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老後福祉従事者からの愚痴  作者: みのむしの愚痴
9/11

追記 願い。

ここ最近、いろいろな法案が通り始めている。

どれも、要介護が低い人をターゲットにしたものばかりのように感じる。

その中身は、「自力でなんとかしてください」と言わんばかりの物だ。

要介護2の方に対しての、補助具申請の上限設置。要支援の方に対する負担額の増額。

医療費の負担割合の増額。


まだ、本格的に騒がれていないが、私個人としては、納得できてしまう物だったりする。

そう。

全てはたった一つ。「子供がいない」

事に直結していると感じている。


働き、税金を納める者が少なすぎるのだ。

財源が人材が、限界に来ているのだ。


昔の人は、「老兵は、黙って立ち去るのみ」

と言っていた。

「子は宝。子は、未来。子は財産」

と言った人もいた。

今は、老兵しかいない状態が起きている。

働ける人間の絶対数が少なくなっている。

昔、私は学校時代に習った事がある。

人材になるな。人財になれと。あと、人罪にはなるなとも言われたのだけれども。


材料は、誰でもなれる。しかし、その会社に置いて、貴重は財産になれと。

その言葉は、今でも心に残っている。

材料ではなく、誰かを育てたり、誰かを支えられる財になれれば、私としては幸せだと思っている。


しかし、ここまで子供が少なくなり、子供などいらないと言う風潮が蔓延してしまっている今の現状を、変える一手が無いのも事実だと思う。


財になりえる人が産まれて来ないためにいないのだから。




その中で、国は、移民をずっと訴えている。

しかし、その先を真剣に議論しているのか、その先を考えているのか疑問に思う。

アメリカは、移民を行い、万里の長城を、国境に引くと叫んでいた。

ヨーロッパは、移民を追い出せと暴動が起きた。

結局、移民追放まで起きている国すらある。


移民が起こすその限りなく高いリスクと、限りなく高い民族間の軋轢は、すでに他の国で、歴史の中で、実証されてしまっている。


今まで日本では、その軋轢は無かった。

外人がいなかったから。

しかし、沖縄で、アメリカ兵が過去に起こした事件や、外人が事件を起こし、海外へ出た時の報道を見ていけば、全ての事件を追う事など不可能であろう。


そんなリスクを負わないための法改正が起きているのか。

民間人に、私たちにそのリスクを負う覚悟があるのか。


悩んでしまう。

しかし、現実に、働く人は少なくなり続け、人手不足は圧倒的に迫って来てしまっている。


「効率化」は、無数の無職者を出し。

海外へ工場を出し。


今、国内が回らないと言う笑えない状態に陥っている。


こんな、袋小路とも思える状態の中。コロナというこの病気の中で。

私たちはもう一度考える機会を与えてもらえたのではないのだろうか。


私たちが、必死に追い求めていた財は、何だったのか。

私たちの時代は、お金はいらない。自分が納得が出来て、楽しく仕事が出来れば良いと思っていた。

しかし、この年になり、この仕事に就き、お金が無い事に絶望する事もある。


海外旅行など、一度も行った事すらない。

ハワイなど、行ける収入があるわけもない。

一か月をギリギリで生活し、残ったお金をなんとか貯金に回し老後を考えるばかりだ。


お金が必要だとお金があればと、この年になって感じてしまう。


しかし、それでいいのかと、心のどこかで考えてしまう。

本当に、私たちが考えていかないといけないのは、「お金にとらわれない幸せ」

なのでは無いだろうか?

家族との幸せ。

友人との幸せ。

やりたい事をやる幸せ。

それこそ、ビール一本で、朝までバカ騒ぎ出来た幸せを思い出してしまう。


採算を度外視した、ある意味、無茶苦茶な混乱の中にある幸せを思い出すべきではないだろうか。


言い換えてしまえば、切り捨てる者は切り捨ててしまえる、残虐さではないだろうか?

昔は、「馬鹿はバカ。死んで当然」

などと言う考え方すらあった。

古典落語だったか。

「隣の長介さん、何で身上こ~わした?」の歌など、そんな考え方の一端では無かったのでは無いかと思える。


しかし、実際切り捨てる社会になってしまえば、自分も切り捨てられる側であろう事は理解している。

私には、地位も無い。名誉も無い。帝王学を学んでいるわけでもない。

どこかの肩書を持っているわけでもないし、ここで叫んだ所で、蚊の声のような悲鳴を上げているだけだ。


しかし、そんな私が、みなさんに伝えたいと思う事、今本当に考えて欲しい事がある。


「自分は、誰と生きて、誰と死ぬのか」

「どこで、生きて、どこで死ぬのか」

「これから、何をして生きて、何をして死ぬのか」


哲学であり、誰も答えが出ない事なのではあるけれど、熱盛の一節にあるように、自分の中で答えを見つけようと必死にもがく事が、必要な時代が来たのだと思ってしまう。


私も、今、その考えを見つけたくてもがいている最中ではある。

けど、この絶対に答えが出ない事を考えさせてくれるきっかけに。

今回のコロナという病気はなってくれたのではないかと思うのだ。


施設と言う、管理小屋に突っ込まれるのか。

お金を稼ぎまくり、超高級ホテル型施設に入るのか。

外人しかいない、雑多施設に入るのか。

家で周りに迷惑をかけて生きるのか。

迷惑をかける前に、全てを諦めるのか。

息子、娘に、寄生するのか。


全て、ネガティブじゃないかと思った方もおられるだろう。

しかし、結局、自分の終わり方を考えられない限り、結局どこにいても、不幸だと思うのだ。


施設が悪い訳じゃない。

施設に入って、施設の生活を楽しみ上げてやると思って入ってくれば、そこは幸せな空間だと思う。

食事の献立を考える必要もないし、毎日の掃除、洗濯をする必要も無いのだから。


逆に、子供に、周りの人に、ボランティアに散々迷惑をかけてでも、家で好きに生きると決意すれば、自分らしく生きる事が可能だと思う。


その生き方を考えていた時に、何が必要で、何が不要なのか。

自分が生きていく中で、何を準備していたらいいのか見えて来ると思う。


今、介護用品は、ほとんどが介助者側に立った物が多い。

しかし、昔に障碍者の一人が言っていた。

「自転車より早い車いすを自作させ、タイヤを完全ゴム製にして、オフロード型にした」

電動自転車すら無かった時代にそんな物を作った。そんな方もいた。結局、警察に、怒られたみたいではあるけれど。

楽しく生きるために、何が必要なのか真剣に考えているから出来る事だと思う。


生きる事は迷惑をかける事。

誰かに迷惑をかけなければ、絶対に老後は過ごせない。

だったら、真剣に死ぬまで生きる事。を考えて欲しいと思う。


一か月7万しかない年金で暮らせと言う、無茶苦茶な国の要求に答える必要が出てしまっている。


迷惑をかげずに生きる事が出来る人間は存在しない。

必ず親に、親戚に。上司に。友達に。

絶対迷惑をかけて、生きて来ているはずなのだから。

最後まで、迷惑をかけずに生きようなど虫のいい話しなのだ。

ならば、自分が生きる上で、どんな迷惑をかけていくのか先に分かっていれば、準備も出来ると思う。周りも、気持ちの準備が出来ると思う。

だからこそ。

「どうやって、死ぬまで生きるのか」その事を真剣に考えて欲しいと思うのだ。


施設に入れば、安心などと言った安易な考えに落ち着かずに。

施設に入って、何をしたいのかを考えて欲しいのだ。

自分の人生を、手放して欲しくないと本当に思ってしまう。


私たち介助者が、業務などという、ふざけた仕事をせずに、生きるための、または死ぬための支援をしていける社会がいつか来れば良いのにと節に願うのである。


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