【14】「果たして勝てるかどうか」
およそ30メートル。
剣士同士の手合わせにしては、あまりにも離れすぎた距離。
それだけの間合いを開けて、ローガンはアーロン・ゲイルと向かい合っていた。
(彼の構えから横薙ぎ、もしくは逆袈裟に剣を振るつもりなのは間違いない)
自らも大上段に構え、静かに剣と体にオーラを巡らせながらアーロンの見慣れない構えについて考察する。
(そしてこれだけの距離を敢えて開けたのなら、あの構えから接近して来ることは、ほぼないと断言して良い)
遠距離攻撃用のスキルを放つつもりなのは、間違いないだろう。だが、疑問もある。
(これだけ距離を開ける理由が分からないな。彼の攻撃を防ぐか躱せば私の勝利。この条件の立ち合いで、遠距離スキルを放つなら、距離を開けるのは彼にとって不利にしかならないはず……)
そして、疑問はもう一つ。
――ギ、ギギ、ギ、ギ、ギィ……ッ!
と、訓練場内に響き渡る不穏な音色。
まるで強弓の弦を引き絞っているかのような不吉な軋み音。
攻撃を放つ前からこんな音を立てるスキルを、ローガンは知らない。
(私の知らない剣技スキル……となれば、可能性は固有ジョブしかない。彼は間違いなく固有ジョブに覚醒している。……面白いッ)
固有ジョブに目覚めているのは、自分も同じだ。
アーロンの正体不明のジョブから繰り出される、正体不明のスキル。果たして、自分の放つスキルとどちらが強いか。
アーロンの力量を計るということ以上に、単純に興味がある。だからこそ、
(決めた。やはり私も遠距離スキルで迎え撃とう)
真正面から同系統のスキルで試すからこそ、その威力はより正確に計れるというもの。
「じゃあ、始めるわよ」
フィオナが双方準備が整ったことを確認し、宣言する。
右手親指の上に乗せた銅貨をキンッと弾いた。
銅貨がくるくると宙を舞い、地面へ近づいていくのに比例して、ローガンの集中力が際限なく高まっていく。そして、銅貨が地面に落下した――。
――瞬間。
ギンッというけたたましい音と共に、横一文字の閃光が放たれた。
まるで時を跳ばしたかのように、刹那、アーロンの姿が剣を振り切った姿勢へと変化している。
何かを考える暇はなかった。
大上段から剣を振り下ろし、事前に考えていた通りのスキルを発動する。
剣聖技スキル――【飛龍断】
その名の通り、「剣聖」ジョブの元となった古の英雄が、空を飛ぶ龍を断つために編み出したとされる強力無比な遠距離攻撃用の剣技。それをスキルという形で模倣した一閃は、莫大なオーラを刃という形に凝縮して前方へ向かって飛翔した。
間合いを喰らい合うのは刹那だ。
横一線の刃と縦一閃の刃が垂直の交差を描いて激突した。
剣同士が鍔迫り合うような甲高い音が鳴り響き、その動きが止まる――のは、まさに一瞬のこと。
直後。
(まずいッ!?)
一瞬の拮抗を経てオーラの刃が前進を再開する。
ローガンの【飛龍断】が割れたガラスのように無数の欠片に粉砕され、アーロンの刃だけが生き残る。
ぞわりと危機感が全身を走り抜け――だからこそ、ローガンは反射的に生き延びるための最善の行動をした。
回避は間に合わない。
ゆえに僅か一歩前へ踏み出しながら、振り下ろした剣を振り上げる。
剣聖技スキル――【龍鱗砕き】
鋭いが脆いオーラの刃ではなく、龍の鱗すら砕くためのオーラの打撃。
「ぅ、ぉおおおおおおおおッ!!」
叫びながら剣を振るう。
刃無き頑強なオーラの塊を剣に宿し、迫り来る刃に向かって叩きつけた。
「ぐぅううううううううッ!?」
柄を握る両手が弾き飛ばされそうな衝撃。それは如何にローガンでも、長くは耐えられないほど激しい。だが次の瞬間、【龍鱗砕き】のオーラが指向性を持って爆発する。
視界が閃光に埋め尽くされた。
大量のガラスを同時に割ったような、涼やかだがけたたましい音がして。
「おおおおおおおおおッ!!」
ローガンは剣を振り上げた。
アーロンの放った刃はローガンを傷つけることなく、その手前で粉々に砕け散った。
「――――はぁっ、はぁっ……!」
剣を振り上げた姿勢のまま残心する。
途端、ぶわりと全身に汗が滲み、一瞬の攻防だというのに限界まで全力疾走したほどの疲労感に苛まれた。
(あぶ、なかった……!)
「あっさり防ぐとか、化け物かよ……!!」
自身と同じく残心を解いたアーロンが、離れた場所で呟いた声をローガンの耳が拾う。固有ジョブの優れた聴力だからこそ聞き取れた小声だ。
(化け物は、どっちだ……!!)
心の中でそう返して、ちらりと自身が握る長剣を見下ろす。
その片側の刃――すなわちアーロンが放った刃と打ち合った側は、広範囲に渡って刃が潰れていた。ギザギザと歪な形に変形しているのだ。
オーラの刃と打ち合ったのは一瞬のことだった。しかもその時には、【龍鱗砕き】によるオーラの塊に剣身は包まれていたというのに、この様だ。
(この剣自体も見た目は質素で、何の魔法の力も宿っていないが、鋼鉄製の業物だったのだがな……)
おそらく、もう少し【龍鱗砕き】に籠める魔力が少なかったら、オーラの爆発が起こる前にこちらの剣を砕かれていただろう。
剣の刃が欠けているということは、オーラの塊を斬り裂いて剣身に触れていたことを意味するからだ。
万全の装備だったならば、剣を駄目にすることなく防げただろう――とは思う。しかし……、
(アーロン、彼は一撃。対してこちらは二撃か)
結果だけを見れば、アーロンの攻撃を防いだことに変わりはない。つまり、自分の勝利だ。
だが、ローガンはとてもこの勝利を誇る気にはなれない。なぜならば――と、こちらに近づいてくるアーロンに鋭い視線を向けながら考える。
(彼は初めから勝負に拘ってはいなかった。おまけに「手加減」された上での勝利など……)
受けてみて分かった。
アーロンが30メートルという遠すぎる間合いを設けた意味を。
それ以上近かったら、ローガンの二撃目は間に合わなかった。さらに近ければ、一撃目の反応すら間に合ったかどうか。
(溜めが必要なスキルみたいだから、実戦ではそう易々とは喰らわない、か? いやしかし、そんなのは言い訳だな)
思わず、にんまりと笑ってしまう。内から湧き上がるこの感情は、歓喜だ。くつくつと笑い声をあげる。だが、それも当然だろう。これがおかしくないはずがない。
(彼は、あれ以上近い場所でスキルを放てば、私を殺してしまうかもしれないと、本気でそう考えていたのだ。この、私を)
だからこその、あの距離。
この自分に対して、本気で殺してしまうかもしれないと心配して、それゆえに手加減した。
そんなことができる人間が、この迷宮都市に……いや、世界中見渡したところで、いったい何人いる?
――強い。
断言しよう。間違いなく、彼は強い。
それも剣聖と謳われた、このローガン・エイブラムスの全力をもってしても、果たして勝てるかどうかという強者だ。
(全力で、死合ってみたいな、アーロン・ゲイル)
きっと全力の彼に勝つことができたなら、自分はさらに一段、上の領域へ至ることができるだろうという確信があった。
「あっさり防がれちまったな。ま、何にせよ、勝負はアンタの勝ちだ」
剣で自らの肩をぽんぽんと叩きながら、近づいて来たアーロンが言った。
それに苦笑しながら、ローガンは駄目になった剣を無理矢理鞘に納めて、言葉を返す。
「いや、あれだけ手加減されてしまったんだ。今回は引き分けということにしようじゃないか。本当なら私の負けと言うべきなんだろうが、それでは納得しないだろう?」
「手加減? ……何のことだ?」
アーロンは本当に不思議そうに首を傾げた。
どうやら演技も上手いらしい。
「ふっ、惚けなくて良い。君とはいずれまた、剣を交える日も来るだろうから、な」
「いや、俺一回しかやらないって言ったよな?」
「さて。これで君の実力、そして人となりは理解した」
「俺一回しかやらないって言ったよな?」
「お嬢! おそらく彼は大丈夫だ。実力も申し分ない。私が保証しよう」
「俺一回しかやらないって――」
「そうですか! 分かりました。ありがとう、ローガン」
フィオナと共に立ち合いを見守っていたエヴァが、こちらへ近づいて来ながら頷いた。
エヴァはそのままローガンたちの傍まで歩み寄ると、アーロンの顔を見上げる。
「アーロンさん。突然のお願いを聞いてくださり、感謝いたします。それで、続けてのことで申し訳ないのですが、この後、当家までお付き合いいただけますか?」
アーロンは苦虫を噛み潰したような顔で、エヴァを見返した。
そこに微塵の申し訳なさも浮かんでいないことを見てとると、これが権力者の命令というやつだと理解したのだろう。深々とため息を吐いて、せめてもの抵抗を試みる。
「何の用かくらい説明してくれないと、返事のしようがないんだが?」
「ああ、すみません。失念していましたわ」
と、素直に謝罪し、エヴァは続ける。
「用件は昨年のスタンピードについてのお話と、もう一つ、あなたをスカウトしたいと考えています」
「……スタンピードの話?」
アーロンはスカウトという言葉を無視して、前半部分に反応する。
それまでとは違う、権力者に対する配慮をなくした低い声音で、問う。
「アンタら、当然、俺のことについては調べてるんだろうな?」
「……ええ、事前に幾らかは。あなたがご友人を亡くされたことも、把握しておりますわ」
「その上で、スタンピードの話をすると?」
「……ッ、はい。話を聞いてあなたがどう思うかは分かりませんが、少なくとも真実をお話することは、約束いたします」
「……真実、ねぇ」
何の感情も浮かんでいない硬質な瞳。
アーロンから向けられたそんな瞳に、エヴァの背筋をぞわりと悪寒が走る。
まるで得体の知れない猛獣を前にしたかのような恐怖を感じたが、それでも視線を逸らさなかった。
「…………分かった。話を聞こう」
ほんの数秒の後、彼が頷いた時、エヴァは体中から力が抜けるほどの安堵を覚えた。




