【50】「アーロン・ゲイル」
フィオナにとって逃げた男を探すことは簡単なことだった。
探す必要すらない。
彼女の持つ異能――【予見】は、自分に降りかかる危険を事前に察知することができる。しかしそれだけではなく、自分と深く関わりのある人物の危険も、ある程度正確に察知することができた。かつて彼女が父と兄の死を予見したようにだ。
だが、この能力の本質は危険を察知することなどではない。
これの本質は神秘的とも言えるほどの直観力だ。
常人よりも遥かに鋭い第六感、とでも言うべきもので、危険を察知するようにはっきりとはいかないまでも、応用できる範囲は広い。
フィオナはただ、逃げた男と出会いそうな場所へと、直観のままに足を運ぶだけで良かった。
そして僅か数日後、【神骸迷宮】27層にて男と再開することになる。
フィオナは一人で迷宮を探索しているとき、自分に纏わりつく薄い靄のような「危険」を、常に感じている。【予見】が、魔物に襲われるという「可能性」を、そのような形でフィオナに知覚させているのだろう。
その靄が、ある時を境に綺麗さっぱりと「晴れた」。
何かの予感に導かれるように地下神殿のごとき迷宮の角を曲がると、通路の先で探していた男が魔物と戦っているのを見つけた。
「――――」
フィオナはしばし、その姿に見惚れた。
男が戦っているのは、数体のスケルトンと2体のフレッシュミート・ジャイアントだった。
スケルトンはともかく、フレッシュミート・ジャイアントはその巨体と痛みを感じないアンデッドという特性から、この階層でも厄介な部類の魔物だ。倒すには強力なスキルか、火力の高い魔法が要る。
対する男は、オーラを宿した剣を無造作に振っているように見えた。
その動きは速くない。むしろ遅いとさえ言えるだろう。おまけに剣を振るう動作に気合いなど欠片も感じ取ることはできず、どこか面倒臭がっているようにすら見える。
だというのに、魔物どもの攻撃は男に掠りもしない。
回避というにはやる気なさげな動作で、億劫そうに体を動かす。その直後に、男のそばスレスレを魔物たちの攻撃が虚しく通りすぎていく。攻撃を回避したことで生まれた隙に、男はのったりとスケルトンたちに近づき、オーラを宿した剣で確実に一体一体仕留めていく。やる気のなさそうな回避に対して、剣を振るう一瞬だけは恐ろしく速く、オーラの残光が目の覚めるような剣閃を虚空に刻みつける。
それは、スキルやジョブによって与えられた能力というよりは、純粋な戦闘技術によるもの――――とは、単純には思えなかった。
確かに目の前の戦闘が高い技術によって行われていることは分かる。しかしそれ以上に、何というか「慣れ」のようなものがあった。
まるで何千体も、この階層の魔物を倒し続けてきたかのような。
だが、男の動きに無駄がないことは見ていれば分かった。そして無駄がないからこそ、機能美を追い求めた兵器のような、ある種の美しさを感じた。
――屈辱だ。
弱者と蔑まれた相手(勘違い)に、このような感想を抱くなど屈辱以外の何者でもなかった。
自分は強くなければいけないのだ。何者も倒せるくらいに強く。そうじゃなければ、守りたい時、守るべき人を守れない。強くないフィオナ・アッカーマンに、存在価値はない。
自らのアイデンティティを揺るがせる相手を、許しておくことなどできはしないのだ。
自分は強者であると、あの男に分からせなければ。
全く危うげもなく戦闘が終わったところで、フィオナは男に声をかけた。
「――見つけたわよ! 私と勝負しなさい!」
スケルトンたちの魔石を拾っていた男が、中腰のままに振り向いた。
そしてこちらの姿を認めた途端に、盛大に顔をしかめる。セリフを付けるなら「うわ」という感じだろう。
男は顔をしかめながらもマイペースに魔石を全て拾い集めると、ようやく上体を起こして向き直る。
「何でだよ。やるわけねぇだろ。じゃあな」
非常に面倒臭そうな顔でそれだけ言うと、返事も聞かずに踵を返してしまった。
お前のような雑魚となんて戦うわけねぇだろ、とでも言いたいのだろう(勘違い)。フィオナは激怒した。
「問答無用! 行くわよ!」
剣を抜いて斬りかかる。男は当然のように反応してみせたが、その顔は「信じられない」という驚愕に彩られていた。
「はあッ!? ちょっ、お前バカか!? 場所を考えろ場所を!!」
「バカはアンタよ! 私は天才美少女剣士って呼ばれてるんだから!」
自分は天才と呼ばれるほど実力ある剣士なのだと告げる。
しかし、戦いは一方的だった。何度か剣を合わせたが、まるでじゃれついて来る子供を相手にするように容易く、剣を弾き飛ばされ敗北してしまう。認めたくはないが、そこには圧倒的な実力の差があった。
だが、許せないのはそれではない。
勝利した男は、剣を鞘に納めると、傲然と胸をそびやかして言ったのだ。
「ふっ、これに懲りたら二度と挑んで来るんじゃないぞ」
鼻で嗤われた上に見下された。
そう感じたフィオナは激怒した。
深い屈辱と怒りによって、フィオナの【予見】が冴え渡る。
次の日――。
「見つけた! 今度こそ倒す!!」
「バカなの!? ねぇバカなのッ!?」
早々に男を見つけたフィオナは問答無用で襲いかかった。
これが男――アーロン・ゲイルとの関係の始まりであった。
●◯●
珍しい漆黒の金属剣だと思っていた剣が、木剣だった。
アーロン・ゲイルは木剣で迷宮に潜り平気な顔して戦うような頭のおかしい人間だった。
だが、その実力は本物だ。
フィオナは何度も挑んで何度も負けた。アーロンと出会ってしばらく経ち、途中で固有ジョブ『剣舞姫』に覚醒したが、それでも勝利を掴むことはできなかった。果たして差が縮まっているのかどうかすら分からないのが現状だ。
それでも以前のような屈辱は感じなくなっていた。
敗北することに慣れたわけでも、諦めてしまったわけでもない。今でもいつかは倒すと心に決めている。だがそれ以上に、アーロン・ゲイルという人間が敵ではないと認識が改まったのが理由だ。
何だかんだ言いつつも相手をしてくれるし、今では強くなるために指導のようなこともしてくれる。あちらこちらの酒場で自分のことを「弟子だ」と吹聴しているようなのは青天の霹靂だったが、今は伏して実力をつける時だと我慢した。
とはいえ、これらのことがフィオナの頑なな心を解きほぐしたわけではない。
アーロンと戦う時、フィオナは迷宮で襲いかか――いや、勝負を挑むことが多い。それはギルドの訓練場よりも迷宮の方が、周囲に気兼ねなく暴れ――いや、戦うことができるからだ。
そして何度も迷宮で戦う内に、気づいた。
アーロンと一緒にいる時、フィオナは大きな危険を感じることがない。それは戦っている最中さえ同様だ。
しかし、これは本来おかしいのだ。
フィオナの【予見】は自分に降りかかる僅かな危険、その可能性でさえも特殊な感覚として知覚してしまう。その危険を完璧に避けることができるかどうかは別問題だが、危険を避けようとすることはできる。そして迷宮の中には多くの魔物がおり、僅かな危険どころか大きな危険を何度も感じるのが普通だ。
だが、それがない。
アーロンと一緒にいる時のみ、特別にそうなると言うなら、理由は推測するまでもなかった。
常にアーロンが周囲に気を配っているから――というだけでなく、フィオナをも守ろうとしているからだ。そうでなければ、自分へ意識を向けた魔物の敵意を、フィオナは「危険の可能性」という形で知覚するはずなのだ。
――守られている。
その事実を理解した時、表現しがたい感情がフィオナの中に生まれた。
自分は守られるほど弱くない、という反発。だが、その感情はそれほど大きくもない。それ以上に、どこかむず痒いような、唇をムニムニとしたくなるような、少しだけ恥ずかしいような、そんな感情が心を満たす。
はっきりと名付けることのできないその感情は、心地好いわけではないが、なぜか嫌ではなかった。
そして更に時は過ぎ――ネクロニアにスタンピードが起きた。
●◯●
ネクロニアの探索者の一人として、フィオナもスタンピードを戦った。
ギルドの指示に従って多くの魔物を倒し戦果をあげた。市民の多くを自分の力で助けることができたという実感を得ることができ、心に刻まれた傷は幾らか薄くなったような気がした。
だが、戦っている最中はそんなことなど意識する暇もなく、ただただ無我夢中で剣を振るうだけだった。
そうして程なく、どこの誰かも分からない人物がスタンピードの「核」を討伐したことで、魔物たちの暴走は収まり、スタンピードは鎮圧されることになる。
大きな被害を受けながらも、ネクロニアは周辺三国と【封神四家】からの手厚い支援と援助により、復興への道を歩み始めた。
スタンピードで大きな活躍をしたことで『剣舞姫』の名はさらに広まり、絶縁状態だった母たちとの蟠りも解消されることになった。
久しぶりに会った母は仕方なさそうに「頑張りなさい」と苦笑し、祖父母や商会を継いでいる伯父たちは、フィオナを商会の広告塔にできないかとウキウキと画策していたようだった。もちろん、それは断ったが。
ともかく。
スタンピードが終息して何日かは忙しい日々が続いたが、ようやく忙しさもピークを過ぎた頃、フィオナはふと、久しぶりにアーロンへ会いに行こうと思い立った。
ギルドの指示を受けて動いていた探索者たちの中に、アーロンの姿がなかったのを思い出したのだ。
まあ、自分が見ていないだけで何処かで戦っていたのは間違いないと思うが、ギルドから特に活躍した者として表彰されてもいないのが気掛かりだった。自分は表彰されているのに、だ。
ちなみに今回のスタンピードで多くの探索者が亡くなったが、アーロンが死んだとは考えてもいなかった。
それはアーロンの実力に対する信頼でもあったし、フィオナの予想通り、アーロンは生きていた。だが、再会した時には大きな怪我もなさそうに見えたが、何事もなかったわけではないことは、すぐに分かった。
アーロンはスタンピードのことは話したがらないので、後になってからも何処で何をしていたのかは分からなかったが、何が起こったのかは知っている。
リオンに聞く前から、アーロンにとって大切な人が亡くなったのだということは、嫌でも分かった。
フィオナがアーロンと再会したのは、ネクロニアの北部地区にある共同墓地の一つだった。
ギルドにも迷宮にもアーロンの自宅にも姿がなかったので、神がかった直観が導くままに都市を歩いた。そうして辿り着いたのがそこだ。
墓地に近づくにつれて、嫌な予感は大きくなっていった。
だからその中に、誰かの墓の前で立ち尽くすアーロンを見つけた時、フィオナは安堵した。
やっぱり生きていたんだと、安堵して――――凍りついた。
「…………ぇ、嘘……」
アーロンはこちらに背を向けていて、その顔は見えなかった。
だから彼がどれだけ悲しんでいるのかは、定かではなかった。フィオナが思わず凍りついた理由は、アーロンがいつもとは違う雰囲気を纏っていたからではない。
――あまりにも色濃い、死の気配。
それは、かつて幼い頃、盗賊団の討伐へ赴く父と兄に感じたものと同質の気配だった。
言葉を失い、立ち尽くす。理由を自覚しないままに、大きな衝撃を受ける。フィオナはアーロンに声をかけることができなかった。
【予見】の感覚を信じるならば、アーロンは死ぬ。それも近い内に。
だが、その原因がまるで分からない。原因が分からなければ、死の運命を覆すことはできない。
だが幸いにも、というべきか。
アーロンに纏わりつく死の「可能性」、その原因――いや、遠因となることに、フィオナは気づいた。
ふとアーロンが身動ぎして、踵を返す。振り向いたアーロンが、僅かに俯いたままに歩き出す。
「――――ッ!?」
その顔を見て、フィオナは二度目の衝撃を受けた。
そこには一欠片の悲しみさえも浮かんではいなかった。いや、それどころか他の如何なる感情すらない。強いて言えば、完全なる無表情。まるで人間に良く似た人形みたいな、おぞましさがあった。
この世のありとあらゆるものに、何の興味も抱いていないような。
全てに興味を失ったような。
それはそんな、空虚な存在と化していた。
アーロンはフィオナに気づくことなく、フィオナの横を通りすぎていく。
フィオナはアーロンがその場を立ち去ってからしばらくして、力が抜けたように、その場にへたり込んだ。
声をかけることなどできなかった。
怖かったのだ。
声をかけて、路傍の石でも眺めるような、無感動な視線を向けられるかもしれないことが。
「…………どう、しよう……」
途方に暮れたように、呟く。
自分でもなぜかは分からないが、アーロンがどんな状態になっているのか、フィオナには理解できた。
アーロンは自殺しようというのではないだろう。そんな積極性すらないのだ。だが、生きようとしていない。アーロンがどれだけ強かろうが、生きようとしない者が生き続けることはできない。もしもあの状態で迷宮に潜るようなことがあれば、きっと魔物に殺されるはずだ。
「…………」
しばらく、時間すら忘れて考え込んでいた。
思考はどうすればアーロンを救えるか、ということばかりだった。自分の中にアーロンを救わないという選択肢がないことに、フィオナは気づいた。
「あの……バカ……!」
立ち上がる。
方法はある。それはごく単純で、当たり前のことだ。
だが、今以上に嫌われるかもしれない。今以上に鬱陶しいと思われるかもしれない。顔を見るのも嫌だとばかりに去っていく可能性もある。自分の気持ちをたった今自覚したばかりのフィオナにとって、それは辛い選択だった。
だが、決めたのだ。
いや、とっくに決めていたのだ。
大切な人を守るために強くなると。
そのために自分の心が傷つくかもしれないならば、心が強くなれば良い。




