穿つ
「何? 同情してくれるの、あなた。優しいのね」
ニッコリ、渇いた笑みを浮かべて。
シスルはローレルに言った。
「ならこのまま負けてくれるかしら? わたし、出来れば殺したくないし」
家族が死ぬ。
――ローレル。
……父さん。
ローレルは拳を降ろした。
家族の命がかかってる。もちろん、ローレルの知り合いでもなんでもない相手だ。
だが、家族を失うことがどれだけむごいことか、ローレルは知っている。
もう拳は振るえない。
ローレルは知ってしまったからだ。
今までも、闘うことで誰かを不幸にしてしまったのかもしれない。しかしそれを気にしだしてはキリがない。わからないものはわからないままだ。
けれどシスルの場合は違う。
知ってしまった。
自分が勝てば相手が不幸になる。
闘えるわけがない。闘いたくない。
降参しよう。そうすればシスルは助かる。
「降参してくれるの?」
そうだ、降参だ。
「こ……」
ローレルは降参を宣言しようとして、言えなかった。
すでに言葉は胸のところまで来ている。だが吐き出すとなった途端、どうしても言葉にできない。
怖い。
負けるのが、いや、闘い切らずに敗北を認めてしまうのが、怖い。
――お前の純粋さは、いつか自分を殺すことになるぞ。
いつか言われた言葉が脳裏を過ぎる。
死ぬわけではない。ただ、ここで負けてしまっては……ローレルは生きていけるか心配だった。
正々堂々、いつも闘ってきた。だから、正々堂々以外の闘いをどうしてもできない。
ブレイドはあっさり降参してみせた。けれどローレルにはできない。
目を、あるところに向ける。
ハーメルンだ。じっと闘いの様子を見ている憧れの人。
この人の前で、あとちょっとで手が届くのに、あきらめるのか。
そう思うと、どうしても「降参」の一言さえ言えなくなってしまった。
「……降参はできなさそうね。残念」
あきれたようにシスルがため息を吐く。それからゆっくり足を上げた。
「殺されても文句言わないでね」
歪な殺気がローレルを刺す。純粋ではない、おそらく事情があるゆえのやむを得ない殺気。
「くっ!」
眉間を叩きにきたつま先を避ける。
……できない。
闘えない、敗北も認められない。
ノーガードでシスルの攻撃を避け続け、自分の敗北を先延ばしにすることしかできない。
どうすればいいのかわからなくなってしまった。
――よく、来てくれた……がんばったな。ローレル。
せっかくここまで来たのに。
もしかしたら負けてもハーメルンがどうにかして闘わせてくれるのかもしれない。そんな希望的観測が脳裏をよぎる。
でも、そんな形でローレルは闘いたくなかった。
この手で掴み取りたい。
我がままかもしれない。駄々をこねてるだけかもしれない。
けれど、この拳で闘って勝ち取りたかった。
――やめてもいいんだ。
父がいつもかけていた言葉を思い出す。
やめてもいい。
本当に? やめていいのだろうか。
やめてもいいやめてもいい、そう言われ続けていたけど勝った時に父は喜んでくれた。
あきらめなかった自分を、褒めてくれた。
負けたく、ない。
と。
視線を感じてローレルは目を向けた。もちろんシスルの攻撃は当たらないようにしているが、意識が分散されたせいでいくつか食らってしまう。
目の先にはブレイドがいた。拳を握り締めて、こちらを凝視している。
知っていたのだろうか。わざと負けたのはシスルの環境が原因だったのか。なら、リベリアはいなかったのは……
「蹴り技だけじゃ、あなたに勝てそうにないわね」
拳が振るわれ、思考が中断される。
顔面への一撃を避け、腹部への一撃を受けてしまう。
両の拳を同時に突き出してきたのだ。
歯を食いしばってバックステップを踏む。ただこの後退をシスルが許すはずもなかった。
シスルは最初と同じようにまるでスライディングでもするかのごとく、ローレルの足を払いに来る。ローレルはそれを、どうにか足を上げて回避した。
足を踏み揃え、相手を見る。
右脚曲げ、左脚を伸ばしたまましゃがみこんだ状態。
シスルはそこから肩に拳を構え、一気に体ごと突き上げる。真っ直ぐになっていた左脚が曲がり、畳まれていた右脚が伸びる。
前方下から突き出される、強烈なアッパー。
拳がみるみる巨大になっていき……
そして鼻の先をかすめて、すれ違った。
「え」
上にいるシスルが顔色を失う。
当たり前だ。
下手をすればまともにアッパーを食らうようなときに、ローレルがしゃがみこんだからだ。
足をそろえて、拳を構える。
床を蹴り、体を伸び上がらせ、拳を放つ。
前方上へのアッパー。
それが、シスルの顎を捉えて吹き飛ばした。
シスルの体が宙で舞い、落ちた。
「あ」
反射的な行動だった。
ローレルの意思ではなく、ローレルが拳を放った。
そこに、シスルの家族がどうなるかという考えは無かった。
拳を、見る。たった一つしかない、自分の武器を。
自分は、闘いたがってるのだろうか。
闘って、他人を犠牲にしてでも、自分の願いを叶えたいのだろうか。
「あなた、殴ったわね。無防備なフリしといて、噛み付いてきたわね」
静かな怒りを滲ませてシスルが立ち上がる。
その顔は怒りでひどく歪んでいた。
「殺してあげるわ。苦しいかもしれないけど、なるべく楽に死ねるようにしてあげるわよ」
「……私は、殺されてやらない」
「あら? じゃあ降参」
「降参もしない」
「そう、勝つつもり? なら来なさいよ、ほら」
手招きをして、嘲笑しながら挑発される。
「無理だ」
挑発をきっぱり拒否する。
いつの間にか構えていた拳を、また下ろしてノーガードになる。
「またそれ? 何、秘策でもあるわけ」
「ない」
シスルの眉間の皺がさらに深くなった。
「もういいわよ。死になさいよ」
「殺しに来れば良いだろう」
蹴りが飛んできた。
拳が、襲い掛かってきた。
それをかわしながらローレルは考える。
自分はどうすれば勝てるのか、を。
ローレルは闘いたがってる。同時に、良心が、闘うなと訴えている。
なら、闘えるようにするだけだ。
それはローレルが外道になることではない。
シスルもシスルの家族も安全で、しかも自分が闘える状況を作り出せば良いのだ。
この場では話し合いはきっと出来ない。だから、自分で考えるしかない。
相手の家族を見捨てない、降参もしてやらない。
勝手な、子どもみたいなわがままだ。
ただ、命をかけてやる。
死ぬまで考えることを放棄してやるものか。死ぬまで自分は自分であり続けてやる。
自分で救える命なら、救ってやる。
助けられないのなら死んでやる。
シスルは「殺す」と何度も言ってきた。しかし、自分は殺されてない。
ローレル自身の力でもあるが、シスルは本当に人殺しをしたいわけではないのだ。
家族のために、自分は勝たなければならない。
そういう想いが、彼女に歪な殺気を持たせ、人を殺させている。全ては家族のため、だ。
非難はできない。ここはクライム。何もかもが許される場所である。
そしてきっと、ローレルも同じことをしただろう。
もしも、もしも家族が人質にされて、ハンズで闘って勝たねばならないのであれば、闘う。
殺すのが必要であれば……あまり考えたくは無いが殺していただろう。
自分を殺して、相手を殺すのだ。
「さっさと殺させなさいよ」
「早く殺せ!」
あのうるさい主人のせいだ。闘いに無駄なものを持ち込んでくる、あの下種な男のせいだ。
「殺せっ! シスル! 家族のためなら他人の命なんて安いものだろうが」
あいつさえどうにかすればいい。
「……マーフィー・シスル」
拳を引き絞る。左腕を幻肢する。
幻肢している左腕は内側に捻り、胸に引き寄せるようにする。
蹴りの嵐を潜り抜けながら、ローレルは拳に力を込める。
ステップをやめる。シスルの蹴りよりも早く、拳を撃ち出せるからだ。
「勝ちは、死んでも譲らない!」
地に足を貼り付けて、右拳を撃ち出す。
下半身が火薬になるのではなく、上半身が火薬となって撃ち出される銃弾。
背筋を伸ばし、束ねていた拳を放つ。
鋭いコークスクリューが、シスルを撃ち抜いた。
脚を使う、ステップを踏める状態のコークスクリューほどのレンジはないが、力の分散がしにくいため、より破壊力の高いものとなっていた。
シスルが地に叩きつけられる。
まだ気絶させてはいなかった。いや、できなかった。
「……ふざけんじゃ、ないわよ」
体を震わせ、シスルは立ち上がる。
わかっている。彼女は負けられない。
家族のために、負けてはならない。
だから立ち上がる。ただ威力を高めた拳だけじゃ足りない。
「私も、家族が大好きだ」
拳を握り締める。
「母さんは顔を覚えて無いし、父さんもいつか思い出せなくなるんじゃないかと思う」
「薄情な、娘ね」
「随分長い間、顔を見れてないんだ。もう二度と、私は母さんにも父さんにも会えない」
けれど、この命は母が助けてくれたものだ。
けれど、この拳は父と一緒に鍛え上げてきたものだ。
だから。
「でも変わらないことがある。母さんも父さんも私を愛してくれた。だから私も、ふたりを愛してる」
だから、例え思い出せなくなっても、それだけは忘れない。
絶対に。
「お前の家族は殺させない。絶対なんて無責任なことは言えない。だが命はかけてやる」
接近する。ノーガードで、右腕を握り締めて。
隙だらけだ。シスルがそれを見逃すはずもない。回し蹴りを放ってローレルの側頭部を叩く。
頭に強い衝撃が襲った。だが倒れなかった。
シスルは耐え切ったローレルの首に脚を巻きつける。このまま、関節技にでも移行するのだろうか。
遅い。
ローレルはすでに拳を叩き込んでいた。
今回三発目のコークスクリューブローだ。
瞬間、糸が切れたように、シスルの体から力が抜け、倒れた。
勝ったのだ。




