村と脱走兵と
朝露が金剛石のような輝きを放つ朝の林を、息を荒くした男と獣が走っていた。鳥たちは歌を謹んでいるようだが、風は構うことなく涼やかに木の葉を奏でていた。
獣に追われる男は猟師かただの農民か。いずれにしろ粗末な弓を手に何かしらの糧を求めて山に入ったようだが、この日狩られるのは彼自身だった。助けてくれと、味方もいないのに叫ぶ男が転倒する。弱肉強食。自然に定められた理が導く光景を、鳥たちは黙って見届けようとしていた……が、彼らの予想は裏切られた。
ざん、と風が吹いたようだった。木の葉を絢爛に飾っていた露の玉がはたはたと落ちた。キャン、と尻を強かに打たれ突き飛ばされた獣が憐れっぽく鳴き、そのまま逃げていった。
「へい、たい、さん……?」
獣の代わりに男の視界に入ってきたのは一人の少女だった。男が暮らす国の兵が着る戦闘服を重く濡らした彼女は、黒い宝石のような細身の剣の鞘を構え、哀しげな目をしていた。
「申し訳ありませんが」
剣を腰に戻し、男に向き合った彼女は言った。
「どこか休めるところを教えてもらえないでしょうか?」
奇妙な娘だとアルバートは思った。
村の長であるアルバートは、猟もする村民から一人の少女兵の応対を相談され、その身柄を預かることにした。村民の命を救ってくれたというのだから蔑ろにするつもりはない。今は老母に頼み、服を着替えさせ湯浴みをさせている。だが、隊を離れさまよってきた兵など……悪い予感しかしない。
「ありがとうございます。あの……私、紗月といいます」
「ああ。私はアルバートという。聞いたと思うが、この村の村長をやっている。――サツキ?」
聞きなれない音の名だと思った。彼女が着替えたときに預かった所持品の中から、彼女の認識票を取って確認した。
「……レイン、と書いてあるが」
「ああ……そういう名前もあります」
他人事のように答える少女は、眠そうな目をしていた。休息を求めていたか、とアルバートは思い返す。老母が用意した寝間着を着た少女は年相応の愛らしさがあり、彼はこの場で詮索する気を失った。
再び老母を呼び、彼女を寝床に案内させた。サツキ、と名乗った少女の、レイン、と書かれた認識票を手に、ひとまず軍に連絡を入れておこうかと考えたが、駐屯地は遠く彼らは用の――有体に言えば厄介事を持ってくる時しか村に訪れないことに気付いた。ならばとアルバートは認識票を放り、いつもの仕事である村の見回りに出ることにした。