【55】「おかえりなさい」
――振る。
振る。振る。振る。
剣を振る。
その度に霧のようなオーラを大量に放ち、空中で刃の形に凝集させていく。作り上げた刃は空中に浮かぶ巨大な水球の周囲を廻らせ、待機させておく。
無数の刃は【連刃】によるものだが、それは淡緑色のオーラで構成されており、いつもとは違うものだと一目で分かる。
理由は俺が振っている剣――『風晶大樹の芯木』で作った木剣、「翡翠」によって、風属性を付与されているからだ。
【連刃】の刃が十分に溜まり、大水球の周囲を卵の殻の如く刃が埋め尽くしたところで、イオが水球から水を沼へと戻し始めた。
急激に小さくなっていく水球の内部で、大猩々が水の檻の外へ飛び出さんと暴れている。このままでは遠からず、そうなるのは間違いないだろう。
だが、俺は十分に水球が小さくなった段階で、大猩々の拘束が解けるよりも先に、待機させておいた全ての刃を動かした。
我流剣技――【風牙連刃・大牢玉】
大猩々へ向かって一斉に殺到した風の刃は、次々と奴の体を切り刻む。同時に、切り離された肉体の一部は刃が纏う風によって、断面が癒着できないよう瞬時に飛ばされてしまう。
幾ら高い再生能力があるとはいえ、一から失われた肉体を生やすのは、一瞬とはいかない。
刃は小さな玉の中で循環するように高速で廻り続け、大猩々の肉体を細切れにし、微塵切りにし、そして血煙と化すまで執拗に刻み続けた。
同時に、刃が纏う風によって血の一滴すら逃さず、風の玉の中に大猩々を封じ込める。それは一見すると、赤黒い球体に見えた。
そこへ、イオが準備していた最後の魔法を発動させる。
火炎魔法――【インフェルノ・フレイム】
出現させた場所から動かすことができない代わりに、ただひたすら高温を追求した炎が、激しい光を放ちながら出現し、赤黒い風の球体に飲み込まれた。
それは一瞬で煌々と輝く炎の球体へと変じ、内部の物全てを燃やし尽くす業火となる。
程なく炎は消え。
上空に流れる穏やかな風に吹き散らされて、大猩々であったものは塵一つ残さず、消滅した。
●◯●
現在、探索者ギルド三階にある会議室の一室が、「大発生及び特異個体対応本部」として占有されている。
災害対応本部とはまた別の、「大発生」鎮圧に向けて動く探索者たちへ指示を出すための場所で、主にギルドが主となって情報を集め、適宜探索者たちに指示を出しているのだ。
室内では机やテーブルの上に資料が山積みとなり、ギルド職員たちが忙しそうに働いている。
そんな光景を横目に、俺は目の前にいる人物に目を向けた。
俺の対面には齢60を超えようかという、禿頭に白い髭面の老人が腕を組んで立っている。ただし体躯は老人とは思えぬほど筋骨隆々で、今でも現役の探索者相手に肉弾戦ができそうな体格だ。
この化け物じみた老人は、探索者ギルドのギルド長である。
「二人とも、まずはご苦労だったな」
ギルド長が口を開いて、嗄れた声で言った。
まるで労われているような気がしないが、労っているとしたら、つい数時間前に大猩々の特異個体を討伐したことに対してだろう。
迷宮から戻った俺とイオは、休む間もなくギルドに召集されていたのだ。
「さっそくで悪いが、報告を聞かせてもらおう。……確実に討伐したんだな?」
ギルド長の問いに答えたのは、俺の横に立っているイオだ。
「一帯を念入りに調査しましたが、特異個体の再発生はありませんでした。おそらく、討伐できたものと思われます」
「ほう……そうか。で、今回も魔石は出なかったか?」
「はい。ドロップの類いは一切出ませんでしたね」
「迷宮の魔物ではなくなる、か……。やはり、寄生しているのは外来種だな」
「まあ、地上にそんな魔物がいるとは聞いたこともありませんが、ドロップが出ない以上、そう判断するのが妥当でしょう」
「うぅむ……どうだ? もう出ないと思うか?」
「さて……それは何とも。今回討伐したもので、4体目ですからね」
肩を竦めて答えたイオに、ギルド長は渋面を浮かべた。
そう、実のところ、今回の「大発生」を引き起こしたと思われる「特異個体の魔物」は、一体ではなかったのだ。イオが口にした通り、今日討伐したものを含めて既に4体が確認されている。
これまでに判明している「特異個体」についての情報は以下の通り。
一つ、特異個体は寄生型の生物であり、宿主を変異させる能力がある。
これは以前討伐しようとした個体が、俺たちの目の前で別の魔物に寄生し直したことで判明した。微塵切りにしたり爆散させたりして、完全に殺したと思ったら、近くの魔物にスライムみたいに液状化して襲いかかり、肉体を乗っ取ったのだ。あの時はマジで驚いたが、微塵切りにした後に、普通に再生し始めたのも驚いた。
まだ特異個体の本体が寄生生物だと判明していない時の話だが、殺したと思って放置した肉片から再生され、自分たちが討伐し損ねていたことを後から知ることにもなった。
とにかく、ふざけた再生能力を持っているのだ。
一つ、特異個体の本体(または核のようなもの)は非常に小さいと予想されるため、討伐するには宿主ごと肉体を燃やし尽くす必要がある。
なぜ小さいと分かるかと言えば、微塵切りにしても死ななかったからだ。それなりに大きく、かつ斬れば死ぬような存在であれば、その時点で死んでいるはずだ。
おまけに微塵切りにしたところで寄生している本体を見つけることもできなかった。あるいは半液状の肉体を有し、血液などに擬態している可能性もある。そう考えると、取り零しなく宿主の肉体ごと、全てを焼却するしかない。
しかし水分をたっぷりと含んだ肉体を灰にするには、かなりの時間がかかる。それは魔法には不向きだ。ゆえに、あのような討伐方法となった。
予め微塵切りにしておけば、短時間でも燃やし尽くすことができる、というわけだ。
一つ、特異個体は一体ではない。
さっきも話題に上がったように、すでに4体の特異個体を討伐している。更にいるのかは不明だが、全ての特異個体が何かに寄生され、変異したものなのは分かっている。なぜなら4体とも全て別種の魔物にも関わらず、体色が黒く、そして瞳が金色に変化していたからだ。
一つ、寄生されて変異した魔物は、時間が経過するほど変異が進行し、強化される。
どうも他の魔物を喰らうと、その魔物が持つ能力をコピーすることができるらしい。今回討伐した大猩々は、密林階層の魔物の能力しか使わなかったので、寄生してからあまり時間が経っていなかったのだろう。
他3体の個体では、もっと多様な能力を使う奴もいた。
ともかく――特異個体が一体ではないことが、状況を長引かせている。
本来なら一週間くらいで鎮圧できてもおかしくはなかった。だが、特異個体が複数存在するのが問題だ。実際のところ、すでに魔物の発生量は元に戻っている。すでに発生してしまった魔物も40階層以下では粗方討伐され、迷宮の封鎖も20層までは解除されていた。
しかし、一度は封鎖を解除した階層で、2体目の特異個体が出現し、下級探索者たちに大勢の被害が出たのだ。これにより一度は沈静化した魔物の大発生が少しだけぶり返してしまった。
寄生型の生物で、一体ではなく、おまけに何処に現れるか分からない。だからギルドとしても、安易に封鎖を解けないでいるのが現状なのだ。
それでも今回のことで、25層までは封鎖が解除されるだろう。
フィオナたちがまだ25層で活動していたのも、下級探索者たちの被害により、再度大量発生した魔物を再び駆除するためだった。今回、特異個体の討伐のために潜ってみた感じ、増えた魔物もほとんど駆除されているようだしな。
危険が完全に排除されたとは到底言えないが、そもそも迷宮の探索が危険でないわけがない。それにネクロニア経済のことを考えれば、何時までも迷宮を封鎖しておくわけにはいかないという、現実的な問題もある。
ギルド長は深いため息を吐いた。
「しばらくは順次封鎖を解きながら、様子を見ていくしかねぇか……」
全ての特異個体を討伐できたのか確かめる方法がない以上、そうするより他にないのだろう。
「まあ、ともかく今日はご苦労だったな。また出たら、頼むぜ?」
俺とイオはちらりと視線を交わし、揃って渋面を作った。
仕方ないと分かっちゃいるが、酷使され過ぎだろう、と。
2体目の特異個体によって下級探索者にも多くの被害が出ている。それゆえに、これ以上探索者に余計な被害を出したくないというのは理解できるのだが、それにしたって今回のように二人だけというのは勘弁してもらいたいものだ。
まあ、階層によっては≪鉄壁同盟≫も討伐に参加する手筈なのだから、今回よりはマシになるはずだが。
できれば特異個体の討伐か、41層以降の魔物駆除、どちらか一方に専念させてもらいたいものだ。
「おいおい、お前ら、そんな顔するんじゃねぇよ。たっぷり報酬は弾んでやるからよ。な?」
「ええ……」
「ああ……」
俺たちは曖昧に頷いて、その場を後にした。
●◯●
イオと共に一階のロビーに降りると、ロビー内にたむろしていた探索者たちの視線が集中した。
一部は「賢者」と謳われるイオへ向かう。これは何時ものことであり驚くには値しない。何しろイオは伝説の探索者として今でも有名な男だ。
だからおかしいのは、イオよりも多くの視線が俺に集中したことである。
ロビーの探索者たちがひそひそと、こちらを見ながら何事かを囁いていた。
「おい、あれって……」
「ああ、間違いねぇ。あいつがそうだぜ」
「噂の……」
「剣舞姫の師匠って奴か」
「今回の討伐も、あいつと賢者がやったんだろ?」
「二人だけで狩ったって話だが……本当かよ」
どうもここ最近、探索者として俺の名が広まりつつあるらしい。
理由は特異個体の討伐に関連するあれこれだ。
基本的に討伐の際は邪魔にならないように他の探索者を退避させてから行うが、そうも言っていられない場合もある。2体目の特異個体が出現したのは8階層というかなりの浅層で、下級探索者たちの多くが突然襲われてしまい、ギルド側も退避を勧告するのが遅れてしまった。
そういうわけで緊急で派遣された俺たちは8階層で特異個体相手に足止めに徹し、他の探索者たちを逃がすために戦うことになったのだが、それが少なくない人数に見られていたらしい。
他にも特異個体を監視しておくために派遣された斥候隊などは、俺たちの戦闘を目撃する機会があり、そちらからも噂が流れていったようなのだ。
まあ、今までほぼ無名に近かった奴がいきなり重要な役割をギルドから任されたのだから、あいつは誰だと噂されるのも無理はないのだろう。
「俺はあいつが戦っているところを見たぜ。見たこともないスキルを使っていたし、やべぇ強さだった。もしかしたら、剣聖よりも上かもな……」
「≪迷宮踏破隊≫の一員なんだろ? ってことは、最低でも46層までは行ってるってことか」
「噂じゃあ、新クランマスターの座を賢者と争ったくらいの実力者らしいが……」
「確か……『マイスター・ゲイル』とか、呼ばれているらしい」
「マイスター? 何でマイスター?」
「さあ? 分からんが、ともかくそういう二つ名があるみたいだぜ」
「……ハッ! もしかして、おっぱいマイスターとか、そういうことか!?」
「……その可能性は、あるな」
「……俺も弟子にしてもらおうかな」
しかも木剣職人としての二つ名が、微妙に変化して伝わっているし。
なんだ、おっぱいマイスターって。ふざけてるのか? 俺はどちらかと言えば、ヒップ・マイスターだッ!!
――って、違う。そんなことはどうでも良い。
「素直には喜べねぇな」
ため息混じりに、思わず呟く。
昔の俺なら探索者として有名になることに対して、素直に喜んだかもしれんが、木剣職人としての名声を手にして以降はそうでもない。特に今は、探索者としての名声など余計な仕事を任されるだけで鬱陶しいだけだ。
そんな反応をする俺に、イオは疑問に思ったのか口を開いた。
「ふむ……あまり有名にはなりたくないのかね?」
「そういうわけじゃないが、今は困るんだ」
「今は? 何か懸念でも?」
少しだけ真剣な表情となって問うイオに、俺は深刻な口調で答える。
「ここ最近、ギルドの仕事が忙しすぎて、ほとんど木剣を作れていねぇ。この三週間で作った物と言えば、翡翠くらいだ……」
翡翠は別に、特異個体の討伐に必要だからと作ったわけじゃない。
木剣を作ることで本当に強くなれるんだと、フィオナに証明するために作ったのだ。今は詳細は省くが、実際、俺は翡翠を完成させることで強くなった。【連閃刃】の溜めもだいぶ短くなったしな。
しかし、この三週間で作ったのは翡翠だけだ。依頼されている木剣の作成も、滞っているのが現状。依頼人たちは緊急時ということで理解を示してくれてはいるが……。
「探索者の仕事にかまけて本業を疎かにするとは……忸怩たる想いだぜッ!!」
俺はギリリと歯を食いしばり、拳を握って悔しげに叫んだ。
そんな俺を、イオは呆然としたような顔で見つめる。
「嘘だろう……? 君、本業は職人のつもりだったのか……?」
「は? 何を当たり前のことを」
探索者として働くことは誰にでもできるが、木剣職人の巨匠として業界を牽引していくことは、この俺にしかできないのだ。考えるまでもなかろうがッ!!
「それに、今は弟子の育成にも忙しい……魔物なんか狩っている場合じゃねぇんだよ」
「弟子……って、フィオナ嬢のことだろう? ならばむしろ、彼女と一緒に魔物と戦った方が良いんじゃないか? 実戦に勝る修行はないのだから」
「はあ? 魔物なんぞと戦わせてどうする? 今はとにかく一本でも多くの木剣を作ることが重要だろうが」
「は? 木剣?」
「ん?」
「え?」
「……?」
何か話が噛み合っていないような気もしたが、俺たちは気にしないことにした。
「――ま、まあ、とにかく」
と、雰囲気を変えるようにイオが咳払いをしてから言った。
「アーロン、君が有名になるのはある意味仕方ないだろう。というか、今まで君が探索者として無名に近かったことの方が、私としては驚きなのだがね」
「…………昔は弱かったからな。遅咲きなんだよ、俺は」
「ふむ?」
実際、俺は≪栄光の剣≫を脱退してから8年目までは15階層を越えることもなかった。その後、木剣を作り始めてからどんどんと階層を更新するようになったが、最上級探索者と呼ばれるようになったのは――つまり30層を攻略できたのは、フィオナと出会った後のことだ。
探索者の下積みとしては長すぎる。
もしも、もっと早くに強くなれていれば、たとえば脱退してから5年くらいで20階層を越えられていれば、≪栄光の剣≫に戻ることもできただろう。20層とはいえ、ソロで越えられるなら実力としては十分なはずだ。
だが、そうはならなかった。
俺の探索者人生の中で、【スラッシュ】を多種多様な剣技や戦技へ昇華できるようになったのは、比較的最近のことでしかない。
他の探索者と関わりが薄かったこともあって、俺のことが良い意味で話題になることはほとんどなかったのだ。木剣で戦い始めてから、バカだのアホだのとは、ずいぶんと言われたが。
「さて……アーロン、まだ何があるかは分からん。連絡はつくようにしておいてくれよ?」
「ああ、分かってる。家にいるから、何かあったらそっちに連絡をくれ」
ともかく、今日の仕事は終わりだ。
イオとはギルドの前で別れ、俺はさっさと家に帰ることにした。
途中、屋台で夕飯を購入してから帰路につく。余裕がある限りは自炊している俺だが、ここ最近は忙しくてそんな暇もない。適当に腹に溜まりそうな物を、多めに購入した。ストレージ・リングがあるから持ち歩く必要がないのは便利だ。
早くも酔客で騒がしい屋台通りを抜けて、夕暮れの街中を歩いていく。
しばらくして、我が家に到着した。
玄関の鍵を開け、中に入る――――と、廊下の先、アトリエとして使っている部屋の奥からバタバタと足音がして、それからガチャリとドアが開いた。
「――おかえりなさい」
アトリエから出て来たのは、作業用に分厚い生地のエプロンを身につけた、フィオナだった。




