坐禅
ローレルはベッドの上であぐらをかいて、手を腹のあたりに置いて、姿勢を正していた。全てブレイドから教わったやり方だ。
目を閉じて、深呼吸をする。
ただそれだけ。
それだけに時間を費やす。
最初はローレルも、呼吸をするだけだと甘く見ていた。しかし、それをすぐ後悔することになった。
まず雑音が気になる。
生活音が響くと、それに意識が持っていかれる。そこでブレイドから肩を叩かれる。少しでも集中が乱れると、ブレイドから指摘されるのだ。
次に無音の中では、ミット打ちやスパーリングの振り替えをやってしまう。空白を埋めようと、練習時のことを頭が勝手に考えてしまう。これも、ブレイドから肩を叩かれる。
「難しそうな顔をしてるからすぐバレるぜ」
なんて、ブレイドには得意げに言われた。
呼吸を数えるだけ。
そうなると、時間が無駄に長く感じた。当然だ。ボクシングのトレーニングほど忙しくもなければ映画やドラマを観るほど楽しい時間なわけでもない。ブレイドやリベリアと会話するわけでもなく、ただ無言で、ひたすらに呼吸だけするのだ。
端的に言えば、退屈極まりないのである。苦痛の時間に等しい。
十分すら苦痛だ。一時間となればなおさらである。
しかし、こうして己と向き合い、精神を研ぎ澄ませる時間は成程、精神力を鍛えるにはもってこいだ。だからこそ、ウェイブの強化方法としてブレイドが選んだのであろう。
どれほど集中できなくとも一時間、どれほど集中できても一時間。どう足掻いても終わる時間だ。だからこそ、己を少しでも研ぎ澄まし、無心に近づけねばならない。
それで二週間ほど行った。二週間たつと坐禅の時間は一時間から二時間に延びた。
朝から基礎トレーニングとランニング。昼にミット打ち、二日に一度スパーリング、ボディ打ち。そして夜に坐禅とまた基礎トレーニング。
寝る前になればブレイドからマッサージがあった。
「じゃ、ローレル。横になれよ」
「あぁ」
ブレイドの指示に従って体をリラックスさせ、仰向けになる。ブレイドは首や肩を触りながら、ある程度ローレルの体の具合を確かめる。
「ここだな」
顎と、首の後ろを支えながら引っ張ったり捻じったりをする。
するとボキボキと骨が音を鳴らした。
「おふっ」
鳴らないときもあったが、骨が抜けていくような感覚と共にズレていた骨のつなぎ目がきっちりとそろうようなそんな気持ちよさがあった。
「次肩やるぞ」
そんな流れで引っ張ったり、押し込んだりを全身やっていかれる。はまっていないところがはまったり、ずれていたところが直される感覚があった。
整体だ。
あとは指圧や擦り込みで血流を良くしたり、筋肉の緊張をほぐしたり、マッサージをされる。
「あふぅ」
正直天国のような時間だった。
一日中の疲れが全て抜けていくような、そんな感覚だった。
「気持ちいいか」
「あぁ。凄く、良い。あひっ」
痛いときもなくはなかった。だが、耐えきれないほどではないし、逆に痛いくらいが気持ち良かった。
毎日これと、リベリアの料理のためにがんばっているといっても過言ではないほどだった。
そうして時は過ぎていった。
△▼
右スイングを、叩き込む。
「よし、だいぶサマになったな。時間もいいし、ここらで終わらせとくか」
「ありがとう」
ミットを外すブレイドに、ローレルは礼を言う。
「気にするな。ところで今日はちょいと豪華な夕食になるからな、早めにやるぞ。坐禅ももう二時間ほぼ無心になれてるし、ウェイブも質が上がってる。明後日はハーメルンとの闘いだ。今日からやらなくていい」
「豪華な夕食っていうのは」
「リベリアが送り出すのに良いもん食わせたいんだとよ」
ブレイドは嬉しそうに語る。
「今日明日のトレーニングは軽めにして、響かない程度にするぞ。ゆっくり休んで決戦に備えてもらわねえとな」
この一か月、あっという間だった。久々にふたりでのトレーニングに取り組めたし、ブレイドやリベリアと話ができて楽しかった。
ローレルは自分の拳を握りしめる。
「なぁブレイド」
「どうした」
水蒸気タバコを吸い始めたブレイドに、ローレルは微笑みかける。
「ありがとう、本当に。お前に出会えなかったら何も始まらなかった」
ブレイドが助けてくれたから今の自分がある。ブレイドがウェイブを教えてくれたから、今闘えている。今もこうしてサポートしてくれて、安心して決戦に臨めるのも、ブレイドのおかげだ。
感謝しても、感謝しきれない。
「……終わってから言え」
「そうだな、ハーメルンに勝たないとな」
「ちげえよ」
ブレイドはローレルを指差した。
「ハーメルンぶちのめして終わりか? いや違うね、お前が負けっぱなしの相手がここにいんだろ」
ブレイドは自身を親指で示す。
「助けた分、死ぬほど楽しませろよ」
思わず、吹き出してしまった。
ブレイドの戦闘狂ぶりにも、そんな言葉に嬉しさを感じている自分にも。
あぁ、なんて最高の敵なんだろう。
ローレルはブレイドを見ながら、心の底から思った。
△▼
ブレイドが風呂に入っている間、ローレルとリベリアの二人きりになった。
明日はいよいよハーメルンとの決戦である。
「なぁ、リベリア」
「はいローレル様」
「明日、見に来てくれるんだよな」
ソファーで一緒にドラマを観ながら、ローレルは聞いてみた。リベリアはブレイドとシスルの闘いからはシスルのことで観戦に来れなかったらしい。だからローレルの闘いは一度も見ていなかった。
最後の闘いでやっと、リベリアに見てもらえるのだ。
「ローレル様は見てほしい、のですか?」
「友人には見てもらいたいものだろう」
リベリアは首を傾げる。
「私が、ですか」
「あぁ」
ローレルはリベリアの手を握った。
「ブレイドも、リベリアも私を支えてくれた。ふたりのおかげで私はハーメルンに挑めるんだ」
だから最後まで見届けてほしい。
リベリアは困ったような顔をした。
「私、怖いんです」
「怖い?」
「はい。ご主人様もそうですが、大切な人が死にそうになるのは、痛い思いをするのが」
申し訳なさそうに、リベリアが心中を打ち明ける。ローレルは強くリベリアの手を握ると、笑った。
「見ていてほしい。私が一番輝ける場所なんだ」
「輝ける……」
「ずっと、ずっと憧れていた闘いなんだ。だからリベリアにも共有してほしい」
リベリアはローレルの拳へ視線を落とす。鍛え抜かれた、その拳を。
「……そうですね。勝ったら飛び切りのご馳走、用意させてください」
「勝たなきゃいけない理由が増えたな」
「ですね」
ふたりで笑い合う。
ゆっくりと着実に、決戦の時間が迫っていく。




