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【完結】太陽の拳  作者: 月待 紫雲
エピソード10
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鉄槌

 ここまできて、負けたくはない。

 腕を震わせ、力を振り絞りながら、ローレルは上体を起こす。

 骨が軋み、筋肉に激痛が走る。歯を食いしばり、手を強化ガラスに当てながらゆっくり立ち上がった。

 ぼやける視界を、焦点を絞ることで安定させようとする。視界の端がぼやけて見えないが、中心辺りなら見えた。

 青い巨人はローレルの眼前までたどり着いていた。拳で人の体を潰しに来る。


「終わりだ、ローレルッ」


 怖い。

 デリーが怖い。眉間にシワを刻み、ギョロリと向けられる視線の鋭さが。確実に体を潰してやろうという殺気のこもったパンチが。

 雨の日に現れたあの悪魔を力でねじ伏せた巨人の拳が、怖い。怖くて堪らない。

 ローレルは逃げた。足で床を蹴り、ふらふらと横に移動し、拳を避けた。倒れそうになるが、なんとか踏み留まる。

 拳は放てても一発が限界かもしれなかった。


「フフフ、アハハハ……」


 ローレルは渇いた喉で笑い声を絞り出す。


「オマエ、気でも狂ったか」

「そうかも、しれないな」


 全身に痛みを感じながら、しかし、ローレルは口の端を吊り上げていた。

 この恐怖に打ち勝つことができれば、自分は強くなれる。きっと、今までよりも強くなれる。

 父のリベンジマッチを果たすためにクライムに来た。そして己の無力さを味わってきた。だからこそ、そこから脱せることをローレルは望む。

 自分は、女でも、片腕しかなくとも、ボクシングでも、強いのだと。証明するために。


 笑う。


 この巨人を打ち倒せれば、自分は強くなれる。


「少しオマエを舐めていたのかもしれないな。もっとまともなやつかと思ってたぜ。ちょいと痛めつければ降参するかと、思っていた」


 デリーは声音を低くして、ローレルを睨む。


「ところがどうだ? オマエ、ボロボロのくせに構えようとしてるじゃねえか」

「わ……私、だって」


 近づいてこないのはありがたい、その間休めるし、準備もできる。


「ラックだけで、ここまで」


 拳を上げて胸に引き寄せる。震える体に鞭を打ち、力を引き出す。


「来た、わけじゃ……ないっ」


 フラフラと体を揺らしながら、ローレルはデリーに歩み寄る。デリーも足を動かし、近付いてきた。


「死んでも恨むなよ」


 デリーは拳を握り締め、上から下へ振り下ろした。鉄槌のようなその一撃はローレルの頭目掛けて落ちていった。

 左足を一歩前に出し、半身になる。だが、その程度では避けられない。ローレルの狙いは、鉄槌を振り下ろすときに下りてくる巨人の頭だ。

 デリーは右手を地面に着き、左の鉄槌を振り下ろしてきていた。つまり、ボディへのダメージがなくなっていないゆえ、安定した姿勢での拳は放てなくなっているのだ。


 ストレートでもフックでも放てばいいのに、デリーはさっきの一撃も振り下ろしの攻撃にしている。走って接近することもしなければ、ステップも踏んでこない。大地を踏みしめるように歩くだけだ。

 だから、デリーはその場に踏み留まれず、姿勢も保てずに腕を曲げた形で鉄槌を落とし、頭を下げてくる。


 ローレルは拳を突き出す。

 全力のコークスクリュー。

 振るわれるデリーの拳。

 先に当たったのはローレルの拳だった。直前で手首を内側にひねり、威力とスピードを増したコークスクリューが、デリーの顔面に当たる。

 だが、デリーの鉄槌も、ローレルの肩に叩きつけられる。


「アッ、ガアァ!」


 肩から腕まで走る激痛に叫ぶ。

 まだ、もう一撃。

 左足を一歩前へ。

 腕を引き戻し、体で振り回した。


「ローレル」


 デリーが叫ぶ。デリーも一撃放とうとしてきた。

 最後の力を振り絞り、ローレルはストレートを放とうとする。

 しかしそれは、ストレートではなく、右スイングのような動きの、実に力任せな一撃だった。


 ワンテンポ遅れて拳を叩き込む。デリーのテンプルに直撃した。


 グギリ、といやな音が聞こえた。肩から先が吹き飛んだ。


「……ぐ、え」


 デリーの拳はローレルの右肩に突き刺さっていた。拳を振るい切ったローレルの体は、抵抗できずにデリーの拳を受け入れていた。

 拳が離れる。

 ローレルが膝を付く。

 意識が曖昧模糊とし、動くという考えが浮かばなかった。


 だらん。


 右腕は電池の切れた機械のように、役立たずのものになっていた。


 終わった。右腕は、もう使えないのだ。


 ローレルはただ息を漏らし、喘ぐしかできない。

 デリーは両の拳を床に付け、ローレルを見下ろしていた。

 ローレルには闘う術がなかった。

 ぼんやりと、拳を突き出そうとするものの、それだけだ。動かないものは動かず、本能で突き出そうとするだけで何も考えていない。

 デリーは表情を変えず、そのまま崩れ落ちた。ローレルの目の前でデリーがうつ伏せに倒れる。


「……え」


 おぼろげな世界の中で、疑問符がわく。

 理解できなかった。なぜ巨人が倒れているのか。巨人のウェイブが消えているのか。


「ローレル」


 司会から声をかけられる。あの、ボブという男だ。


「デリーは気絶している。殺すのならば頷け。これ以上続ける気がないのなら首を振れ」


 観客のざわめきなどは聞こえないが、ボブの声だけははっきりと聞こえた。

 殺す? 冗談ではない。

 ローレルはゆっくり首を振る。


『勝者、カレジ・ローレル』


 ボブがマイクを使って叫んだ。

 何も出来ないまま、時間だけが過ぎていく。意識はかろうじてまだあった。夢を見ているかのような気分だ。

 ここを去らなければならないが、体が動かない。力さえ入らなかった。


「おい、いつまで動かねえつもりだ」


 何分かした後、聞き覚えのある声がした。

 あぁ、ブレイドの声だ。

 ブレイドの名を呼ぼうとしたが、まともな声にならない。


「ま、無理か。あんなん食らっちまったら動けねえだろうな」


 突然、ローレルの頭に手を置かれる。


「眠っちまいな。安心しろ、ちゃんと起こしてやるからよ」


 優しげな口調のブレイドに言われ、ローレルは瞳を閉じる。

 そして、ローレルの意識は闇の中へ沈んでいった。

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