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ハンターと剣士と

キイキイと頭上で笑う声に、今は苛立ちよりも恐怖を覚えてきた。

撤退という選択肢はほぼ絶望的だ。じりじりと後退はしているが、奇襲に次ぐ奇襲で道を見失ってしまった。方向を確認する精神的余裕もない。

そして、時折聞こえる、ゴブゴブと喉を鳴らすような不吉な鳴き声。

魔獣・ラフィングエイプだけなら戦いようも逃げようもあると決意してやって来たが、ゴブリンの存在は完全に手に余る。奴等は知性がないようだが下等悪魔に分類されるほど邪悪で狡猾で、単体ならともかく群れたり他の魔獣を従えれば、アーシェのような猟師が背伸びしたようなハンターでは絶対に対処できない。迂闊に手を出した猟師たちがどんな目にあってきたかを思い出し、アーシェは身を震わせた。そこに隙が生まれた。


「GOFUU!」

「しま……!」


隙を見過ごさない狡猾さ。アーシェはすぐに短刀に手をかけたが、小さい人間のようであまりにも醜い姿に戦慄し一瞬硬直した。それから短剣を振るったが、遅い。アーシェはゴブリンの棍棒に足を強かに打たれた。


「ン! アァ!」


倒れたところで背中、腕と、続けざまに痛打されアーシェは力を失った。背後からゴブリンが近づいてくる。奴らは人間を食べる。だが女に対しては食い殺される前に弄ぶという習性も持つ。アーシェは絶望に息が詰まった。


「GO..BAAAA!」


その時、背中に生暖かいものがかかった。腐った肉のようなにおいがした。まさかゴブリンの精液かと、こわごわと見ようとしてアーシェは予想だにしていなかった光景に息を飲んだ。

胴から真っ二つに斬られ血を噴き出しながら倒れるゴブリン、だった肉塊があった。その向こう側に、一人の黒の袖の長い服に紫紺のスカートのようなものを履いた、剣を携えた少女がいた。


「大丈夫? 殴られていたみたいだし……はじめてみるものだったからつい慌てて斬っちゃったけど。血がかかっちゃったのは、ごめん」

「ああ……うん、大丈夫」




現れた剣士の少女はサツキと名乗った。急な入用でハンターの仕事を引き受けたらしい。

もともと田舎で農民をやっていたから山や森は得意だと言った。だが魔獣を直接見るのは初めてらしい。

魔獣たちは突如現れた少女に驚いてか息を潜めている。だがいなくなったわけではない。アーシェとサツキは共に一息つきつつ、敵の出方を待っていた。


「エイプはいた気がする。村の男の人たちがそういえば年に一回ぐらい狩りに行っていた気がする」

「エイプだけならね。でも、今は数が多いし、それに」

「ゴブリン、ね。初めて見た。聞いたことはないわけでもないけど」


サツキは何でもないようにその名前を口にしたが、アーシェは先ほどの恐怖を思い出し身を震わせた。


「あたし、帰れるのかな……」

「帰れるとは思うけど、ああ……ごめんね。私もとっとと片付けたいから、アーシェを送ったりとかはできない」

「ううん、あたしも来たからには頑張るよ」


サツキが自己紹介がてらアーシェに来た目的を話したので、アーシェも自分の来た理由を話していた。

アーシェは王都の周辺にある牧場の娘だ。最近牧場にエイプが出没するようになり王都の騎士団窓口に相談したが対応が進まなかった。王都のハンターギルドに依頼は言っているようだが、報酬が低いうえに魔獣を相手にするようなハンターたちは戦場で人間相手に戦っていることが多いので、結局ハンターも動いていなかった。だからアーシェは自衛のために不在の父親の弓を持って来たが、結果はこの様だった。


「騎士団、ね……」

「? もしかして騎士団と何かあったの?」


憂うように呟いたサツキにアーシェは問いかけてみたが、彼女は緩く頭を振って剣を鞘に納めただけだった。

落ち着きはらっている。自分と同じ年ぐらいの、同じ娘であるのに、サツキとアーシェには大きな違いがあるようだった。


「まあ、そんなことよりそろそろ片付けようか。暗くなると面倒だし」

「うん……え、でも剣をしまっていいの?」


サツキはそれに答えず歩き出した。アーシェはその不用心さに慌てたが、声を上げようとして、彼女の纏う雰囲気に気付き、息を飲んだ。

風が凪いでいた。音が消えていた。緊迫というよりは、まるで時を止められたような静謐さ。剣を納めているのに、剣を抜いているときより底知れない様子がある。


「XIIIII!」


ラフィングエイプたちが襲い掛かる。それは彼女の隙を見たからというよりは、まるで緊張に負けたか、恐れをなしたか、誘われるような張り詰めた様子があった。


「……っ」


そして、刃が舞う。いや、舞ったのだろう。アーシェには光の揺らぎのようにしか見えなかった。そして彼女に向って樹上から飛びかかりその光に触れたエイプたちは、生きたまま着地することはなく、すべて血と肉の雨になって地面に降り注いだ。

魂が凍るほどに美しく、残酷で恐ろしかった。刃の芸術だった。一切の慈悲もなく、ただ刃が物体を切断するように、少女は魔獣を斬り捨てていた。


「……きゃあ!」


サツキに見惚れていたら背後から押し倒された。ゴブゴブと喉を鳴らす小鬼が2体。ゴブリンがまだ2体もいたのだ。

ゴブリンはアーシェの肩に汚れたナイフを突き刺した。アーシェは悲鳴を上げる。ゴブリンはアーシェをいたぶっているようだった。サツキの動揺を誘うためか。


「これでいい?」


サツキはゴブリンの意図を悟ったのか、容易く剣を鞘に納め鞘ごと足元に落とした。

ゴブリンどもが笑う。だがその笑いもすぐに止まる。彼らも気付いたのだ。剣を持たずとも、いや剣を持たないからこそ、彼女の恐ろしさがよく分かると。アーシェも今や自分を押し倒すゴブリンよりも、肩に刺さった汚れたナイフよりも、その少女に比べれば何ほどでもないと悟っていた。


そのとき、ふいに雨が降ってきた。

風がぞうぞうと歌いだした。

冷たい雨だった。強くはないが、群れるように、辺りを覆い尽くすような量の多い雨だった。


雨に注意が逸れた一瞬に、サツキの姿は消えていた。

背中にいたゴブリンが悲鳴を上げ飛んでいった。アーシェの肩のナイフが無造作に引き抜かれ、そばに立っていたゴブリンに突き刺された。


「……ふん」


過たずナイフで喉を突いてゴブリンを一体殺した彼女は、蹴り飛ばしたもう一体にも歩み寄り、首に足をかけ鼻を鳴らして首を踏みつぶした。

そしてサツキは自分の剣を拾い、鞘に納めたままその先端をアーシェの肩の傷に当てた。

春の川の水のような冷たさと共に、肩の傷の不快感が消えた。完全な治療ではなかったが、浄化され、それなりに治療されたようだった。


「……グリム・レイン」


死神と共に訪れる残酷なる雨。

ふと、アーシェは街で聞いた噂の名前を口にしていた。

死と生を操るような佇まいが、アーシェの中で噂話と連結した。

アーシェの呟きを聞いた彼女は、寂しそうに微笑した。その微笑は死神の笑いではなく、あくまでも無垢な少女のそれだった。

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