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薔薇の都  作者: 吾瑠多萬
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The End of the Lord

この物語は「忘鬼の謂われ〜鬼と戦い続けた男」と連動しています

その起因となる遥か昔の話


統治者たる大君(おおきみ)は言った

「我はもっと遠くの国を見に行きたい」

何を言い出すのだろうと(つい)たる薔薇の姫君は思った


二人はその国を統べていたが、管理をしていた訳ではなかった

その地は薔薇の都と呼ばれていた。それはその地形と建物の形状に由来する。それと同時にその目的と役に由来していた

その建物と土地は僅かながら成長し続ける。住んでいる住人の願望や、都市全体の目的に合わせてだ

中心にそびえる塔は大君と薔薇の姫君の住まいであり、政を行う場所だった。二人の統治者の住まいには空中庭園があった。そこには二人の望みと目的に合わせ新しい野菜と果樹が生えた。姫君の望む薬草も生えた

そこから螺旋状に塔はその裾野を広げていく。そこには政を補う二対の四賢者の住まい、大君と姫の日常に必要なものを作る職人や、商人が住んでいた


中心の塔は実はほんの少し、浮いている。ここに於ける(ことわり)は大君と姫を中心に動いている。愛の引力は必ずしも下に向かってあるものではない。愛の大元たる姫君を中心にしていた。この二人を敬わない者も愛さない者もいなかった。民は皆己が相応しい道に居ると知っていた。中心にある二人の君が幸せである事は民の心が幸せであるという事だった


塔の下には花びらの島があり、そこに渡る橋がある。渡ると、そこも国で、街があり、住人とそれに必要な商いをする者がいる。そして集落とそれを育む森と平野が広がる。そんな風に螺旋をほどくように花びらの形の十二の島が、順々に外へ向かって広がっている。それらの島は果てなき青の中に浮かぶ


そこの空気は明るく濃く密で、愛が充満している。一呼吸毎に胸は愛で満たされる。民はいつも全てとの繋がりを感じ、自分らが大元を通じて一つであると知っていた。彼らの意思疎通は言葉の他にもあった。調和だ。彼らはいつどこに行けば必要なものが手に入るか知っている。足りないものは無かった。各街の中央には必ず市があり、区画は誰でも使えるようになっている。皆はそこで売りたいものを持って店を開くが、それが重なり合って困る事は無い。彼らは持っている分だけ売って無くなったら、直ぐに店を畳む。するとまた直ぐに違う者がそこに違う店を開く。欲しいものがある者も、いつどこに行けばそれが手に入るのかを知っている。必要なものは必ず満たされた


時々、誰かのところに新しいアイディアや、発明、創造物が降りて来る。するとそれを元に作ったものを携え、やはり市に行く。市でその者が待っていると、その発明品を欲しいという者が現れる。それでお互いに必要は満たされ、満足する


市で歌を歌う者も居る。己が内に湧く思いをそのまま歌う。するとそれを聴きたい者が周りに集まって来る。歌が終わると皆はそれを称え、受け取った価値を支払って、また次の体験へと移っていく




塔には毎日のように誰かが訪れた。大小様々な解決の為だ。それぞれの花びらの国毎に国長(くにおさ)がいる。その長を通じて、あるいは同伴して、家族の病、家畜の事、作物の作付けの時期、天候の事等、話を持ち込んで来る。また生まれた赤児を連れて来る。子供を育てたいと望む者、婚姻の約束を告げに来る者もいる


家族が病を患っている話を聞くと、姫君は薬を調合した。家族の様子を聞いた時に見えたものが、愛によって歪みを調整された姿を思い描く。その歪みに足すべきもの引くべきものがわかる。庭園に出てその目的の薬草を採って擦り潰すと共に、相手の身体に合うように構成した役を薬草に付加する。そうして作った薬を渡す


家畜が調子が良くないと聞くと、その様子を聞く。薬を調合する事もあるが、多くは飼育している主に問題がある。主かその家族の心の問題が反映している。その他、食べ物や、その家畜の個性を読み切れていない場合もある


作付けの時期は、愛の恵みが花びらの螺旋の順番に巡って行く。したがって、季節は中心から先に訪れる。塔に向かって隣の国と街を見れば、次に我が国がどのような時期になるのかわかる。それでも皆はその季節を塔に尋ねに、また大君と姫君のところに生えた新しい野菜の種を貰いに訪れる


天候も皆に満遍なく訪れる。ただ、時折雪を降らせて欲しいとか、雨を降らせて欲しいとか乞われる事がある。そんな時も、二人が観た時に不調和でないならば、希望の通りにする。


生まれた赤子には名を授ける。その子の性質、役、道に相応しい名だ。名を受けてその子は真に命を授かり、己を己とする


伴侶となるべき者と連れ立って訪れる者には祝福を授ける。そういう者は必ず(つい)である。生まれた時から結ばれる運命であるし、大抵は前世でもそうであった。


子供を育てたいと望む者らには、いつどの木の元に行けばその子に巡り会えるのかを告げる。赤児が生まれる時にはそのついも必ず何処かに生まれる筈だ。だから大抵の場合、子供を望むのは二組の夫婦だ


二人は春と共に全ての国の視察に行く。螺旋の花びらを外側へ向け、竜で移動する。大君の竜は翠玉(すいぎょく)、姫君の竜は樹晶(じゅしょう)という名である

それぞれ街で長と挨拶し、その一年の事を尋ね、春に生まれた赤子と家畜を見、宿に何泊かし、また一つ外側の花びらの島へと渡る。ある程度外側の花びらに行くと、もうそこには赤児は生まれない。子を育てたいという望みがなく、子供と言う時期を体験をしたいという望みがないからだ


最も外側の花びらの国に住んでいるのは年老いた者だ。肉体が衰えているという意味ではない。大体六百年は生きている。大君と姫君は彼らと話すと懐かしく、また古いと感じる。それに彼らは充分に器を広げ、限界が訪れているとわかっている。彼らの住む花びらはやがて周囲の青に溶けて消えて行く。そしてそのまま浮いている塔の下の最も内側の花びらに新しいものとして誕生する。更なる体験と成長を求めてだ。花びら状の島は、内側から生まれ、徐々に外側の花びらへと押し出されて行く。人々はその土地の化身でもあるので、土地と共に消えて愛へと還り、次の生を楽しみに待つ

生きる事は喜びの体験の連続だ。次の人生では更に深く高い喜びを味わうことができる


塔の高さも、花びらの島の大きさも、物理的なものではなく、心理的な広さだ。彼らには土地が充分にあり、住む者にとって土地は広大で何でも手に入る。だが器が誰よりも大きい大君と姫君には、狭いように感じる。中心の塔から全ての治める土地を見渡す時、安堵を感じる



大君がもっと遠くの国を見たいと言い出した時、外国(とつくに)の存在を姫君は忘れかけていた

ここは薔薇の都で完結している世界で、全てが調和が取れて完璧だ

「だがこの頃病は増えている。この何万年も無かった事だ」

確かに問題事は少しずつ増えていた

「この薔薇の都の外では、まだあの影響が続く。それを見ぬふりはできまい。貴女の命の永遠を脅かすだろう」

そう、それに目を瞑り続ける事は出来ない。ずっとその問題が潜在したまま目先の幸せを続けるという訳には行かないとわかっていた


しかし、どうやって。二人は対でいつも一緒であり、薔薇の姫君はその名の通り、この都の中心であり化身でもあった。彼女無しに都は維持され得ぬ

「我らが離れるより他はあるまい」

「離れるですって」


姫君は過去の記憶を手繰ったが離れた事は無かった。

「離れるってどうやってですか。そんなことができるのですか」

「そうだな、道が別れればだな」


二人は暫く対が離れるという事について考えてみた。四人の賢者とも話してみた

姫君は竜を呼んだ

四頭の竜はこの世界を支える元素の化身だった。一つだけを変えるという訳には行かない

姫君は樹晶の身体から性質を分けさせた。更にそれを二つに分けた。こうして火と水は出来た

他の竜もそれに連れて変化を遂げた。それぞれの身体から出た光は互いの間を行き来して均衡を保った

姫君は新しく生まれた竜に天河(てんが)菫青(きんせい)と名付けた

すると地の果てにあった青は別れて、空と海になった



姫君を置いて、大君は旅に出た。竜が一番外側の島まで送った

大君が薔薇の島から外へ出ると、姫君は今まで感じた事の無い感覚を味わった

空虚と寂しさだった

それが何か知らなかった

ただ心が狂おしく、居た堪れなかった


薔薇の都には病が増えた。姫君の心と民の心は連動するからだ

姫君が幸せな時には、民の心も幸せだった

だがそれによって彼らは幸せだった事を認識した



やがて大君は帰還した

大君が塔に入るとそれだけで、大気は輝き再び愛に満ち、民は安堵した

二人は三日三晩部屋から出て来なかった


離れていた時間を埋めるように、二人は一緒に過ごした

離れていた間に感じた空虚と寂しさが、どれ程我が対を愛しているのかを浮き彫りにした

どれ程互いを愛しているのかをわかった事が二人には収穫だった

愛が愛である事を体験できたと思った


大君は姫君の手に己が手を絡めながら、その指の一本一本を愛しく思い、その色や内側に満ちる命を思った。白い敷布の上に広がるその髪をまさぐりながら、光に透ける髪を不思議な思いで見た。薔薇の姫君の髪色は紫がかった深い紺青だった。これは竜の菫青がその内に秘める炎の色と同じだった。美しい事は知っていたが、それがこんなに美しいとは知らなかったのだ


姫君も同じ気持ちだった。ずっと一緒にいる時にも知っていた。大君の髪が緑みを帯びた黄金色(こがねいろ)であり美しい事を。だが今編まれて垂らされた大君のそれには収穫前に畑一面に実る麦の穂のようである事を重ねられた。そのように見えた事は無かった。その身体にまとうしなやかな筋肉が、均衡している(さま)を美しいと感じた。


二人が互いの目を覗き込むとお互いの姿が映った。大君は曙の瞳に映る己を見、姫君は夜のような漆黒色の瞳に映る己を見た。それを見てまた不思議に思った。相手の目を通して己を見ているのは何者なのだろう。

目を閉じると相手の命を感じた。この肌の向こうにある存在が我が内に愛しい感覚を呼び起こすのは何故なのだろう



姫君は大君に尋ねた

外国(とつくに)を見ていかがでしたか」

「何もわからない事がわかった。そこの者が言う事、やる事の全てが何を持ってなされているのかわからない。無論愛ではなし、調和もない。何をなすにも完成しないし、そもそも完成とは何かがわかっていない。彼らは己の願いが叶っていると認めない。それを知ろうともせず、神を恨む。我は何を恨んでいるのかわからなかった」

「そうですか…」

姫君は何か哀しいと思った。だがそれをどうしたら良いのかわからなかった


大君は持ち帰った外国で取引されている奇妙な宝石の幾つかを姫君と四賢者に見せた

彼らはそれを枠に嵌めて身を飾る装飾として使うそうだ。その用途は薔薇の都での宝石の目的と全く違っていて、彼らを戸惑わせた

六人は宝石を見たが、見た目の美しさに反して不調和で嫌な感じを思わせた

姫君はそれを見ると苦しく、また酷く悲しかった



それから三十年ばかり経った後に、あり得ない事が起こった

生まれた子が、調和を知らなかった

その子が生まれた時に、確かに対は居なかった。だが生まれる時期が多少ずれる事もあるので、気にしていなかった。その子はどこへ行けば何をすれば欲しいものが手に入るのかをわからなかった。言葉を使って全てを伝える必要があったが、普段そのように複雑な言葉を必要としないので、周囲の者はどのように言い伝えたら良いのか戸惑った


大君と姫君は調和で成り立っている世界でその子が生きていくのは難しいだろうと思い、薔薇の果てに送り出した。その子にはおそらく外国の方が馴染み易い。そう判断しての事だ。親は残念に思ったが、起こる事は受け入れた


それはそれで済んだが、また数年経つと、同じように調和を聴く事ができない子が生まれた。その時には、子を望んだ親も居ないのに生まれ、近くに居た者達に拾われた。薔薇の国の外に送り出したが、もう見過ごす訳にはいかなかった




「もう決断せねばならない」

大君は姫君を見詰め言った

「彼らの始めた理由を知らなければ、我にはそれを終わらせる事ができない」


「我はそれを知る為に、此処を離れ此処を忘れる」

大君は決める

姫君も大君がいずれそうするであろうとわかっていた


大君にわからない事が外国で起こっている

大君がそのわからない事に強く興味を持った事もわかっていた

それを全てわかるまで大君は戻らないだろう


「それは大君は大君である事を忘れるという事です。大君が全知の大君である以上、それをわかる事はありませんから」

姫君は愛しい人を見詰めた

「それは同時に大君が我のことを忘れるという事です」


「大君の目に映らぬ時、我は存在するのでしょうか」

とてつも無い大きな不安と哀しみが胸を占め、涙となって流れた。姫君は初めて哀しくて泣くという事を体験した


「これより他に早く事を進める手立てが無い。姫君の命が尽きる前に」

「わかっています。仰る事は」

「この世の全ては姫君の命と共にある。我は貴女を守らねばならん。我は此処に貴女を封印して行こう。この都と共に」


「さらば、愛しい方」

大君は寝台に姫君を横たえると口付けをした

すると、輝く結晶が寝台に落ちた

何度も口付けをするがその度に、美しい結晶が転がった

やがて、寝台は結晶で一杯になり、姫君の目は固く閉ざされ身体は冷たくなった

「これは我が記憶、姫との記憶。此処に置いて行く」


冷たくなった姫君の手を置くと、大君は寝所を出た

寝所はその周りを更に部屋に囲まれていて、そこには六頭の竜が控えていた


大君は其々の竜を撫でて別れを告げた

また結晶が落ち、床に転がった


すると竜は彫刻のように固まり、もう動かなかった


大君は塔の下に降りた。そこには四賢者がいた。大君は彼らを称え、また労って言った

「これより我は大君ではない。姫君はもう眠りについた。我は塔を出たら、もう此処の事を覚えていないだろう。全てが終わる時、また姫君の元へ集ってくれ」

四人も悲しんだが、大君の仰せの通りにすると約束し、眠った。大君はその記憶を忘れた


大君は塔を出た


花びらの国と街に行き、民をいかに愛していたのかを思った。民は大君が去るのは自分らにはわからない大きな理由なのだとわかっていた。それを受け入れない者は居なかった

大君がそこを去ると、街にはやはり記憶の結晶が転がった

人々は眠った。


そのようにして十二の花びらの国と街を抜けた

大君は己が誰なのかをあまり良くわからなくなって来た

記憶は皆、都に置いて来た

携えているものは何も無かった


花びらの島の果てには霧が漂い、舟が一艘浮かんでいた

渡し守は言った

「待っていた、汝を。我が名はイリ。我は死であり、夜を見る者である。我が送ろう、汝の望む世界へ」

大君だった男はこの舟に乗るのだろうと思い、順った


大君は時の永遠から離れ、薔薇はその背後で花びらを閉じた。舟は時の狭間を漂った


霧の中に櫂を漕ぐ調子だけが響いていた

渡し守の漕ぐ舟に乗り、どの位経ったのだろう

「着いたぞ」

何処に着いたのかわからなかった

だが男は舟を降りた


砂の感触が足に触れた

数歩歩いて渡し守に礼を言おうと振り向くと、舟も渡し守も居なかった


男は歩いた。己は何処に向こうとしているのかわからないまま歩いた


歩いているうちに向こうに何かが明るく温かく揺らめいているのが目に入った

男は何故か懐かしい気がしてそこを目指した


「何だ、この寒い中。早く火に当たれ」

焚き火を囲む男達だった

寒いと言われて初めて寒いとわかった。身体は冷え切って震えていたし、手足は凍えていた

「あんた、何処から来たんだ」

「向こうから…」

男が振り返ると、薔薇の都があったところには氷山が聳えていた

「まさか海の上の氷山から来たのか」

「あれはいつからああなんだ」

「ずっと昔からだよ。俺が生まれる前からさ」


「これ美しいな、しかも暖かい」

男は焚き火を見て言った。それを見ると己を見詰めた暖かい眼差しを思い出すような気がするが、それが誰かわからなかった。揺らめく炎に触れようと手を伸ばすが酷く熱くて触れない

「火傷するぞ。まさか火を見た事が無いなんてあるまいな」

男達は笑った

「これでも飲みな、温まるよ」

木をくり抜いた椀に熱い湯が入っている。飲もうとする

「あちっ」

また男達は笑った

「熱い湯の飲み方も知らんのか。啜って飲むのよ」

啜ると湯気が喉を潤す。懐かしい気がする。いつも大気はこんな風に満ちて…それはいつどこの事だったかな

「まあ、良いや、変わった奴だが」

男達は笑って男を歓迎した


「あんた名前は」

別の男に問われ、男は名前を思い出そうとしたが、思い出せなかった

ああ、あの美しい人が…それは誰だ。己を呼んでいた、確かオオキミと

「オオ…ミかな」

「オミか。あんたオミって言うんだな」

無知な男はオミと呼ばれる事になった


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