【53】「特異個体」
【神骸迷宮】において発生した魔物の「大発生」に対して、探索者ギルド、【評議会】、【封神四家】が「ネクロニア臨時災害対応本部」を設営し対応を協議した。その結果、以下のような対応策が講じられることになった。
一つ、「災害時特別迷宮探索許可証」を発行された者以外の、迷宮への立ち入りを全面的に禁止すること。
一つ、探索者の中から精鋭を抽出し、その実力によって担当区域を決定し割り振り、大量発生した魔物の駆除に当たらせること。
一つ、「大発生」の「核」と思われる特異個体の魔物を発見した場合は、被害拡大を防ぐため戦闘は行わず、即時撤退し、ギルドに報告すること。
一つ、特異個体の討伐は、ネクロニア臨時災害本部が認定した、特に実力あると認められた探索者に依頼すること。
俺たち探索者にとって関係のある決定事項はこれくらいだが、他にも迷宮を封鎖することによる経済的打撃や探索者の他都市への流出を防ぐため、一時的な税の優遇措置や特別補助金の準備など、色々なことが決定された。
しかしまあ、それら細々としたことに関しては、今は特に気にしなくても良いだろう。
俺たち≪迷宮踏破隊≫に関しては、元々全員が最上級探索者である関係上、全員が「特別許可証」を発行され、「大発生」鎮圧に向けて魔物の駆除に参加することになっている。
それで、担当区域の内訳としては……
クランの中ではフィオナが単独で21層~25層を担当する――と言っても、この状況下でソロでの活動が許可されるわけもなく、ギルドから選別された他の探索者たちと一緒に行動することになる。
次に26層~30層はカラム君たち≪バルムンク≫と、これまたギルド選出による他の探索者たちが担当だ。
そして31層~35層は≪グレン隊≫とギルド選出の探索者。
36層~40層はクレアたち≪火力こそ全て≫とギルド選出の探索者。
41層~45層は俺とイオ、それからガロンたち≪鉄壁同盟≫が担当することになっている。
ちなみに20層以下にもきちんと探索者たちは割り振られているし、40層までを担当する探索者たちは、最低20人以上のレイドを結成している。
だが、41層~45層は人材の不足により、俺とイオと≪鉄壁同盟≫の8人だけだ。
なので41層以降での本格的な活動は、他の階層での魔物駆除が一段落し、人員に余裕ができてからとなる。余裕ができれば、各階層に割り振られたクランメンバーたちが合流し、41層以降の魔物駆除に移行する予定だ。
なお、46層以降も「大発生」によって魔物が増えていることが確認されているが、現段階では手出しすらできないのが実状である。
とにもかくにも、ネクロニアという都市の性質上、いつまでも迷宮を封鎖しておくことなどできるわけもなく、俺たち≪迷宮踏破隊≫は慌ただしく「大発生」鎮圧に向けて、駆り出されることになった。
大量に発生した魔物は討伐しなければ減ることはないが、新たに発生する魔物はその限りではない。迷宮に取り込まれる探索者を極力減らし、魔物を駆除していけば、遠からず魔物の発生数は元に戻るはずだ。
――そして、あっという間に3週間が経過した。
●◯●
【神骸迷宮】25層、密林階層にて。
鬱蒼と木々が生い茂る蒸し暑い森の中で、俺は気配を殺しながら連絡が来るのをじっと待っていた。
目標のいる地点からは、100メートルは離れているだろうか。これだけの距離があると、密集する木々に遮られて、守護者のいる岩山エリアを見通すこともできない。
だが、それは同時に向こうからもこちらを見ることができない、ということでもある。
激しい音を立てたり、戦闘をしない限り、まず気づかれることはないだろう。
まあ、気づかれたところで問題はないと言えばない。元々奇襲をするつもりではないのだ。今はただ、戦闘開始の合図を待っているに過ぎない。
そして程なくして、密林の中に佇む俺の耳元で、空気が震えた。
『――アーロン、斥候隊の撤退は完了したようだね。今、報告があったよ』
密林にいるのは俺だけだ。傍に人はいない。
しかし、その声は耳元で囁かれたかのように、はっきりと響いた。
風魔法――【リモート・ヴォイス】
遠くまで声を届けるという、ただそれだけの魔法。下級風術師の段階で修得できる簡単な魔法ではあるが、密林という障害物を隔てて1キロ以上先の人物に声を届けるのは、至難の業だ。おまけに余剰魔力が周囲に拡散されることもなく、隠密性が高いとなれば、本職の風術師でも固有ジョブレベルの離れ業と言って良い。
だが、声の主は風術師ではなかった。
声の主は『賢者』イオ・スレイマン。
ここ最近は一緒に行動することも多かったため、呼び方が「アーロン君」から「アーロン」へと変化している。実にどうでも良いことではあるが。
「了解。……そっちの準備は良いのか?」
小声で呟いた。
俺は【リモート・ヴォイス】など使えないので本来なら声が届くはずはないのだが、当然のように返事が戻ってくる。
『私の準備は万端だ。後は君が上手く追い込んでくれれば、チェックメイトさ』
どういうカラクリで会話が成り立っているかと言えば、これもまた風魔法によるものだ。
風魔法――【エア・バッギング】
対象の近くに小さな空気の玉を設置し、その空気の玉が受けた振動――つまり音を、自分の耳元で再現する魔法である。
「その追い込むのが面倒なんだがな……」
『なかなか知能が高いようだしね。まあ、力任せに追い込むか、気づかれないように巧妙に誘導するかは、君に任せるよ』
「好き勝手言ってくれるぜ……」
うんざりしながら言葉を返す。
狩人みたいに獲物を目的の場所へ追い立てるような真似は、ほとんど経験がないのだ。基本、迷宮の魔物は逃げることがないからな。
だから敵を追い立てるというのは、俺にとって面倒な作業だ。
だが、やるしかないのも分かっている。俺は小さくため息を吐くと、観念してイオに告げた。
「んじゃまあ……始めるぞ」
『了解。健闘を祈る』
それを最後に魔法の維持を解除したのか、俺の口元に浮かんでいた空気の玉が消えた。
俺は剣帯で腰に吊るしていた鞘から黒耀を引き抜いて、戦闘へ向けて意識を切り替える。
今から戦うのは、【神骸迷宮】に「大発生」を引き起こした「核」と目される、特異個体の魔物だ。
25層で活動していたフィオナ他、魔物駆除に当たっていた探索者たちが発見し、ギルドに報告した。それから特異個体の正確な居場所を特定し、監視するために斥候隊が派遣され、少し遅れて俺とイオが派遣されたというわけだ。
そう、特異個体討伐を任せられたのは、俺とイオなのである。
……2人だけというのがちょっとアレだが、下手に人数を増やせば被害が拡大しかねない。本来なら俺たちの他に≪鉄壁同盟≫も共に対処に当たるはずだったのだが、密林という環境では残念ながら、ガロンたちに活躍の機会はない。
敵を追い立てるという今回の作戦の性質上、ある程度以上の機動力が求められるのだが、≪鉄壁同盟≫は全員が盾士系ジョブで、機動力は低い。密林のような動きにくい環境では尚更だ。
なので今回は≪鉄壁同盟≫は作戦から除外され、まずは俺とイオだけで対処に当たることになった。
それらの事情は理解できるんだが、それにしたって2人で対応しろとはふざけている。災害対応本部は俺たちを何だと思っているのだろうか?
小一時間どころか半日はたっぷりと文句を言いたい気分だが――ともかく。
幸いにして特異個体は発見場所からさほど移動してはおらず、斥候隊が改めて探し直す手間も省けた。
もしも特異個体が移動を開始しても、俺が牽制できる距離まで移動し終えたところで斥候隊は戦闘に巻き込まれないように撤退し、さらにイオが「準備」を終えるまで待っていた――というのが、ここまでの流れであった。
ちなみにフィオナたちが特異個体を発見した際、突発的に戦闘に発展したそうだが、負傷者こそ出たものの、誰一人欠けることなく撤退できたようだ。
フィオナたちの報告では、戦闘能力自体は、まだ、そこまで異常でもなかったらしい。
だからこそ面倒な相手なのだが。
むしろ、強かった方が面倒がなかったかもしれないくらいだ。
まあ、ぐだぐだと考えていたところで、この期に及んでボイコットできるわけでもないし、覚悟を決めるか。
俺は一つため息を吐くと、その場で膝をたわめ、足裏にオーラを集束させた。そして地を蹴り跳躍する。
我流戦技――【瞬迅】
足裏でオーラを爆発させ、密林の分厚い梢を貫いて、高く高く跳躍する。
一瞬で密林の樹冠よりも遥かに高く、地上30メートルほどにまで跳躍した俺は、上空から眼下――その先にある目標地点を見下ろした。
どこまでも緑の絨毯が広がっているような光景の中、およそ100メートルほど先に、大きな岩山のあるエリアがぽつんと存在している。
本来ならば25層の守護者である大猩々と、その取り巻きであるワイルドエイプたちが根城にしている場所だ。
軽く30頭は超えるだろうワイルドエイプの群が、空高く跳躍した俺を見上げ、警戒するように甲高い鳴き声をあげていた。
【瞬迅】の爆発音は木々に吸収されてそう煩くはなかったはずだが、それでも奴らにとって、音に気づいて警戒するには十分な音量だったらしい。
そして――。
「あれか……!!」
岩山の最も高い場所で、手下のワイルドエイプたちと同じようにこちらを見上げている魔物がいた。
そいつは体長にして4メートル近くはありそうな、巨大な猿の魔物だ。人間など容易く捻り殺せそうなほど隆々とした筋肉に鎧われ、口からは鋭く巨大な牙を覗かせている。
その姿形は守護者である大猩々と全く同じものだ。
しかし、体色だけが明らかに違っていた。
通常の大猩々は白色の体毛に茶色の瞳だが、現在、視線の先にいる個体は黒色の体毛に金色の瞳をしていた。
大猩々の特異個体、というわけだ。
「まずは……!!」
現状、奴らはこちらを見上げるばかりで逃げようとはしていない。まだ、こちらの戦力がどれくらいなのか、把握できていないからだろう。
そしてそれ以上に、通常、迷宮の魔物は逃走などほとんどしないものだし、相手は俺は一人だけだ。圧倒的に数で勝る自分たちが有利と判断するのも当然だった。
それを利用させてもらう。
俺は空中で腰だめに黒耀を構えると、その先端近くを左手で掴んだ。同時、剣身と左手へオーラを注いでいく。
――ギィイイイイイッ!!
剣と左手の間で、オーラによって反発した力が蓄積されていく。そのスピードは以前までと比べてかなり速く、鳴り響く音はガラスを引っ掻いたような不協和音となった。
必要なオーラを溜め、練るのにおよそ1秒。
剣への負担を考慮しなければ、もっと縮めることもできるだろう。
ともかく。
俺は宙に滞空している間に、全ての準備を整えた。
「――――!!」
剣へ集束する高密度のオーラに警戒心を抱いたのか、特異個体の大猩々が即座に動く。
それは俺に対する迎撃、防御、そのどちらでもない。奴は一瞬も迷うことなく、すぐさま逃走の姿勢に移ったのだ。
通常、迷宮の魔物ではあり得ない判断。そして判断を下すまでの時間があまりにも早すぎる。自分より少しでも強い相手とみれば、躊躇いなく逃げる魔物。討伐する側にとって、それがどれだけ面倒なことなのかは、言うまでもないだろう。
だが、俺が剣を振り抜く方が圧倒的に速い。
「――シィッ!!」
――ギンッ! という音と共に、左手から剣先を解放し、一瞬の内に大きく横薙ぎに振り抜く。
虚空を裂いた剣線をなぞるように、眩く輝くオーラが一本の刃となって高速で飛翔する。
我流剣技【連刃】、【閃刃】――合技【連閃刃】
飛翔した刃は岩山に届く遥か手前で、分厚い紙束が一斉にばらけるように、バラリと分裂した。それは一本一本が剃刀のような薄さと切れ味を持つオーラの刃だ。
一本の刃は無数の刃と化し、空中に網の目のような一種幾何学的な模様を描きながら、その殺傷圏を広げていく。
そして【連閃刃】は、大猩々が岩山エリアから逃げ出すよりも、遥かに速く到達した。
無数の刃が上空から、岩山にいる魔物たちに向かって降り注ぐ。
ばづんっ!! という、何かを思いきり叩きつけたかのような轟音の後に、ワイルドエイプたちの悲鳴が響き渡った。
岩山の表面に網の目のような亀裂が深く刻まれ、切り裂かれたワイルドエイプたちがブロック状の肉塊となって飛散し、散乱する。
加えて、【連閃刃】は間違いなく大猩々をも捉え、刃はその肉体を通りすぎたが……、
「――チッ、予想通りか」
思わず舌打ちする。
大猩々は決して少なくない量の血を流している。間違いなく肉体をバラバラに斬り刻んだはずだ。しかし奴は信じがたいことに、肉体を刃が通り抜け、断面が斬り離されるよりも先に、一瞬で傷を修復してしまったのだ。
結果として、奴は自分の体を刃が通りすぎた数瞬後には、何事もなかったかのように岩山エリアから逃走を開始している。
35層の守護者、巨人王ノルドや、45層の守護者、皇炎龍イグニトールと比べても、なお非常識に過ぎる再生能力。
率直に言って、斬撃で奴を殺すことはできない。
それは予想通りというか、すでに知っていたことではあるが、何度経験しても面倒臭いものは面倒臭いものだ。
そしてこの異常な特性こそが、特異個体の討伐に慎重になる理由の一つでもある。
奴は大抵の攻撃に対して防御を必要とせず、また幾ら攻撃しても瞬時に傷を修復する。それは頭を爆発で吹き飛ばされても同様だ。つまり奴がその気になれば、攻撃を受けながら防御することなく、敵に接近することができるわけだ。
こういう敵へ対処するには、対処できるだけの実力差があることが前提となる。特異個体の異常な再生能力は、幾ら自分の方が強く、高い戦闘能力を持っていても、多少の差など容易くひっくり返されるくらいに強力なものだ。
徒に人数を増やして対処したところで、被害が拡大するだけでしかない。
だから特異個体相手に、数で圧倒する戦法を選ぶとしたら、俺かイオが敗北して死んだ後になるだろう。
もちろん、俺もイオも殺されてやるつもりはさらさらないが。
「密林か……面倒そうだなッ!」
取り巻きのワイルドエイプどもは始末できたが、ここからが本番と言えるだろう。
俺は岩山エリアから密林の中へ飛び込む大猩々を目で追いながら、虚空を蹴りつけた。
我流戦技――【空歩瞬迅】
弾かれるように空中で加速し、奴を追った。




