表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

彩光キャンディー

作者: rara33

タイトルの読み:彩光さいこうキャンディー

 五月、新緑の季節。

 今日も私は、自分だけの雨を楽しんで歩く。

 朝日の下で虹色に濡れる、私の足跡。

 こぼれ落ちる透明なキャンディーが、一つ一つ、積み重なって。

 何度も振り返っては、その波紋を、美しいと味わうの。


 * * *


光桃みつも! たまには晴れを楽しめば?」

 葵の制服のスカートのひだが、雨のカーテンの間で揺れる。

「それ、私が彩太あやたに言うセリフ」

 雨製造機「レニー」の降水量レベルを「やや強」から「弱」に下げて、私は言った。会話に支障のないレベルの雨音は、残したいもの。

「あいつは短距離走のタイムのためでしょ」

「登校タイムだって大事だよ」

 私は、大袈裟にマイナスイオンを吸い込んで吐いた。

「アタシはいいけどね。アタシは」

 葵の声が、雨音を突っ切って私に届く。

 傘をさしていないのに、彼女の紺色のブレザーはまったく濡れていない。

 桜の散った後の葉っぱたちが、我関せずと乾いた葉を揺らしている。


 レニーは、「ウェザー・コーディネーター」社が開発した機械の一つ。

 ドーナツ型に穴の開いた特殊金属は磁石の力で頭上に浮き、搭載されたA.I.に命令すれば、いつでもどこでも自分の周囲にだけ雨を降らすことが出来る。

 雨はレニーの輪の外側沿いに降るから、真ん中に立つ本人は普通に歩けば濡れない設定だ。


 ――レニーおたくの雨女。歩道が濡れて大迷惑。

 雨音に混ざって耳に届く、じっとりした陰口。


 そんなの全部、雨と一緒に流してやるから。


「光桃、もう校門だよ」

 そう言った葵に申し訳ないから、

「レニー! 雨とめて!」

 私は顔を上げて宙に呼びかけた。


「承知しました」

 機械音声が聞こえて、雨が瞬時に止んだ。

 二人の間を遮るものが消えて、湿ったコンクリートの匂いが鼻をつく。

「もう少し、癒されたかったな」

深呼吸をして私は呟いた。


「昼休みも使うんでしょ」と、葵の呆れた声が響く。

「いや、今日は彩太のトラック走を見に行くから」

「部外者のくせに。いっそ、光桃も一緒に走れば?」

 葵が、私の頭上の輪っかを指してケラケラと笑った。

「レニー夫婦で全国目指せ! タイムもお揃いにしろ!」

 「ハイハイ」と言って、私はレニーを手に取り圧縮した。浮き輪から抜ける空気みたいな音がして、天使の輪の形が瞬く間に平べったくなった。


 去年の高校一年生の誕生日に私がレニーを親に買ってもらったのは、あの瞬間がきっかけだった。


 昨年の十月、秋晴れの雲一つない日の放課後。

「自己ベストきるかな?」

「あの条件で!? ありえん!」

 運動場のトラックに立った彩太を見守る、陸上部の部員や部外者たちのざわめきは毎度のことだ。

 幼馴染の彩太が短距離走の練習で走る姿を、同じ高校に入学後から何度も見てきた。

 彩太は手足が長くて、馬みたいに駆ける。

 しなやかに走る競走馬の、青毛のような黒髪を風になびかせて、ただ目の前だけを、足元なんて見ずにいつも飛ぶように駆け抜けていた。


 あの日、レニーの輪を頭上に浮かせた彩太は白いユニフォーム姿も相まって、大きな天使みたいだった。


 トラックで彩太がクラウチングスタートを切った瞬間。

 彼の靴の裏が、馬の蹄のように地面を蹴った一瞬で。

 私の心臓も、運動場の砂と一緒に踏まれて蹴られた。

 小気味良いくらいの圧倒さで放置されて、私から彩太はどんどん遠ざかっていった。

 

 斜め上空を浮遊するレニーが豪雨を降らし、彩太の行く道をあっという間に黒く染めていく。

 雨の弾丸の中に、躊躇なく顔を突っ込んで走る彩太。

 食いしばった彼の口にダアダアとなだれ込む雨の筋。

 腕を大きく振るたび、太ももを前に突き出すたび、火の粉を払うように雨粒を飛ばして走る彩太。

 艶やかな黒髪から水しぶきが飛んで、私の心にビシャリとかかった。


 桜のピンク、青葉の緑、プールの水色、紅葉の赤、雪の白。

 今まで見てきたどんな綺麗な景色をもしのぐ鮮やかさが、私の目の奥まで染み渡った。


 あの光景を思い出すたび、喉の奥が甘くて苦くて、キュッとなる。


 * * *


 彩太と二人で歩く、雨の帰り道。

 正確に言おう、天気は晴れ、私はしっとり小雨モード、彼は練習の延長でやや強い雨モード。

 こんなちぐはぐな組み合わせだけど、私たちにはすっかり見慣れた「日常」風景だ。


「今日の昼も、彩太は絶好調だったね」

 頭上のレニーの角度を調整しながら、私は彩太を見上げた。走り方だけでなく、その面長の顔も馬を彷彿とさせる。

 まだ身長差がなかった頃は、彼のつぶらな瞳をのぞき込むのが好きだった。

「……」

 返事の代わりに首をポキッと鳴らすと、彩太は頭の後ろを右手で掻いた。

 私より頭二つ分ぐらい高い位置で、彼のレニーが雨を降らす。

「っちいな」

 腕まくりしたシャツの袖で火照った顔を拭いて、彩太が呟いた。

「風モードにしてもいいよ。私、多少濡れても平気だから」

 暑がりなのに今まで遠慮してくれていたんだと、嬉しくなった。


 彩太がスイッチに手を伸ばした途端、

「あ!」

「え!」

 二人で同時に叫んだ。

 彩太のレニーから出ていた雨が、突然、尻すぼみになって止んでしまったのだ。


「雨切れです。水を補給してください」

 機械音声が繰り返し告げた後、輪の端からポトリと何かが落ちてきた。

 彩太が素早く手を伸ばして受け取った。

 その掌の中には、小さなあめ玉が一粒あった。

「雨切れになるとお詫びにアメが出るって噂、ホントだったんだね」

 私が呟くと、彩太は小さくうなずいて掌を見つめた。やがて彼は私の方を向くと、長い腕を差し伸べた。

「やるよ」

「いいの?」

 レニーの輪の影が彩太の顔に重なり、表情は見えない。でも、その声は私の好きな雨みたいに、穏やかで温かかった。


 私はレニーのスイッチを切って、両手を差し出した。

 このアメは絶対に濡らしたくないと思ったから。


「ありがとう」

 丁寧に包装紙から出して口に含むと、素朴な甘い味が舌の上に広がった。

 好きな人を想うときみたいに、私はしばらく目をつぶった。


「あのね」と言いながら、そっと目を開ける。

「……」

「私ね」

「……」


 星の数ほど多い雨粒の一つ一つが、空気に潜んで私を応援している。

 千差万別に輝く彼らの存在が、とても愛おしく思えた。

 あめ色のエールを受けるべく、私は深く息を吸い込んだ。

 包装紙を剥がしたときみたいにゆっくりと息を吐いて、彩太を真っ直ぐに見据えた。

 彼の顔を正面から見たのが久しぶりすぎて、たぶん、私の顔は赤くなっていたと思う。


「こんなに美味しいアメもらったの、生まれて初めてだよ!」

 ニッコリ笑って、私は言った。

「っ!?」

 馬面の鼻が一瞬大きく膨らんで、私は笑った。

「変な顔しないでよ、バカ」

 からかって彩太の肩を軽く叩いたら、木の芽みたいな良い匂いがした。

「光桃」

「なに?」

 彩太がうつむいて、足を止めた。

「少しだけ、ここにいよう」

 私も黙って、足を止めた。


 彩太と私の足下には、二人の作った水たまりが広がっている。

 数枚の枯葉が小舟のように揺れるそばで、紺色のズボンと、スカートから出た白い足が、水たまりを境に上下に伸びている。

 五月の澄んだ風が二人の足元をくぐりぬけて、くすぐったい。

 四つのスニーカーの周囲で、溶けたキャンディーのような水たまりに波紋が巻き起こった。

 陽光を受けた水面が、虹色にさざめいている。


 波紋を見つめ続ける私の喉が、甘やかに締め付けられた。あの光景を思い浮かべたときの苦味は、もうない。


「良かった、美味しくて」

 ふわっと低い声が私の耳に降りかかる。

 再び風の動く気配がしたと思ったら、自分の右手が何か温かいもので包まれていた。


(了)


◎最後までお読みくださり、誠にありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ