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老後福祉従事者からの愚痴  作者: みのむしの愚痴
8/11

最後に 

今まで、いろいろと書き込んで来ていたけれど。

私が思うのは、ただ一つなのだ。


この10年。介護はまったく進歩していない。

いや。もしかしたら、日本そのものが進歩していないのかも知れない。


スマホが普及し。

デジタルが浸透し。

調べ物は簡単になり。

なのに、この業界では、進歩が無い。


何故なら。

この業界に長くいて思う事なのだが。


「人から聞いた話は、身に付かない」事なのだと思う。

自分が経験しなければ。

自分が、泣く思いをしなければ。

自分が、人を殺すかもしれない恐怖を感じなければ。

覚える事も、行動も。変わらないのだと思うのだ。


隣の家で、味付けが濃いと喧嘩をしている事を聞いていて、まさか自分の家の味付けが濃いなどすぐに思いつく家はあまり無いだろう。


新人が転倒事故を起こして。

ベテランが、自分も同じ事故を起こすか自分を見直す事は少ないのでは無いだろうか。


ベテランが起こす事故すら。

新人から見たら、何が悪かったのか理解できないと思うのだ。


書いてあること。予防策、対策として書いてある事の問題点、課題点すら理解できないと思うのだ。

私自身がそうであったから。


自分が誤薬をし。

意識が飛んでしまい。


自分が転倒を見つけ。

目の前で、血の海を見てしまう。


そんな修羅場を、一つでも経験した時、それが本当に危険な事を知って。

命を預かっているという実感を感じて。怖くなる瞬間を経験して。


そんな瞬間を経験しなければ、理解は難しいと思うのだ。


理解できないから、先が伸びない。


同じ経験をした事のある職員が多くないから共有できない。

今までそんな状態だったのではないだろうか。


今、コロナで大量の利用者が亡くなっている。

職員も、体調が万全でない中、みなさん、ギリギリで業務をしていると思う。


しかし、この波が終わった時。

この経験を、次の世代。

若い子たちに、伝える事が出来るのか。


経験していない人たちに伝える事が出来るのか。

理解してもらえるのか。

結論として、かなり難しいと思うのだ。


次の世代がいないこの業界。


外人を入れたところで、育つまで我慢強く残ってくれるのか。

安い給料で、人を雇えれば安心だろうと、適当に老後をみていないか。


私がこの業界に入った時は、y字帯も、ヘッドセットも当たり前の時代であった。

布おむつを使っている所もあった。

抑制着も、車いすを手すりにくくりつけるのも、当たり前の時代であった。


今、全ては廃止され、生き生きと生きようと試みが始まり。

多くの介護者の苦労と、涙と民間療法の力すら借りて、抑制がない生活が普通になっている。


それこそ、苦労しかなかった。しかし、この20年で変わった装置も、アイテムもあった。

フットコールは、私たちの願いそのものだった。

ベッドから起きたら、教えてくれる装置など無かった。

オムツにいたっては、6時間持ちますなどと言う高性能の物ではなかった。

すぐに溢れ、絞ったら水が出て来る物だった。


考え方も変わった。

しかし、それを次に受け継いで行けなければ、私たちの経験を次に渡してあげれなければ、昔に戻るのは、目に見えている。


おそらく、夜間100人を一人で見るなど言う、馬鹿としか言いようのない世界になってしまう可能性があるのだから。




最後に、

人を育てるために。

幸せを老後に求めるために。


次に私たちが目指す段階は、「姥捨て山」からの脱却ではないのだろうか。

限界まで、社会で、地域で、家で生活を行い。


施設に入ったからと言って、旅行を、温泉を、大衆演劇を、映画を、飲み会を、食事会を、地域の集まりを、切り捨てる事は無いと思うのだ。

認知症になったからと言って、買い物を、外食を、散歩を、旅行ですら諦める必要は無いのではないだろうか。


本人の意思で、本人の気持ちで、やりたいことをやれる社会こそあるべき姿だと思えるのだ。


レクリエーションは、施設から出られない、娯楽が無いからこそ。こちらが娯楽を与えましょうと言う、押し付けではないかと思ってしまうのだ。


自分が、その場所に立った時、大きなお世話と思ってしまうのは、自分が捻くれた人間だからなのだろうか?


自分から、娯楽を楽しめるように。

諦めなくても良いように。

その支援が出来る事が本当の老後支援ではないのだろうか。


介護という言葉が無くなり。

支援という言葉のみが残る社会が、本来あるべき姿ではないのだろうか。


家族の支援を行い。

老後を迎えた本人の支援を行い。


本人が、納得し、笑って死を迎えれるために、私たちが手伝ってあげれる事を手伝っていく「支援」だけが全てではないのだろうか。


押し付けでもなんでもなく。

医療も、介護者も、家族も。

お互いが、お互いを「支援」できる社会であれば、もっと幸せを感じれるのではないかと。


厳しく当たる人も、優しく接する人も。

全員が笑って死ねる社会を作れる事を目指したいと思いたい。


私は、次の世代に少しずつ、自分の経験、自分の技術、自分の考え方を渡して行く事しか出来ない。

けど皆さんにも、笑って死ねる社会のために、今から何が出来るのか考えて欲しいと思うのである。



いろいろと忙しくなりすぎて、一旦締めました。

また、書きたりない部分は、落ち着いたら書いて行きたいと思います。

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