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【51】「……辛いぞ?」


 次の日。


 嫌な予感がして朝早くに家を出たフィオナは、【封神殿】の転移陣前でアーロン・ゲイルを待ち構えていた。


 この頃、すでにアーロンは主な探索階層を36層以下へと移していた。対して臨時パーティーを組んで何とか30層を突破したばかりのフィオナは、まだ36層へ転移することはできない。


 もしもアーロンが習慣という名の惰性で迷宮に潜るようなことがあれば、フィオナに手出しはできなくなる。そして今のアーロンの状態で探索などすればろくなことにはならないだろう。死にたがりが魔物と戦っても、遠からず殺されるだけだ。


 嫌な予感は当たった。


 アーロンはいつもよりだいぶ遅い時間に【封神殿】へやって来た。


 その表情は昨日見た時のように、全てに興味を失ったような空虚な表情だった。


「ッ――――ちょっとアンタ!!」


 恐怖と緊張を押し殺して、敢えて刺々しい声を出す。


「…………」


 伽藍堂で無機質な瞳がこちらを向いた。


 本当に自分の姿を認識しているのかも怪しい瞳だ。


 思わず体が震えそうになるのを必死に堪えて、傲然と言い放つ。


「面、貸しなさいよ」


「……………………何の用だ」


 長い沈黙の果てに返ってきた言葉は、ひどく無感情な声音だった。


 その声を聞いた瞬間、フィオナの中から恐怖と緊張が薄れた。


 いつもとのあまりの違いに、恐れるよりも、なぜか悲しくなったのだ。


「私と立ち合いなさいよ。今日こそぶっ飛ばしてやるわ」


「…………」


 自分とこいつの関係は何だろう?


 恋人でも友人でもないし、家族でもない。あるいはアーロンが吹聴していたように師弟関係と呼ぶのも、正確ではないはずだ。二人の間に確固とした繋がりなどないことに気づいた。


 いや、気づいていた。


 アーロン・ゲイルは飄々とふざけた風ではあるが、他人と深く関わることはないと。意識してか無意識なのか、それを避けている節がある。


 アーロンの過去に何があったのかなど、この時のフィオナは知らない。


 だが、あの墓に眠っていた誰かが、アーロンにとっては例外の存在だったのだろう。


「…………」


 アーロンは興味なさげにフィオナから視線を逸らすと、その横を通り抜けようとした。


 思わず唇を噛んだフィオナは、通りすぎようとしたアーロンの腕を掴んだ。


「無視すんじゃないわよッ!!」


「…………」


 怒ったふうを装いながら、手に力を込める。


 自分とこいつの関係など、か細いものだ。しかも客観的に考えてみれば、好意的な要素はないだろう。アーロンにとって自分は、顔を合わせれば何かと突っかかって来る、面倒で五月蝿い相手でしかないのかもしれない。


 だとしたら、今、自分がアーロンに与えられる感情は怒りだけだった。


 でも、それで良いのだ。


 感情とは執着だ。怒りだって執着だ。この世に対する執着が何かしらあるならば、生きようという気力も湧いてくるに違いない。


「…………おい」


「黙ってついて来なさいよ!」


 フィオナはアーロンの腕を掴んだまま、引き摺るようにして【封神殿】を後にする。


 ギルドの地下訓練場に行くつもりだった。今はとにかく、こいつを迷宮に潜らせるわけにはいかないと思った。


 対するアーロンは手を振りほどく気力すらないのか、フィオナに腕を引かれるままについて行く。


 その日、フィオナとアーロンは日が暮れるまで訓練場で剣を合わせたが、アーロンが反撃することはなかった。



 ●◯●



 最初の一週間は、毎日アーロンを探し出して訓練場に連れ込んだ。


 その内アーロンは、隠すそぶりもなく、面倒そうな、うんざりしたような表情を見せるようになった。


 その頃になってようやく、アーロンに纏わりついていた「死の気配」が薄れていったのを覚えている。


 同じ時期、アーロンの数少ない友人であるリオンが、何かとアーロンを気にかけていたことを後で知った。


 アーロンの感情が徐々に戻っていった理由が、自分が鬱陶しく何度も絡んだ結果なのか、それともリオンの働きかけによるものなのか、フィオナには分からない。


 だが、一つだけ確かなことがある。


 もしも異なる可能性を辿った世界を認識することができるなら、あの時フィオナがアーロンの腕を掴んでいなければ、アーロンは死んでいただろう。


 フィオナがその事実を認識することはない。


 自分の命が救われていたことを、アーロンが知ることもない。


 アーロンの命を救おうとしていたことを、フィオナがアーロンに語ることもない。


 ――守りたい大切な人を、守る。


 ここにフィオナの自己実現は、人知れず、成された。フィオナにとってはそれだけで十分で、それ以上を求めるつもりはなかった。


 だから、フィオナは自分がアーロンを救わんと与えた感情が、決して怒りなどではなかったことに気づかない。何か、アーロンからの見返りを期待しての行動ではなかったからだ。


 そしてこの頃から、強さに対する執着はフィオナの中からだいぶ薄れただろう。


 それは、強さだけが人を守れる力ではないと、実感できたことが大きい。


 だが、再びフィオナは強さを求めることになった。



 ●◯●



 時は過ぎて、現在。


 アーロンが忽然とネクロニアから姿を消した日から5日が経ち、戻ってきた日の夜。


 キルケーの屋敷の一角で、アーロンに与えられた客室を訪れたフィオナは、アーロンに言った。


 私を強くしてほしいの――と。


「強くしてほしい……って言われてもな。……何か理由があるのか?」


 フィオナの真剣な様子に、微かに戸惑いを浮かべながらアーロンが問う。


 それに答えるフィオナの声は沈痛だった。


「聞いたでしょ? 私と一緒にクランメンバーを捜索してたパーティーが、殺されたって」


 フィオナはクレアたち≪火力こそ全て≫の面々と、さらにもう一パーティーで消息不明になったクランメンバーの捜索に当たっていた。その途中、迷宮で襲撃を受け、死傷者が出てしまった。


 実は襲撃を事前に【予見】し、クレアたちに注意を促すことはできていた。


 だが、【予見】は完璧ではないし万能でもない。魔物と人間の襲撃の違いを事前に知ることはできないし、【予見】の力を持ってしても自分より圧倒的に強い者が襲ってくれば、何もできずに敗北するしかないのだ。


 それにフィオナたちも迷宮内でずっと一緒に行動しているわけではなかった。捜索の効率を考えれば、分散して行動した方が良い。それでも同じ階層の中で、それほど離れない範囲での別行動だった。


 しかし、その隙を狙われたのだ。


 フィオナとクレアたちが別行動をしていたパーティーのところへ駆けつけた時、戦闘は終盤に差し掛かっていた。合流してからは襲撃者どもを退けることはできたが、襲撃を受けていた仲間たちは三人が死亡し、二人が瀕死の重傷を負っていた。


 手持ちのポーションでも流れ出た血は戻すことができず、生き残っていた二人も、程なく失血性のショックで死亡した。


「私がもっと強かったら、助けられたはずだわ」


【予見】のことは口にせず、ただそう告げる。


 別行動をしていたパーティーが襲撃を受けたことに、いち早く気づいたのはフィオナだ。自分以外に向けられた害意や、浅い繋がりの他人(フィオナが向ける感情の大きさに基づく関係性)に訪れる危機は、【予見】でも事前に察知することはできない。しかし、鋭い直観によって誰よりも早く気づけた。


 だからこそ、もしも自分にアーロンほどの強さがあれば、みすみすクランメンバーを死なせることはなかったはずだと思う。


「そりゃあ、そうかもしれんが……そんなことを言ったらキリがないと思うぞ?」


 呆れたようにアーロンが言う。


 あの時こうしていたらとか、今よりも強かったらとか、確かに言い出せばキリがないだろう。


 もしも、という仮定にも意味があるとは思えない。


 だが、ここ最近、フィオナは自らの力不足を痛感していた。自分は最上級探索者だ。間違いなくネクロニアでも上位の戦闘能力を持つ。しかし、ここ最近自分たちが相手をしている存在は、そんな自分でさえ容易く上回る実力者ばかりだ。


 今の自分の力では、この先の戦いについて行くことはできない。


 アーロンと共に戦うことはできない。


 フィオナはそう予感していた。


 それに、強くなることが無駄だとは思わない。


「私は、強くなりたいの。……お願い」


 真っ直ぐにアーロンを見つめて言った。


 対するアーロンは迷うようなそぶりを見せ、それから問う。


「あ~、それって、今までみたいなやり方じゃなく、もっと踏み込んだ修行をつけてくれ……ってことで、良いのか?」


「そう」


 今までもアーロンには立ち合いという形式で指導してもらっていた。だが、そうではなく、本格的に修行をつけてほしい。それがフィオナの頼みだった。


 迷いなく頷いたフィオナに、アーロンはガシガシと頭を掻くと一つため息を吐き、それから「……分かった」と言った。


「やるからには俺も手を抜かねぇ。中途半端にしたところで意味はないからな。ただ……辛いぞ? 俺の修行は」


「もちろん、覚悟の上よ」


 鋭い視線で覚悟を問うアーロンに、強く頷く。


 そんなフィオナにアーロンは「そうか」と言って、


「いつか……こんな日が来るんじゃねぇかと、思ってた……」


 眩しそうにフィオナを見つめた。


「だから、用意はしてたんだ」


「用意?」


「ああ。お前の修行に必要な物を、な」


「そう……だったの?」


 意外だった。


 アーロン・ゲイルはお人好しだ。それは未だに自分の相手をしてくれていることから、分かってはいた。毎度面倒臭そうにしつつも、自分と立ち合い、どこが悪い、そこはこうした方が良いとアドバイスしてくれるのだから。


 しかし、ここまで自分のことを真剣に考えてくれているとは、フィオナにとっては予想外だったのだ。


 どちらかと言えば、むしろ嫌われていると思っていた。


 フィオナは努めて頬に力を入れる。そうしなければ、だらしなく笑み崩れてしまいそうだったから。


「ああ。フィオナ、まずはこいつを、受け取れ」


「うん。ありが――――と?」


 アーロンはストレージ・リングから、二つの物体を取り出し、テーブルの上に置いた。


 フィオナは素直に礼を言いながら、差し出された物に手を伸ばして――――しばし、固まった。


 それからゆるゆると顔を上げて、対面のアーロンに問う。


「…………これは、何?」


 二つの物体の内、大きい方を指差した。


「そいつは、トレント材だな」


 アーロンは平然と答えた。自分の言葉に全く疑問を抱いていないようだった。


 トレント材――とは、その名の通りトレントから採れる木材のことだ。【神骸迷宮】においては11~15階層に広がる「草原階層」で獲ることのできる素材である。


「草原階層」とは呼ばれるものの、階層の中には森林エリアもあり、そこにはトレントと呼ばれる木の魔物が生息しているのだ。これを倒すことでドロップする素材の一つが、このトレント材である。


 頑丈で様々な物に加工することができ、ネクロニアの重要な輸出産物の一つとなっている。


「…………じゃあ、こっちは?」


 フィオナは二つの物体の内、今度は小さい方を指差して聞いた。


「そいつは、ナイフだな。エルダートレントの芯木を加工して、俺が作っておいた」


 フィオナは真っ黒で艶のあるナイフを持ち上げてみた。それから通常なら刃がある部分を指で撫でてみたが、そこにはどういうわけか刃がついていなかった。


 エルダートレントの芯木ほど硬い素材であれば、それは鋭い刃をつけることが可能だ。しかし目の前のナイフは、刃の部分が潰され、丸く加工されている。これではペーパーナイフほども切れないだろう。


 フィオナは光を失った瞳で、首を傾げた。


「刃がついてない、けど?」


「ああ。刃なんかついてたら修行にならないからな」


 アーロンは「当然だろ?」というように頷いて、フィオナに向き直る。


 その表情は今までに見たことのないくらい、真剣な顔だった。自分の言動に何一つ疑いを抱いていない、澄み切った、曇りなき(まなこ)でフィオナを見つめる。


 そして、アーロンは言った。


「フィオナ…………木剣を、作れッ!!」




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