決戦
『入場の時間です』
無機質な機械音声に背中を押されたように、ローレルはゲートをくぐった。
歓声などはもう雑音にすらならない。
緊張などない。
あるのはただ、最強に挑めるという武者震いのみ。階段を降りて、リングに入る。
向かい側にハーメルンが現れた。ゆっくり階段を降り、ローレルの眼前にまでやってくる。間近で、しかも戦闘態勢のハーメルンは通常よりも大きく、強大な存在に見えた。
「カレジ・ローレル」
「はい」
「互いに悔いのない闘いをしよう」
「よろしくお願いします」
『両者、位置に』
数歩下がる。ローレルも、ハーメルンも姿勢を低くし、右手を目の前に置き、ボクシングの構えをする。
リングの周りを上がってきた強化ガラスが囲む。
『レディ』
ハーメルンは周りに聞こえるほどの深い呼吸をする。
ローレルは静まる空気と大きくなるハーメルンの気配に思わず緊張した。ハーメルンが本当の身体よりも大きく、巨大に見える。
――鳴る。
身体の内にある鼓動が、脈が。
闘いのゴングを鳴らそうとしている。
――もうすぐ、鳴る。
体中が熱くなる。
血潮は炎だ。
血は肉を、心臓を、はらわたを、炙る。心を燃やす。
――鳴れ。
闘志が、本能が、待ち焦がれている。
だから早く鳴れ、と。ローレルは己に叫んだ。
――早く、早く鳴れ。
僅か数秒の間。
ローレルにとっては数時間とも思える間の後に。
『ファイトっ!』
――鳴った!
ローレルの脚が鋭く地を蹴り、ハーメルンへ迫る。
ウェイブは、使わない。
生身のまま、拳を肩まで引く。そして、全身全霊の一撃をハーメルンに叩き込む。ハーメルンが驚きに目を見開いたが、この程度で攻撃をもらうほど甘い男ではない。
「ふっ!」
軽い呼吸の後、ハーメルンがローレルの拳を右腕で受ける。ハーメルンの強靭な腕の筋肉が盛り上がり、拳を止めた。壁に拳を叩き込んだときのような手応えがローレルに伝わる。
「……なるほど」
困惑気味だったハーメルンが呟く。驚きに固まっていた表情に、笑みがこぼれた。
ローレルは身を退き、フットワークを駆使して横から腹部へ向けて拳を振るう。ハーメルンはローレルの拳に自分の拳を当て、弾く。
両者、ウェイブは使わない。
「ちぃっ」
下へと弾かれた力に逆らわず、ローレルは屈む。そして、体を十分にたたんでから跳躍した。ハーメルンの反応速度を越えて、拳は顎をとらえ、更に腕を突き上げることでダメージを大きくした。
強烈なアッパーを食らい、ハーメルンは怯む。
「……ふっ」
一気に、畳み掛ける。
着地した瞬間、ローレルのジャブが炸裂。まるでシャワーのようにハーメルンの体を打ち付ける。
ローレルは数発のジャブを浴びせるとバックステップを踏んで距離を取った。
この程度でハーメルンを倒すことは出来ないからだ。
案の定、ハーメルンはさっさと体勢を整え、ローレルとの距離を詰めた。
強力なストレートがローレルに迫る。だが、ローレルはしっかり、それに備えていた。
軽いフットワークで右ストレートを避け、左のブロー見切り、懐に入り込んで再びアッパーを放った。しかし、ハーメルンが素早く後退したことでアッパーは宙をきる。
「はあぁっ!」
間発入れずにローレルが加速。拳を引き戻し、右ストレートを放つ。
「ぬうぅっ!」
迎え撃つはハーメルンの右ストレート。
一瞬、互いの右腕が絡み合ったように見え、拳が互いの顔面を殴った。
「ぐっ」
頭を手でおさえながら、ローレルはよろめく。それはハーメルンも同じだった。
一瞬、視界が歪む。だが全身に力を入れて強く息を吐き、歪みを吹き飛ばした。ハーメルンは真っ直ぐローレルを見据え、待ち構える。
「さすが、といったところか。カレジ・ローレル」
「これぐらい当然、です。今のは、及ばずながら父の代わりとしての闘いですから」
互いに一定の距離を保ったまま、睨み合う。
ローレルを愛し、優しく育ててくれた父。その父のライバルと対峙し、こうして闘う。こんなことは、誰が想像しえただろうか。父を見て育ち、努力を怠らず、ただ愚直に生きてきた一人の少女が、である。
憧れ、大好きだった父のように、少しは強くなれたのだろうか……そう、ローレルは自問する。
「だが……」
きっとその答えは。
「ここからは、私の闘いだ」
これから導き出す答えだ。
「私は、貴方を倒す」
ローレルは一度瞳を閉じ、深呼吸をした。瞳をゆっくり開いたときには、もうローレルのウェイブが現れている。黄金のウェイブが。
「そうか。ならば、俺も君の闘志に見合った俺の本気で戦おう。全力で闘うに値する選手だよ、君は」
「光栄です」
ハーメルンもウェイブを発動させた。
白き、ウェイブ。
体を押されるような威圧感に身が震えた。迫力だけで人を倒してしまいそうな、巨大で強大な気迫。
しかし。
この震えは武者震いだ。強いものに闘いを挑める。本能が、熱い闘いを欲している。
思わず笑みが零れた。




