社会崩壊の危機が来てない?
コロナで騒がないように言われ始め。
ワクチンも自己負担でと言われるようになってきた。
戦争のせいか、物価は青天井であがり続けている。
賃金の上昇はまったく追いついていない。
そんな中で、老人に襲い掛かって来る厳しい現実が目の前に広がってしまった。
もう少し遅いかと自分自身は思っていたのだが、最近の戦争と、物価高のおかげで、私が思っていた未来が、数年早く来てしまうと実感せざるを得ない。
その未来とは。
「金持ちのみが福祉を受けられる社会」
である。
オムツは、これからも値上がりするであろう。
食事も値上がりするであろう。
電気、ガス。光熱費も上がって行く。
そうなれば、施設は自然と値上げを敢行するしかなくなる。
光熱費も、おむつ代も、水道代も年間にしてしまえば、数千万の世界である。
それだけの支出の値上げを今の収入で支える余力は正直、施設には無い。
職員の給料の値上げも検討していかなければならない中、人も集まらない中。
値上げを行うしかないのだ。
値上げを行えない施設は軒並み潰れていくであろう。
そして、その値上げの現実の中、老人たちの年金の値上げは一切ない。
いや、出来ないと言ってもいい。
収入が無い以上、国から働かない人に渡せるお金など無限に出せるわけではないのだから。
生保は増えると思われる。
しかし、施設は値上げを行う。
結果として、施設はおそらくどんどん営業を畳んでいくしかない。
緊急の解決策としては、本当に海外の人員を雇うしかない。
中国、韓国の人材は高くて使えない。
なら、東南アジアの人材に頼るしかなくなって来る。
搾取。奴隷と言われてでも、最低賃金で働ける人財確保に躍起になるしかない。
恐らく、千万単位での人材が必要になってしまう。
それに、日本という国が耐えれるのか。
福祉崩壊は目の前に来ている。
今から、法律を変えようとしても、無理だろう。
間に合わない。
私は残念ながら、今後、福祉の2分化が行われて行くと思っている。
お金持ちが使える、医療、介護、地域福祉を統合した、老後支援施設。
手持ちのお金が少ないため、医療、介護、地域福祉にある程度の制限をかけた、従来介護。
この二つに分かれていくと思っている。
お金持ち用は、なんでもしてくれる。
貧乏人は、制限をかけられる。
そんな社会が来てしまうと思っている。
それに対して、国がどうこう出来るだけの体力が今の日本には無い。
なら、貧乏人はどうすればいいのか。
今から急いで作る必要があると思うのは、老人相互コミュニティの再構築ではないだろうか。
お互いに、野菜を、料理を分け合えるコミュニティを急いで作り直す必要があると思う。
鍋を持って豆腐を買いに来ていたような、青空市場的なコミュティを強化する必要がある。
いっそ、福祉に取り込んでしまってもいいくらいだと思う。
その上で、誰が、怪我した。誰が倒れたなどの異変を教えてもらえる社会をつくらなければ、誰にも気が付かれずに、路上で死ぬ人間が増えていく可能性すらある。
これからの未来、死ににくる施設。を作る必要すらある。
病院で死ぬか、施設で死ぬか。
医療を受けるか、受けないか。
家族の意向で決めるのではなく、本人が決めて欲しい。
そして。
施設は、生活する場所という考え方からの脱却。
施設は死にに来る場所。もしくは、家に帰るリハビリ施設という考えに切り替えて欲しい。
動けなくなり、生活が難しくなったとき。
死にに来るために施設に入るくらいの気持ちでなければ、今後、施設は無くなる一方である。
施設がなくなる原因は、いろいろあるのだが。
職員がいない。
若者がいない。
転職者もいない。
誰でも出来るが、誰でも入れば続けられる職業ではない。
(特にストレス耐性が低い人には絶対無理な職業だと思う)
賃金上昇、光熱費上昇により、赤字になる施設が増えている。
(企業系の施設の撤退がありえる)
加算、福祉料金の見直しにより、回収不能になる債権が増える可能性がある。
従軍慰労金をもらっていた世代がいなくなり、必要支払額と受領年金額の圧倒的差額が出て来る。
ざっと思いつくだけでも、これだけある。
つまり、施設は減る未来しか見えて来ないし、それこそ、縫製工場と同じ光景となるのはもう避けられない。
その上で赤字になれば、あっさり企業保持の施設は撤退していくだろう。
そもそも、訴訟リスクの高すぎるこの業界で、腰を据えてやっていける企業がいくらあるのか疑問ですらある。
待ったなしになってしまった。
少し焦りを感じているので、急いで発言したくなってしまった。
皆さん本当に考えて欲しいと思う。
障碍者を施設に放り込んで、社会からはじき出した結果。
高齢者となり、障碍者となったとき、社会からはじき出され、保証すらされなくなる社会が来てしまいそうになっている。
障碍者の方は、声を荒げて欲しい。
健常者には分からない苦労をもっと声を上げて欲しい。
文句を言うのではなく、どうしたらいいのか、障碍者だけで生活するために何が必要なのか考えて欲しい。
私は、認知症とは、昔で言う、精神障碍だと思っている。
超高齢になるという事は、身体障碍になる事だと思っている。
学校も、教育も。
障碍者をはじき出す事を当たり前にしないで欲しい。
障碍者しかいない社会を構築する必要は、すぐそこに来ていると思うのだ。




