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【完結】太陽の拳  作者: 月待 紫雲
エピソード12
88/93

ローレルの夢

 知らぬ間にボクシングジムにいた。

 響くサンドバッグの叩かれる音。懐かしい内装。


 そうだ。


 ここは父と一緒に通い、独りで通った場所だ。

 視線を巡らせる。


 あぁ、何もかも記憶のままだ。


 外は夜を迎えているようで暗かった。ボクシングジムはサンドバッグを叩く音以外聞こえない。

 ジムのリングの近く。

 そこにあるサンドバッグを叩き続けている少女以外、人もいなかった。

 少女は茶髪のショートカットで、ローレルより何歳か年下に見える。少女は両手にボクシンググローブをはめて、ただひたすらサンドバッグを殴り続けていた。

 ジャブを丁寧に何度も。かと思えば途中で右スイングを当ててサンドバッグを大きく揺らす。


 ローレルは少女にゆっくり近付く。


 少女はただひたすらに愚直に同じことを繰り返す。ときどき表情を歪めるが、歯を食いしばって続ける。


「力みすぎだ。リラックスしないと」


 ふと。

 ローレルは口をはさんでしまっていた。

 別に少女に教えてやろうなんていう気はなかった。自然に、応援するかのように、アドバイスをしてしまった。


「肩に意識を向けるな。肘を脇から離さないで、小刻みに、抉りこむように打て」


 音が、変わった。


「体の中心だけ意識しちゃダメだ。全身で打つ。体の中心で意識した軸と、もう一つ軸があることを意識してみろ」


 サンドバッグが大きく揺れる。

 ローレルはなんとなく少女のことは自分が誰よりも良く知っているのだと、直感していた。

 錯覚かもしれない。

 けれど少女の動きは少しではあるが良くなっていた。

 少女はしばらく拳を振るい続けていたが、やがてやめた。ボクシンググローブを片方脱ぎ、リングに置いていたタオルを取り、首にかける。


「あの、なんでここに」

「さあな、なんでだろうな」


 ローレルはあまり深く考えずに少女に返答した。

 どこか聞き覚えのある声を、少女はしていた。


「ボクシング、好きなのか?」

「……わからない」

「私は好きだ」


 拳を軽く握って前に突き出す。そして素早く引き戻す。

 ジャブだ。


「……速い。才能あるんだ」


 驚きつつ、少女が呟く。

「ないさ」

「でも、女の人で、その」

「片腕しかないのに、か」


 問いかけに、少女は頷いた。


「ずっと、こいつだけを鍛えてきたからな。だからだよ」

「やめたくならなかったの」

「ならなかったよ。君は?」

「やめたい、のかな」

「どうして」

「勝てないの。ボクシングで一回も……お母さんもお父さんもいやになったらやめていいって」

「でも君はこうして練習してた」

「悔し、かったから」

「うん。私も悔しかったから続けた」

「負けてたの?」

「負けてばかりだったよ」

「嘘」

「本当さ。左を制する者は世界を制す、けど私に左はない。君にはあるだろ」

「そうだけど」

「好きなら続ければいい。悔しいは好きの証拠だ」


 ローレルはボクシンググローブをはめず、リングに上がって少女に手を差し伸べた。


「一度、私と闘ってみるか?」

「え?」

「気にすることは無い。思いっきり、素直にやればいいんだ」

「でも私、強くないし」

「だから気にするなと言ってるだろう? 気持ちをぶつけるだけでいいんだ。それだけで良い」


 少女は戸惑いがちに差し伸べた手にボクシンググローブをのせた。

 リングに上げてやる。少女はリングに上がってから、両手にボクシンググローブをはめなおした。


「君のタイミングで良い。好きなように打ってくれ」

「グローブは」

「私はいらないさ」


 それから拳の応酬が始まった。

 技術の巧拙など全く気にしない、緊張感のなく、遊びといってもいいものだ。

 命を賭けず、勝利もなければ敗北もない。ただ、自分のやりたいように、思い切りやるだけ。

 少女は一生懸命に動き続け、ローレルは拳を何度も受け止めて、拳を放った。

 何も考えない。ただ互いの拳を感じるだけの時間。

 応酬は三分、インターバル一分。


 三分三ラウンド。


 終わった頃には、少女は両膝に拳をついて息を荒くしていた。肩を上下して、苦しそうにしている。

 ローレルは呼吸が若干荒いものの、疲労はしていなかった。

 少女は必死に呼吸を整えようとする中で、ゆっくり笑みを浮かべた。目はきらきら輝いて、落ちていく玉のような汗を見ている。


「……凄いなぁ」


 嬉しそうに、楽しそうに、少女は呟いた。


「勝てる気がしないよ」

「負けてやる気は無い」

「ふふっ、大人気ないよぉ」

「負けず嫌いなんだ、許してくれ」


 笑い合う。


「楽し、かったか」

「うん」

「そうか」

「私、がんばるよ。もっとがんばって、お姉ちゃんみたいに強くなる」


 ローレルは頷いた。


「あ、そろそろ帰らないと。お母さんとお父さんが待ってる」

「なら、笑顔で帰ってあげないとな」

「うん。ねえ、お姉ちゃん」

「なんだ」

「お姉ちゃんと、また会える?」

「きっと、会えないよ」

「なんで?」

「もう、私はここに戻れないだろうから。きっとこれで最後」

「最後、なの。もう会えないの?」

「会えないさ。会いたくても、会えないんだ……大丈夫、きっと時間が経てばこのことをきっと忘れる」

「いやだよ、忘れたくない」

「忘れても残るものはあるさ。君の拳に残ってる。私の拳が君を覚えてる。だから、大丈夫だよ」

「いやだ。忘れたくない」


 頑固な少女は首を振った。

 どうしたものかとローレルが悩んでいると、少女が左手のボクシンググローブをはずしてローレルに差し出してきた。


「あげる」

「いや、ボクシンググローブはもう付けないし、左じゃ付けられないよ」

「忘れないために」

「忘れないため?」

「私はお姉ちゃんのこと、このグローブがあるから忘れない。右しかないグローブがあるから」

「……なるほど」


 左のボクシンググローブを受け取る。


「お母さんに怒られるかもしれないけど、私はヘイキ」


 じゃ、またね。

 そう言って少女はリングを降り、ボクシングジムを後にした。

 パタリ、と扉が閉まる。

 左のボクシンググローブ、右の拳。

 一人残されたローレルは、その少女が――


 ――そこでローレルの意識は現実に戻ってきた。


「随分、愉快な夢だったな」


 ローレルはゆっくりベッドから起き上がり、窓から空を見る。

 思わずため息を漏らしてしまうぐらい、綺麗な青空だった。


 今日が、決戦の日だ。

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