【66】「胸骨の感触がするわ」
夜。
【封神四家】が一家、キルケー家の屋敷にて。
「――さて、明日は早いし、今日はもう寝ましょうか、フィオナ」
エヴァは自室にて、友人であるフィオナにそう告げた。
今日、フィオナを自宅に招いていたのは、何か用事があったからではない。一緒に食事をし、お風呂に入り、他愛ないおしゃべりに興じる。そんな、普通の友人同士のような交流をしたかったからだ。
その予定の通り、エヴァたちは食事の後、入浴を終えてからエヴァの部屋で会話に花を咲かせ、夜も更けてきたところでお開きにすることにした。
いつもと比べれば少しだけ早い時間だが、明日はいよいよ特異体ノルドの討伐だ。万が一にも寝不足で参加するわけにはいかない。
なのでフィオナも「そうね」と頷いた。
部屋の明かりを消すと、窓から差し込む月明かりだけが光源となる。それでも煌々とした月光は明るく、視界に困ることはない。
月明かりを頼りに、二人は同じベッドに入った。
無駄に大きいキングサイズの天蓋付きベッドに、並んで寝転ぶ。
クランに対する襲撃があった頃、キルケー家に泊まっていたフィオナには客室を用意していたが、あれは何日も泊まる必要があったからだ。友人として一日だけ泊まる際には、こうして一緒のベッドで寝るのが習慣だった。
というのも、そういう普通の友人同士のような付き合いに、エヴァが憧れていたからだ。
ただし、エヴァの抱く「普通の友人関係」というのは、他人から中途半端に聞き齧った情報がほとんどであり、どこかズレていたのだが。果たして世間一般の「普通の友人同士」が一緒にお風呂に入り、一緒のベッドで寝るかというと、首を捻る者は多いだろう。
しかし幸いにも世間一般の友人関係がどのようなものか、フィオナも詳しくは知らないため、これまで指摘されることはなかった。
ただ――友人として、エヴァの微妙な心情を察することはできるらしい。
「……エヴァ」
「……どうかした?」
仰向けのまま視線を横に向けると、フィオナが体ごとこちらに向き直っていた。赤い瞳が真っ直ぐにこちらを見つめている。
「どうかしたはこっちのセリフよ。何か悩みがあるから私を呼んだんでしょ」
友人の数は少ないくせに、そういった機微に妙に鋭いところが、フィオナにはある。
エヴァは苦笑して、体を横に――フィオナの方に向けた。
互いに横になったまま、至近距離で見つめ合う。
「どうしてそう思うのかしら?」
「この忙しい時に、用事もないのにわざわざ私を呼ぶ理由がないでしょうが」
「あら? 用事がないと呼んじゃいけないの?」
「そういうわけじゃないけど……って、誤魔化そうとするんじゃないわよ」
からかうように問うと、フィオナはジト目をしてそう言った。
そんな友人の様子に、エヴァは「ふふふっ」と笑い声をあげる。
「ごめんなさい。別に誤魔化したつもりじゃないのだけど……」
言いながら、改めて自分でも考えてみた。
今日、なぜフィオナを呼ぼうと思ったのか。
――いや、違う。
自分の心に正直になるならば、なぜ、フィオナに傍にいてもらいたいと思ったのか、だ。
「たぶん……漠然と、不安なのよ……」
フィオナは何も語らない。ただ真剣な表情でエヴァの言葉の続きを待っている。
何が不安なのか?
ここ最近、ずっと纏わりついていた不安に、エヴァは初めて目を向けた。それは認めたくなくて、否定したくて、無意識に目を逸らそうとしていた事実だ。
記憶を手繰り寄せるように、呟く。
「フィオナは、知っているわよね。私がキルケーの次期当主になった理由……」
「……お兄さんが、スタンピードで亡くなったからよね?」
エヴァ・キルケーは本来、キルケーの当主になる立場ではなかった。
彼女には優秀な兄がいて、家督は兄が継ぐはずだったのだ。しかし、ネクロニアに発生したスタンピードが彼女の人生設計を狂わせた。
【封神殿】から魔物が地上に溢れ出した時、正義感の強い兄は、魔鷹騎士団を率いてスタンピードの鎮圧に向かった。ネクロニアの支配者の一人として、市民を護ろうとせんがための、気高い行動だった。
しかし、そのスタンピードで兄は死んだ。
死体は見つからなかった。だが、大型の魔物に喰われるところを、騎士団長であったローガンを始め、多くの団員たちが目撃していたのだ。どれだけの希望的観測にすがろうが、兄が死んだという冷たい現実は否定の余地がなかった。
スタンピードが終息した後も、兄は帰って来なかったのだから。
「そう……そして、お兄様の死が、≪迷宮踏破隊≫設立の大きな理由でもあるわ」
【封神四家】の内、スタンピードで最も大きな被害を受けたのは、後継を喪ったキルケーだ。ゆえにキルケーは、スタンピードを起こした者どもに最も深い恨みを持つ、と言っても過言ではないだろう。
だからこそ、キルケー家が音頭を取る形で他の三家に働きかけ、ネクロニアで暗躍する者どもを炙り出すために≪迷宮踏破隊≫を設立することになった。
≪迷宮踏破隊≫が【神骸迷宮】の最深層を攻略することで、全ての黒幕がはっきりする。そのはずだ。
であればこそ、キルケー家は後継を死に追いやった者どもに裁きの鉄槌を下すことができるのだ。
「ノルドを倒したら……≪迷宮踏破隊≫はようやく活動を再開することができるわ」
残念ながら本物の≪極剣≫を見つけることはできなかったが、アーロンの協力もあり、クランメンバーの不足を補うに足る探索者たちを、何人か見つけることができた。すでに各人の身辺調査も済んでおり、ノルド討伐後にスカウトするつもりだ。
攻略速度の遅れは如何ともし難いが、これでとりあえずは、先へ進むことはできるはず。
「なのだけれど、ね……」
公的な記録においては、前人未踏の【神骸迷宮】最深層。
それを本当に攻略できるのかという不安が、どうしても拭えない。その理由は――、
「……信じられないの?」
フィオナの言うように、今のクランの戦力が十分だと、信じられないから……では、ないのだ。
「違うわ。不安なのは……」
見つめてくるフィオナから、目を逸らす。
それをはっきりと言葉にすることはできなかった。一度口に出してしまえば、その推測が現実として確定してしまうようで、怖かったのだ。
だから、全く関係のないことではないが、別のことを口にする。
「もっと……上手くできたんじゃないかって、そう思って……」
もしも、【封神四家】の力を総動員できたならば、今ごろは黒幕の正体を掴んでいたのではないか。あるいは今回の「大発生」だって、もっと迅速に鎮圧することも可能だったのではないか。
なぜ、四家の当主たちは各家が持つ戦力――それぞれの騎士団を動かしてくれないのだろう。
なぜ、四家の当主たちは、もっと本気で敵を潰そうとしないのだろう。
なぜ、迷宮を攻略する必要があるとはいえ、外部の探索者に頼りきりなのだろう。
なぜ、お父様は――。
なぜ――。
何かがおかしいと感じてはいた。だが、そんなはずはないと何度も結論を出した。そうでなければ、曲がりなりにも現在行っている活動と矛盾してしまうからだ。
もしも【封神四家】全てがそうならば、そもそも≪迷宮踏破隊≫など設立するはずがないのだから。
スタンピードの真相など、ただの偶然――「大発生」によるものと片付けてしまえば良い。それ以上のことを調査する必要はないのだ。
しかし、現実にはそうなってはいない。
積極的に動かない四家に対する幾つもの「なぜ」――その答えには、他の家を、黒幕たる一家を、警戒しているからという理由で、一応は説明がついてしまう。
だから今日も、答えは出ない。
何もおかしいことなどない、という結論に達する。
それでも不安なのだ。自分だけが必死になって道化を演じているような、そんな妄想に囚われてしまって。
「……エヴァは、よくやってるわよ」
きっと情けない顔をしていたのだろう。慰めるように、フィオナは言った。
「お兄さんの仇を、取りたいんでしょ?」
「…………」
兄の仇を取りたいと思っているのか、実のところは良く分からない。
だからこそ、アーロン・ゲイルを初めて屋敷に招き、スタンピードの真実を告げた時、激怒したアーロンに気圧されてしまったのかもしれないから。
確かに兄のことは尊敬していたし、家族として好きだった。優秀な人で、いつも優しかった。けれど本当は兄の仇などどうでも良くて、ただ自分たちが正しく、清廉潔白で、間違っていないことを証明したいがために、黒幕を白日の下に晒し、断罪したいのかもしれなかった。
だが、そんなことは誰にも言えないし、言うべきではない。
「そうね。お兄様の仇を取るためだもの。頑張らないとね」
と、エヴァは取り繕うように笑った。それをフィオナは、
「違うわよ」
間髪いれずに否定する。
「ええ……? どういうこと?」
戸惑うエヴァを真っ直ぐ見つめて、フィオナは続けた。
「私が言いたいのは、アンタはもう十分頑張ってるってこと。これ以上頑張る必要なんてないわ」
「…………」
「後は私たちに任せなさいよ。不安なことがあるなら黙ってないで相談しなさいよ。他人を信じて自分の重荷を任せることも、必要でしょ? それが信頼するって事なんじゃないの?」
「フィオナ……」
思わず目を瞪って友人を見る。
それはあまりにも思いがけない言葉だった。
「やっぱり……変わったわね、貴女」
「そう?」
フィオナとの出会いは興味本位だった。
女の身でソロの探索者をしていて、おまけにそこそこ成功している。そんな人物像に、勝手にシンパシーのようなものを感じてもいた。だから接触し、パトロンとして支援し、意外にもだらしないところなんかも目撃しつつ、同年代の友人として付き合っている。
そこに何か、運命的で劇的な出来事があるわけではなかった。
だが、悪く言えば失礼で、良く言えば明け透けなフィオナの態度は、単なる友人として付き合うには何も気負う必要がなくて、どこか心地好かった。
損得なしに、フィオナとは友人でいたいと素直に思える。
一方で、出会った当初は先ほどのような言葉を口にできるような人物ではなかった、とも思う。
フィオナはどこか、いつもピリピリとしていて、何かに焦っているような印象だった。それが変わり始めたのは、スタンピードの後くらいからだろうか。
そしてここ最近、フィオナはさらに著しい変化を見せている。
探索者として強くなったから自信がついた――というのとも、微妙に違うような気がする。
その変化の理由は、たぶん……、
「ねぇ、フィオナ」
「何よ?」
「……やっぱり、女でも経験すると……変わるものなのかしら?」
頬を赤らめて聞いた。
「はあ? 経験って……何の経験よ?」
「それは……ッ…………やっぱり、良いわ」
言いかけて、でもはっきりと口にすることはできなくて、諦める。
深窓の令嬢たるエヴァには、とても口に出しては聞けなかった。
「良く分からないけど」
なぜか恥ずかしがるエヴァに、フィオナは言う。
「何か、私にして欲しいことがあるなら、してあげるわよ? っていうか、何かあるからこんな日に呼んだんでしょ?」
こんな日、というのは、明日にノルド討伐を控えた重要な日、という意味だろう。
「別に……本当にそういうわけじゃないのだけど……でも、そうね……」
何か頼み事があって、フィオナを呼んだわけではないのだ。漠然とした不安に囚われて、誰かに傍にいてほしかっただけなのだから。
だが、せっかくの機会――エヴァは思い切って、友人に頼み事をした。
とはいえ、それを口に出すのは物凄く恥ずかしかった。なので耳まで真っ赤にしながら、蚊の鳴くような声で言う。
「えっと……私、不安で、ちょっと、怖いのかも……。だから、えっと…………ギュッて、してほしい、の、だけど……」
痛いほどの沈黙が舞い降りた。
ちらり、とフィオナを見ると、ぽかんと口を開けている。唖然としているのか、それとも呆れているのか。エヴァが自分の発言を後悔し始めた頃に、クスッとフィオナが笑う。
「何よそれ、子供みたいね」
「わ、悪いかしら?」
エヴァの母はエヴァが幼い頃に死んだ。だからエヴァには母に甘えた記憶がない。それゆえ無意識に、どこかで母性を求めるような願望があるのかもしれなかった。
とはいえ、
(友人同士とはいえ、少し気持ち悪かったかしら)
と、後悔する。「冗談よ」と取り繕うセリフを言おうとして、
「……大丈夫よ」
その前に、フィオナは腕を伸ばしてエヴァを引き寄せた。
エヴァの頭を胸の中に抱え込むようにして、抱き締める。
「何かあっても、私が守ってあげるわよ」
「…………フィオナ」
この友人は、本当に強くなった、とエヴァは思う。
いや、あるいは、出会った時から強いのは変わっていないのかもしれない。長く付き合っていく内に、ただ自分がそれに気づいただけなのだ。
それは他人を安心させる強さだ。優しさという名前の強さだ。だから今日、一緒にいて欲しかったのかもしれない。
エヴァはフィオナの胸に顔を埋めて、息を吸い込んだ。どこか安心するような、優しい匂いがした。
そして、あえて不満をあげるなら、
「…………かたい……胸骨の感触がするわ……」
「………………ぶっ飛ばして、良いかしら?」
母性の象徴は少しだけ小さかった。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます!
本日1月19日、「極剣のスラッシュ」第一巻が発売されます!
Web版の内容をブラッシュアップし、さらに新たな展開、戦闘シーン、ヒロイン視点のシーンなども追加しておりますので、Web版既読の皆様でも楽しめる内容になっているのではと思います!
ご興味あれば、ぜひぜひ本を手に取っていただけると嬉しいです!
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