Hide and seek
この話は十数万年の出来事を圧縮して記載しています。それぞれの出来事には意味があり、この続きが「忘鬼の謂れ」に続き、現代へとながっています。また薔薇の都の前には、何故薔薇の都を作ったのか(作らざるを得なかったのか)という大前提があるのですが、それは「双青の都」に書かれています。そちらも是非お読みください。
記憶を無くした男の内側で、大君は覚悟を決めていた。全てのわからない事を知るまでは決して愛の元へ戻らない。その為に道を外れる事は全て行ったし、愛を忘れる為の事は全て行った
愛はその願いを叶えた
大君が大君であるという事は、そのまとう雰囲気の中にどうしても漏れ出た。オミは己が普通の人ようで無い事を恥じた。それで普通の人のまとう雰囲気の複製を作って、己にまとった
我が心のままに話すと周りの者と通じあわぬ事に気付いた。それで思っていない事を周りに合わせて口にする技術を覚えた
愛に満たされない為に己の心に蓋をして捻じ曲げた。体験を素直に受け取らない事にし、斜に構えた意味づけをしてみた
大君が愛に逆らう目的で作り出した陰は愛の道と拮抗する為に力を得、人格を得た
それは 言葉を己と思う者、道を外す者、受け容れぬ者、完了せぬ者 だ
それらの事はある種の達成感をもたらした
だが一方で我が心は冷たく、空虚を深くした
度々夢に現れる美しい人の面影の曙の瞳のような赤褐色の髪の女がいた
オミはその髪に触れた
やがてその女と結ばれ子が生まれた。それは喜びだった
オミは望まれるままに、外套を合わせる金具に付いた赤い宝石を外して贈った。オミはその赤い宝石を以前にどのように使っていたのか覚えていなかった
女は食べ物、もしくは稼ぎをより多く持って来る事を要求した。己の求めるものと女が求めるものが違うと思った。それでも要求されるようにした。己が何を求めているのか説明できなかった
全てを言葉で説明しないと女には伝わらなかった。言葉で説明しても度々誤解が生じた。相手が言葉通りにすら受け取らないからだ。オミは女の言う事がよく分からないと思う事が良くあった。オミはいつも己がすべき事をごく自然とわかるが、女はいつもそれがわからないようだった。それに昨日女が言っていた事を考え行動しても、今日は言う事が違ったりして混乱した
暫く過ごすうち心の隅で何か違うと思った
自分が何に満たされないのかわからず、妻子を置いて旅に出た
妻は夫が出て行く事を怒り泣き叫んで、棄てて行く夫を罵ったが、オミが出て行くのを止める事は出来なかった。オミは知らなかったが、その女は薔薇の都で生まれ、外国に出された子だった。彼女は微かな記憶の片隅で、自分を棄てた国を恨んでいた
オミはいつも何かを求めていた
ある時は剣を取って戦ってみた
他者を征服し、従えるという体験を楽しんでみたが、他の者がやり続けているようにはできなかった。やがてオミはその地位を手放した
ある時は賭けというものに溺れてみた
先がわからない事に一喜一憂するという体験を楽しんでみたが、他の者が己を見失う程にそれに熱中する意味はわからなかった
盗賊に混じって他者の物を盗むという事をやってみた
宝石や黄金の輝きを確かに美しいとは思ったが、それを手に入れて周りの仲間が何を喜んでいるのかはよくわからなかった。夢に出てくるあの人の髪や目や、指先に勝る宝石は無かった。オミは己の奪った物を皆仲間にやると、また旅に出た
もっと様々な体験をする為に、あらゆる国、あらゆる時代に行ってみた
何回かの生と死が巡った
とある国を訪れた時、美しい人に会った
それはその国の女王だった。勿論女王には夫たる王がいた。その女王は愛する薔薇の姫君が転生した姿だった。髪は栗毛で目も灰色で違う色だったがその奥にある面差しが同じだった
オミはその事は知らぬまま、その王に仕えたいと申し出た
外国から訪れた旅の男がどうして異国の王に仕えたいと言うのかわからなかったが、剣の腕と気品のある振る舞いから、役に立つだろうと思い、王はその申し出を受けた
実際、彼は役に立った。多くの敵を退け、王の地位を守った
オミは女王を見るだけで喜びを感じた。女王が声をかけてくれた日は一日中幸せだった
女王が笑っているのを見ると己も笑む事が出来た。だがその隣に居るのが当然ながら自分ではなくて王であるのを見ると、嫉妬を覚えた。それは初めての感情だった。その感情を体験できた事を喜ぶと共に、苦しかった
オミは愛を憎んだ。運命を嫌った
オミは自覚していなかったが、それは己の願いだった
大君はその覚悟を揺さぶる愛を思い起こさせるものを遠ざけたかった。だが同時にその命と心は愛しい我が半身を狂おしく求めていた
オミの目はいつも女王を探していた。女王の目もまたオミを追っていた。本当は女王が微笑む時、その視界にオミがいたからなのだと、王は気づいた
ある日差しの柔らかな日、オミは庭園に女王が一人で佇んでいるのを見つけた
オミの心は喜びに溢れ、彼女に近づいた。声を掛けると女王は振り返りオミを見たが、その目は悲しそうだった
その時、女王の背後の樹木の陰から、王が剣を持って現れた
「オミ、おまえを忠臣と思っていたが、女王を狙っていたのだな」
王は女王の身体を抱えるとその刃をオミではなく、女王の喉元に当てた
「このままこの国から出て行け。おまえはいつか我を害するだろう」
オミは女王の目に溜まる涙を見た
オミは二人に一礼すると、荷をまとめ、城から出て行った
オミは女王から離れ、気が狂いそうだった
そうした方が良いとわかっていても耐えられなかった
愛する対象への憎悪を抑えられなかった
オミが宿屋の食堂で飲んでいると、酒を奢ると言って、知らない男が隣に座った
男はオミに酒を飲ませて城の内部の事を尋ねた。オミは聞かれるままに答えた。自分が去った後の事は、もはやどうでも良いと思った
女王の葬儀が行われる時には、オミは隣の国にいた。王を暗殺しようと城に忍び込んだ者に女王が代わりに命を奪われたと聞いた
その記憶は封印された。オミが忘れた愛する者を愛する思いの記憶は結晶となり、夜の空で星となり輝いた
ある時、オミは村外れの小屋に一人で住んでいる薬師の女の噂を聞いた
オミはその小屋を訪れた
女はその男が訪れる事を知っていた。道を読めるのだった
オミは道を読むという彼女に尋ねた
「我の道は何故苦しいのだ」
「貴方はただ苦しんでいるのではない。そこにあるのは知る喜びだ」
「この道はいつ終わるのだ」
「全ての理由無き事の由が無と知れた時だ。貴方はそれを知る為に地上に降りた」
謎かけのような答えだった。だがその意味をオミは知っているような気がした
「貴方の道は最も崇高で最も偉大だ。オミは王の中の王だ」
オミはその答えを納得できなかった。己はこの手で誰かをあやめ、傷つけ、盗んだ。それのどこが王と成り得るのだ。むしろ罪深いではないか
「物事は見た目の通りではない。罪を罪と決める事ができる程に驕れるのか」
女は慈しみを込めてオミを見た
「全てが終わった時にはその誉れを受け取れ」
オミはそこで暫く一緒に暮らした
オミは盗賊や猛獣から彼女を守った
それから、そこへ訪れる人に彼女がする事を眺めた
彼女は訪れた人の話を聞き、その心に寄り添い、薬草を調合した
人々は感謝してそれ受け取った
その様子を見るとオミの心は喜びに包まれた
オミはその女を愛していたし、女もまたそうだったが、二人はそれを口にしなかった
オミは愛を直視すると、そこにどうしようもなく怒りが湧いて来るからだ
ある時、女は体調が優れない様子だった
それを見てオミは彼女が己の子を宿したのだと悟った
オミは強い恐れを感じて、荷をまとめて出て行った。愛を愛と認めたら、元の道に戻ってしまうという恐れだ
やがてその小屋には魔女がいると言う告発を受け、薬師の女を捕まえに男達が来た
オミは街で魔女が火焙りにされると聞いたが、そのままその国を去った
その記憶は封印された。オミが忘れた愛する者を愛する思いの記憶は結晶となり、夜の空で星となり輝いた
オミは己を呪った。神を恨んだ。神を恨むという事をわかった気がした
それでもオミの内側の大君の決意は彼を進ませた
ある時、オミは魔王になった
これはなかなか愉しかった。
民に今まで培った道を外れる術を啓蒙した。愛に逆らう方法を伝授した
己の城を訪れる剣士を惑わせ、罠に嵌め、彼らが逃げ帰って行く様を眺めて笑った
オミは誰よりも賢かったので、彼に敵う者はいなかった
だがオミの誠実さは何も変わらなかった。彼は命をいたぶる事はしようとせず、相手が降伏すれば直ぐに許した。周りの者はそれを物足りなく思った。
ある時来た剣士は珍しく女だった。彼女は己と同等なまでに機知に富み、張った罠をことごとく見破った。魔王は彼女との戦い、やり取りの全てが面白く、楽しく、満たされるように感じた。初めて己の力を発揮していると思った。彼女は遂に魔王の玉座の置かれた部屋に辿り着いた
魔王の座まで歩み寄ろうとする彼女には殺意が全く無く、むしろ親しみを感じた。魔王は心に期待と喜びを持って彼女が己の前に立つのを待った。その眼差しは奥にある懐かしい感覚を呼び覚ました。彼女は剣を鞘に納めて言った
「貴方は本当は魔王ではないのだろう。何故なら貴方の心には愛がある。我が心はそう言う」
その時、魔王はその女剣士に恋をしていたと気づいた。魔王の前で、彼女は部下達の剣に刺し貫かれ命を奪われた
やがて彼はその魔王の座を追われた
その記憶は封印された。オミが忘れた愛する者を愛する思いの記憶は結晶となり、夜の空で星となり輝いた
ある時、オミはとある国の王だった
王には才があり、周囲の国々の侵略を退け、圧し、国民は長く平和に暮らした。民は王を畏れ称えた。それは少し嬉しいような気がしたが、彼は孤独だった
オミは自分の城を作り直し、塔を高く築いた。できるだけ高く築いて高いところから広く世を眺めて見たかった
塔が完成し、登って周囲の土地を見渡した。そうして見ると、確かに気分は良いし、何か思い出すような気はするが、それ以上は何と言う事もなかった。もうやる事が無かった
オミは民と同じような格好をして、馬で遠くに出掛けた
その村で美しい娘に会った。彼女は畑に出向きながらよく歌を歌っていた。澄んだ歌声が遠くまで響いた
道を尋ねる振りして声を掛けると娘はオミを王とは知らずに、丁寧に親しみを持って教えた
オミは度々娘に会う為に出向いた。他愛の無いお喋りをする為に畑仕事を手伝った
やがてオミと娘は打ち解け、娘はこの男の素性を知りたがった。娘は自分の馬を木陰に隠して繋ぎ、オミが帰る時に跡をこっそりつけて行くと、彼は城に入って行った。男は皆が畏れ敬う王だった
娘はその事を心に留め誰にも言わなかった。娘はオミの心情を思いやった。その孤独、虚しさ、満たされぬ思いを汲み、一人涙した
娘は次にオミに会った時、彼が己自身を許す事を祈りながら、花を編んで冠を作った。オミはそれに使われている菫の色に、何か懐かしいものを感じた。それはどんな宝石で飾られた黄金の王冠よりも美しかった
娘は微笑んで、花冠をオミの頭に載せた。その慈しみに満ちた眼差しを見た時、オミは泣きそうになり、唇を噛んだ
オミは娘にもう二度と会わないと決めた。愛を感じていると気づいたからだ
だが数日後、オミはその娘が亡くなったと聞いた
オミの跡をつけて来た娘を、家臣が敵国の内通者と思い、家を調べて押し入ったのだった。オミは家臣を咎める気にもなれなかった。全てはあの娘を愛した己が悪いのだ
その記憶は封印された。オミが忘れた愛する者を愛する思いの記憶は結晶となり、夜の空で星となり輝いた
もう二度と誰も愛さぬと誓った
大君は己を更に深く沈め、己を忘れるよう努めた
愛を感じない者と結婚し、自らを縛り、好きではない仕事をし、己を疲れさせて力を発揮しないようにした
何回かの生と死が巡った
だがある時、東の果ての国で姫巫女の元に引き取られた子供の時、歌を聴いた
それは終わりを告げる鐘の音だった
姫巫女は薔薇の都の民の転生先であるこの国の行く末に心を痛めていた
大君は我が道を振り返った
本来の我が道から外れる為に己が作って来た道は、何よりも真っ直ぐに闇の中でも輝いていた
愛から遠ざかる為に己が愛にした仕打ちの全ては愛への愛ゆえだった
そして、その真っ直ぐさと決めたことへの誠実さは、大君である時と何ら変わらなかった
知りたい事を知らんとする強さも変わらなかった
己をいかに変えようと、己の本質は変わらなかった
己をも愛をもばらばらにし、それとわからぬように隠したのに、いつも愛は己を見つけ、己も愛を見つけた
愛がその全てを持って己を愛し、我が願いを叶えようとしたのかを知った
神への愛でできた世界はいかに姿を変えようとも美しかった
神はわからぬものを知る旅に出て、己を知った。知るべきものは己だけだった
そしてそれは同時に対たる愛を知りたかったのだと悟った。愛の作りし世界がいかに完璧で調和し、幸だったのかを。そして命がその中で己のままに命であるということがいかに喜びだったのかを
全ての理由無き事の由を知った
無は存在するものをそれとして浮き彫りにし、己がいかに在だったのかを知らしめた
大君は旅を終える準備に取り掛かった。一度決めた事を真っ直ぐに道を貫くのは少しも変わらない
沢山のばらばらにした己を回収し、己の振りまいた陰を断ち斬らねばならなかった
今の彼にはわかった。古代の文明で彼らが引き起こした事の目的が。それは無意味をやり遂げたからこそわかる事だった。それは間違えてはいたが、やりたい事は同じだった
大君はその姿を変え、業を斬る刃の輝きとなった
今の彼の器の大きさならば、斬れぬものは無かった
何としても、命の大元の命が尽きる前に全ての終わるべきを終わらせようと決めた
愛は愛の何たるかを神から知った
全ては美しかった。夜空には星が輝いていた。昼には見えぬ星だ
そのようにして夜はその役を終えた