太陽の拳
時が、止まっていた。
膨大な歓声に包まれていた会場も、死闘を繰り広げていたリングも、完全に固まっていた。
人でさえ、呼吸を忘れて動かずにいる。
ただ。
パーガトリ・ブレイドとリベリアを除いてはの話だ。
「おい、リベリア。行くぞ」
「はい」
ブレイドとリベリアは共に席を立ち、リングへ向かう。デリーも、ジェーンも、アグニも、ブレイドとリベリアが席を立ったことに気付いた様子は無い。
目の前のリングに釘付けだった。
「おいボブ、さっさと終わらせろ。どっちも意識なんざ残っちゃいねえよ」
リングのそばにいたボブに、ブレイドはやや低い声音で言った。止まった時から動き出したボブが、額や頬に汗をにじませて振り向く。
「意識が残ってない?」
「あぁ、目はいきいきしてやがるが、ローレルも気絶してる」
笑みを浮かべながらブレイドは、リングを見上げた。ローレルから一メートルほど離れ、ハーメルンはその巨体を床につけてしまっていた。満足そうに笑みを浮かべ、瞳を閉じている。
ローレルは、といえば拳を振り切ったまま動かないでいた。その真っ直ぐな瞳には闘志に燃えていたが、気絶してしまう前の残り火だった。純粋で強い闘志が、気絶してしまったローレルに宿ったまま、消えずにいる。
だから笑わないのだ。
だから倒れないのだ。
ローレルはまだ闘いを続けている。勝ったとは思っていない。
「ボブ、さっさと終わらせてガラスを降ろせ。立ってるほうが勝者だ」
「あ、あぁ」
ボブがローレルの勝利を告げる。
感動の新キング誕生の瞬間だったが、ブレイドにとっては結果などはどうでもいい。強化ガラスが床に収納される前に、透明な壁を跳躍で飛び越える。止まっていた時が動き出し、耳に響く歓声を鬱陶しく思いながら、ローレルの元へ向かう。リベリアは黙ったまま、ガラスが完全に降りてから、ブレイドについていった。
「おいローレル、起きろ」
額から、拳から血を流しているローレルの目前で、ブレイドは手を振った。
「ローレル様」
ローレルの横からリベリアが近付き、ローレルを抱き締めた。
優しく、包み込むような抱擁だった。
「ちゃんと、見ていましたよ。最初から最後まで全て。しっかり見ていました」
リベリアが囁くように語り掛ける。
リベリアの服はローレルの血で一部赤く染まっていく。
ローレルはひどく頼りない、潤んだ瞳でリベリアを見る。呼吸がひどく乱れていた。
「リベ……リア」
「はい、ローレル様」
どうやら、ローレルを目覚めさせるのはブレイドの役目ではなかったらしい。
「起きたか、お嬢ちゃん?」
「……ブレ、イド」
ローレルは交互にリベリアとブレイドの姿を確認し、そしてはっと我に返った。
「闘いは? どう、なったんだ」
「ハーメルンなら、俺の後ろで寝てるさ」
親指を立て、ブレイドは後方を指差す。
「私は、勝った、のか」
首を傾げ、不安げに呟くローレルに向けて、ブレイドは断言してやる。
「お前が勝ったんだよ。お前が、ハーメルンを倒した」
「そう、か……?」
意識が薄いのか、疲労でそれどころでないのか、ローレルは喜ばなかった。
まあ、良い。
話したいことはあるにはあるが、今はどうでもいい。
「リベリア、ローレルを支えてやれ」
「わかりました」
「ローレル、リングくらいはちゃんと自分の足で降りろ」
ブレイドの問いに、ローレルは戸惑いがちに頷く。
「ブレイドは?」
「ハーメルンを運ぶ。リングだけはちゃんと降りてもらわねえとな」
ブレイドはハーメルンに振り返り、歩み寄る。屈み込んでハーメルンの腕を掴み、その巨体を背負った。
ハーメルンをやや引き摺りながらもブレイドはリングを降りた。その先に待っていた医療班にハーメルンを渡す。ハーメルンはタンカに乗せられ、運ばれていった。
ブレイドがリングを見やると、ローレルがリベリアに支えられながら、リングを降りていた。そして、闘いの場から出た途端、力尽きてリベリアに寄りかかる。ブレイドはローレルたちに駆け寄った。
「ナイスファイト」
「ブレイド、寝ても……良いか」
かすれた声で呟くローレルは、ひどく疲れた表情をしていた。無理も無い、指先一本でさえ動かすのがおっくうなはずだ。ここまで来られただけで十分なほどだった。
「……あぁ、ゆっくり休め」
ブレイドは落ち着いた声で答える。ローレルは微笑を浮かべた後、意識を手放したらしく全身から力がなくなった。リベリアに体を預けきっている。
「リベリア、ローレルを背負うからこっちに」
頷くリベリアを確認してから、ブレイドはその場で座り込む。
屈んだブレイドの背中に、ローレルの体がのった。脚を掴んで前屈み気味に立ち上がり、ローレルを背負った。
「どうだ、見た感想は?」
見た、とは当然闘いのことだ。
「何度も目をそらしたくなりました」
ブレイドの問いかけにリベリアは素直に答える。
「でも」
胸を手でおさえるようにして、リベリアはぎこちない笑みを浮かべた。
「目をそらさなくて良かったと思います」
「……そうか」
なら、良い。
走り寄ってくる医療機関の人間達に手を差し出され、ブレイドは首を振る。
「こいつは俺が運ぶ。アンタらは案内だけしてりゃあいいんだよ」
「しかし」
「ブレイドにやらせてやれ。そいつは下手な医者よりも人の体を把握している。一刻を争う自体であればローレルを引き渡しているさ」
ブレイドに反論しようとした医療機関の人間を、ボブが説得する。
「そういうこった。運ばせろ」
あっさりと、医療機関の人間は引き下がった。
ローレルの重みが心地よかった。長年求めていたものを背負えたような、そんな充実感がブレイドにあった。
ブレイドは案内を受け、リベリアと共にその場を後にした。
ローレルとハーメルンの闘い。
その一瞬一瞬がブレイドの脳裏に焼きついて消えることは無かった。




