝まで首を垂れた。ふたたび闇穴道を歩かされ、また、また、また、血の池へドボ~~ン、と蹴り落とされることを思い、その足取りは重かった。


 モニターの前に座り、レースの一部始終を観戦し終わると、お釈迦様は静かに目を閉じられた。その目から微かに憐憫(れんびん)の涙がこぼれ落ちた。閻魔大王は─カンダタの反則も()もありなん─眉間に深い皺を寄せ、ただ掛け時計に目をやるばかりでした。その鼻腔を隣室で誰かが落とすコーヒーの何とも言えない(まろ)やかな香が刺激するのでした。あの世は、もう午後3時─ティータイム─に近くなろうとしていました。(了)


参考文献。

芥川龍之介『蜘蛛の糸』青空文庫より。

芥川龍之介『杜子春』青空文庫より。


付記。藤子不二雄は自分なりのサイエンスフィクション(SF)小説を「少し(S)不思議(F)な物語」と定義していました。「現実では考えられない突飛な思いつき」が前提となっているようです。このSF観から現代のSF小説を眺めてみると、その定義(領域)は実に多様です。フィクションではなく現実の中から真実を発見し書く学術論文でさえもSF小説と呼ばれることがあります(樋口恭介、2023、『異常論文』ハヤカワ文庫)。そのよい例が理科系の(現実を仮説―演繹―検証という科学的思考法に依拠して分析する)学術論文をSF小説として書くことです。そこでは素人からみて造語としか思えない専門用語が頻発します。理科系に関わらず、多様な造語を使うことは現代のSF小説にも入り込んでいます(酉島伝法、2015、『皆勤の徒』東京創元社)。書き手の自己満足? 素人が読み込み、理解し楽しむためには相当な忍耐力と専門的な知識、さらに豊かな想像力を要します。まるで読むことに苦渋を強いられているかのようです。

 この作品は『蜘蛛の糸』を翻案した寓話にとどまることなく、藤子不二雄が定義したSF観に近いものです。そんなイメージで創作しました。

 藤子・F・不二雄(2024)『SF短篇コンプリート・ワークス 9 宇宙船製造法』小学館、p.292~293参照。




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