【15】「感謝している。この話を教えてくれて」
「――で? 昨年のスタンピードについて、さっそく教えてもらおうか?」
場所はネクロニア西地区中央、広大な敷地面積を誇る【封神四家】が一角、キルケー家の邸宅。
そのさらに一画にある応接室に、今、俺はいた。
探索者ギルドの地下訓練場で剣聖ローガンと立ち合いをした後、エヴァ・キルケーたちと同じ馬車に乗せられ、そのままここに連れて来られたのだった。
フィオナの奴とはギルドで別れている。
現在、室内にいるのは応接用のソファに座った俺と、ローテーブルを挟んだ対面に座ったエヴァ。そして、その後ろで立ったまま控えているローガンの三人だけだ。
ローガンが立ったままなのはエヴァの護衛であり、俺に対する牽制だろう。キルケーの血族相手に妙なことをする気はさらさらないが、それでも殺気立った雰囲気を放っている自覚はある。護衛のローガンが警戒するのも当然だ。
「機嫌を損ねるようなことをしたのは私たちですが、そう恐い目で睨まないでいただけると嬉しいのですが?」
こくりと、優雅に紅茶を一口飲んだ後、カップをソーサーに戻しながらエヴァが言った。
ちなみに使用人の類いはお茶を用意した後、彼女自らが人払いしている。
つまり、自分の屋敷内であっても、余人には易々と聞かせられない話であるらしい。
「別に機嫌が悪いわけじゃないさ。……機嫌が悪くなるかどうかは、アンタの話次第だ」
室内には華美だが嫌味のない調度品が置かれ、一代限りの成金とは一線を画す、これぞ名家といった趣がある。壁際に置かれた小さな花瓶一つとっても、平民なら数年は遊びながら余裕で暮らせるだろう価値だ。
稼ぎの大きい探索者といっても、本当の金持ちからしたら一般人に毛が生えた程度でしかない。
いつもの俺ならば、まず間違いなく入っただけで気後れしそうな部屋だが、今はそんな気も起きなかった。
ただでさえ思い出したくもないスタンピードについての話なのだ。相手が逆らってはならないほどの権力者であるのは重々承知しているが、下らない内容ならば、話が終わるのを待たずに帰らせてもらうことになるだろう。
「ふう……分かりました。では、さっそく本題に入りましょう。ですが、その前に一つ」
「何だ?」
「分かっていらっしゃると思いますが、ここで話したことは他言無用にお願いします。一般に広まれば、無用な混乱が広まりかねませんので」
「分かった。誰にも言わないと誓おう」
「お願いいたします。では……」
と、エヴァはそれまでの雰囲気を一変させ、背筋を正して語り出した。
「昨年、ネクロニアで起こったスタンピードですが……あれは自然発生的なものではありません。人間の手によって引き起こされた、人為的な災害です」
「…………」
「少なくとも私たち【封神四家】は、そう確信しています。理由は主に二つ。一つは、【神骸迷宮】のように日々大勢の探索者が潜っている迷宮で、通常、スタンピードが起こることは考えられない、ということ。アーロンさんは、迷宮でスタンピードが起こる場合の条件をご存知かしら?」
「……放置、だな」
その通りです、とエヴァは頷いた。
いわゆる「迷宮スタンピード」という現象は、長年放置された迷宮が内部に大量の魔物を生み出し続け、それを外部に放出することで発生する。魔物の生成と死滅というサイクルが、生成に偏りすぎた場合に起こる現象だ。
しかし、それが理由の全てというわけでもない。
俺はエヴァが口にしなかった部分について、突っ込んだ。
「特異個体の魔物が発生して、スタンピードの引き金になることもあるはずだ」
特異個体。
通常の魔物とは違う、特別な進化・変化を経た魔物のことだ。
この魔物が発生した場合、スタンピードが発生する原因として考えられるのは三つある。
一つは「キングによる統率」――統率力の強い魔物が発生した場合、迷宮の魔物を率いて外に出て来ることがある。
二つ目は「クイーンによる繁殖」――繁殖力の強い魔物が大量の魔物を生み出し、結果としてスタンピードが発生する場合がある。
そして三つ目は「大勢の探索者の死」――迷宮は内部で死亡した探索者の魔力、死体、そして真偽は定かではないが、魂までも喰らい、吸収すると言われている。
迷宮を一個の生命とたとえるなら、通常の食事は地脈から吸収される魔力と、内部で発散された探索者たちの魔力――具体的に言えば、スキルや魔法を行使した後に大気中へ拡散される魔力や、探索者たちが常に体外に放出している微弱な魔力などだ。
しかし、探索者が死亡した時には、それらとは比べ物にならないほど多くの「栄養」が吸収できることになる。
そして短期間で立て続けに大勢の探索者が死亡した場合、一時的に栄養過多になった迷宮が魔物を増産し、その結果としてスタンピードが起こる場合があるのだ。
たとえばキング系でもクイーン系でもなく、ただただ強い特異個体の魔物が発生した時などに、この系統のスタンピードは起こる。
「アーロンさんの仰りたいことは、分かりますわ」
と、エヴァは頷いた。
彼女にしても、他の可能性については当然考慮した結果なのだろう。
「その上で、あれが人為的なスタンピードだったと確信する理由があります。二つ目の理由が、それです」
「ふぅん……それで、その二つ目の理由ってのは?」
「結界です」
その言葉の意味を考える。
迷宮、スタンピード、そして結界とくれば、思い当たるのは一つしかない。
「……【封神殿】の結界、か?」
通常、迷宮に結界などは張られていない。
その必要がない、というわけではなく、巨大な迷宮に対して、常にその規模の結界を維持することなどできないからだ。
だが、世界中で唯一、【神骸迷宮】だけは例外だ。
ここには神々が創造した「封神神器」とも言うべき【封神殿】があり、この【封神殿】を用いて結界の維持・管理を担う特別な血族がいる。
【封神殿】と【封神四家】によって張られる結界は極めて強力で、迷宮内部の魔物や迷宮の核となっている「邪神の骸」に対して、絶対的とも言える効力を発揮している。
昨年のスタンピードでは、出現した魔物たちのあまりの強大さと数の多さに、結界が負荷に耐えきれなくなり、一時的に破られてしまったと発表されているが。
これは考えてみれば「絶対的な効力の結界」にしては矛盾するような話だが、ネクロニアの住民は、俺も含めて評議会の公式発表を疑うことはなかった。
理由は簡単だ。
【封神殿】の結界が絶対ではないということを、すでに知っているからだ。
つまり歴史上において、【神骸迷宮】でスタンピードは何度か起こっている。以前にも起こっていることだから、今起きたとしても、過去と同じ理由なのであれば理解できるというわけだ。
それに結界が壊れたとはいえ、それは一時的なものに過ぎない。昨年も魔物が溢れ出したおよそ一時間後には、何事もなかったように結界は復活していた。
一時的に破られることはあるかもしれないが、決して失われることはない結界。それだけでも「神々の結界」と評されるには十分過ぎる性能だ。誰が見ても人智を超えている。
だから不安には思えど、結界が破られたことに疑いの目を向ける者は少ない。
「実は結界が破られたというのは、嘘なのです」
だが、エヴァ・キルケーは前提から否定した。
「【封神殿】の結界は、魔物程度に破られることは絶対にありません。だから本来、内部でどれだけ魔物が増えようと、【神骸迷宮】でスタンピードが発生することはないはずなのです」
「だが、実際には何度もスタンピードは起きているだろう?」
「はい。昨年も含めて、それら全て、本当は結界が破られたわけではありません。それは表向きの発表で、真実は違います。結界は破られたのではなく、結界の発生器たる【封神殿】の稼働を停止させられたのです」
エヴァの説明を聞いて、彼女が「人為的」と断言する理由が分かった。
当然の話だが、結界の内側から【封神殿】の稼働を停止することなどできるはずがない。もしもそれができるなら、それは囚人を閉じ込めた牢屋の鍵を、囚人が内側から解錠できるというような、極めて致命的な欠陥になる。
仮にも神が創造したものが、そのような欠陥を持つはずがないのだ。
つまり、昨年のスタンピードの真相は……、
「誰かが内部で大量の魔物を発生させ、さらに【封神殿】の稼働を停止した、ということか」
【封神殿】の機能をどのように停止するかは、俺には知りようもない。だが、内部で大量の魔物を発生させる方法ならば簡単に分かる。
迷宮内部で大勢の人間を殺せば良いのだ。
大勢の人間の命を、迷宮に喰わせれば良いのだ。
そしてその数は、魔力の多い探索者なら、一般人よりも少なくて済む。
「なるほど……どうやらアンタの話は嘘じゃなさそうだ」
エヴァ・キルケーが俺に、こんな嘘を吐く理由が存在しない。また、【封神四家】が自らの瑕疵となるような嘘を吐くとも思えない。
この話が本当である可能性は、かなり高いだろう。
だから俺は、笑った。
「……くっくっくっ」
くつくつと笑ってしまう。
あまりにも――あまりにも、スタンピードの真相が下らなくて。
「アーロン、さん……?」
「落ち着くんだ、アーロン」
エヴァが表情を強張らせ、ローガンが剣の柄を握った。
いかん。また警戒させてしまったようだ。
「ああ、すまん。別に怒ってるわけじゃない。むしろエヴァ嬢には感謝している。この話を教えてくれて」
「感謝、ですか……?」
「そうだ」
頷きつつ、自分の顔を触ってみる。
間違いなく、俺は笑っていた。嬉しいのかもしれない。いや、嬉しいのだろう。なぜならば。
「自然災害なら、アイツらのために俺がやるべきことなんてない。だが、あれが誰かによる殺人だったなら、俺がやるべきこともあるだろう?」
行き場のないと思っていた感情を、発散できる相手がいたのだ。
気分は最悪だが、これはきっと嬉しいのだろう。だから、まだ詳しい話を聞く前だが、俺は決めた。
「協力しよう、エヴァ・キルケー。俺に、何をして欲しいんだ?」
●◯●
「はあ……ドラゴンの逆鱗に触れながら、会話をしているみたいだったわ」
「それはそれは」
アーロン・ゲイルとの話し合いが全て恙無く終わり、彼が屋敷から去った後。
話し合いをしていた応接室のソファで、エヴァ・キルケーが深いため息と共に脱力した。
普段の彼女ならばあり得ないほどに気を抜いているのは、アーロンとの話し合いで強い緊張を強いられていたせいだろう。
そんな彼女の姿を見て、対面のソファに腰掛けながら、ローガンは面白そうに笑った。
「本当に、いつ暴れ出すんじゃないかと思って恐かったんだから」
「お嬢も心配性ですな。犯人の一味というわけでもないのですから、彼が襲いかかって来る理由はないでしょう」
「それは頭では分かっているのだけど、ね。普通、私との話し合いであんなに殺気を放つかしら。これでもキルケー家のご令嬢よ、私?」
「お嬢に対して殺気を向けていたわけではないでしょう。強者というのは何処かしら頭の中がおかしいものですが、犯罪者じゃないなら、最低限の常識は持ち合わせているものですよ」
「……ローガンが言うと説得力が違うわね」
「恐縮です」
対面のローガンにじとっとした視線を向けて、それから諦めたように頭を振ると、エヴァはアーロンとの話し合いについて思い返した。
昨年のスタンピードの真相については話した。
その後、スタンピードを引き起こした犯人たちについても、現在判明していること、確証はないが推測している情報も含めて、アーロンには説明している。
そして順番は逆になったが、最後に改めて協力を求め、アーロンはこれを了承した――というのが、話の流れだ。
全てはこちらの想定以上に、上手くことが運んだ。アーロンが自ら進んで協力する気になってくれたのだから。
しかし、素直に喜べないのはやはり、恐かったからだろう。
「……あのレベルの強者を怒らせるのは、恐ろしいものね……」
思い出すと今でも鳥肌が立つ。
スタンピードが人為的なものだと説明した後、対面でアーロンが浮かべた笑み。
口では「怒っているわけじゃない」と言っていたが、やはり怒っていたのだろう。その怒りが自分に向けられたわけじゃないと理解していても、思わず総毛立った。
その後は殺気を引っ込めて大人しく話を聞いていたアーロンだが、一度恐怖した印象がその程度で拭えるわけもない。
「結局、≪極剣≫の一員なのか確かめることもできなかったし……」
「まあ、聞いたところで素直に答えるとも思えませんが」
「それはそうだけど……」
「そんなに気になるなら、聞けば良かったのでは?」
「簡単に言ってくれるわね……あの重苦しい雰囲気で、そんなこと聞けるはずないじゃない……」
対してローガンはあの時のことを思い出してか――なぜかにんまりと笑った。
「ふむ……彼に本気で殺意を向けられるとは……少し、犯人どもが羨ましいですな」
「はあ?」
唖然とするエヴァに、ローガンが説明する。
「本気の殺意を抱いた彼と戦えるなんて……嫉妬してしまいそうですよ」
エヴァは顔をひきつらせて沈黙したが、何とか言葉を捻り出した。
「………………ローガン、お願いだから、変なことはしないでね?」
「ふむ、もちろんです。善処しましょう」
めちゃくちゃ不安だった。




