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負傷と転換と

蛇の道は蛇というもので、通行証を門番に見せずとも街に出入りする方法はある。暗殺の依頼を持ってくるディーからはじめてそれを聞いたときは、歩法があるから必要ないとも思ったが、今日は知っててよかったと思った。

ガーネットと戦ったあとの紗月は、負傷した身体を押して街に戻った。移動には物資の横流しなどを生業とする者たちの手を借りた。落ち着いて治療していけと言われたが、信用する気になれなかったので意地を張った。

自分の部屋に倒れこむようにして入ったとき、ニムが悲鳴をあげた。


「サツキ様! すごい傷だらけ……しっかりしてください、いま……」


彼女の声を最後まで聞くことなく紗月の意識は途絶えた。

次に目を覚ますと、紗月は包帯を巻かれたりして治療された状態でベッドに寝かされていた。部屋のベッドから少し離れた場所でニムがまだうろうろしていた。スープを作りつつ洗濯をしているようだ。


「痛……」

「サツキ様! もう目を覚ました……良かった、ですけど、寝ててください!」

「……」

『主よ、いい加減休んだらどうじゃ。方々を巡って主の治療を手配した下女の苦労を水の泡にするつもりかえ?』

「そうだね。寝るよ。ごはんはまだいい……あ、でもトイレ行って水も飲みたい」

「はいはいわかりましたよ。ちょっと待ってくださいね」


紗月はニムに付き添われ用を足しに行く。殺し合いではない人との触れ合いに、戦場から戻ってきたんだなという実感を得た。



翌朝には体力はほぼ回復していた。倒れたのは疲労と魔力不足によるものが大きく、傷は魔術によっておおかた回復していた。だから一晩寝ればだいたい足りたのだ。

ディーに仕事の報告に行くと、報告が遅くなったことを言及されたので傷だらけで部屋で寝てから来たと言った。するとボーナスですと、体力の回復する薬をもらった。気遣いのようで意外だった。次の依頼がすぐにはないので、また明日来てくれという話になった。

それから仕事の移動の時に使う物資などを買って部屋に戻った。村雨を適当に整備したり筋トレをしたり、いつものように時間を過ごした。


「まだ、戦うつもりなんですね」


そうして夜、いつものように紗月が早めに寝ようと明かりを消しベッドに潜りこんだところで、ニムがベッドの脇に座って問いかけてきた。


「戦うっていうか、単なる仕事だけど」


なんとなく気まずくて、紗月はニムを見ず布団に丸まったまま答えた。


「ねえ、もう、やめにしませんか? 辛そうで見ていられないんです。そんなお仕事じゃなくても、サツキ様にできることはたくさんあります」

「そんなこと、ない……私は刃だから。私は人斬りだから。それ以外にできることなんてない。するつもりもない。辛くもない」

「嘘です……そんなことありません」


ぎし、とベッドが鳴った。身体が揺れ、何かと思えばニムが紗月に覆いかぶさっていた。


「ニム……ん!?」


唇に唇をかぶせられた。花の蜜のような、甘く、生々しい生のにおいがした。


「ちょっ……」

「サツキ様は刃なんかじゃありません。ほら……サツキ様は、とっても可愛いお嬢様です」

「やめて……!」


紗月は暴れようとするが、力ではない、紗月の知らない閨の手管でしなだれかかってくるニムを押しのけることができない。首筋にキスをされる。腕をからめとられる。彼女の豊満な胸に自分の慎まし気な胸を押されたとき、屈辱と幸福感がないまぜになった恍惚が一気に紗月の身体を駆け巡り、震えた。


「わたしを、どうするつもり……?」

「どうもしませんよ。ただ、思い出していただくだけです。サツキ様の女の子らしいところを」


いつの間にか布団の中にもぐりこまれていた。蕾を愛でるように、あくまでも優しく女の指は少女の肌をなぞる。それを重ねられていくうちに、紗月は否応なく自分の柔らかい部分を意識させられた。


「……いや!」

「きゃ!」


ニムのことはもう考えず、渾身の力で彼女を押しのけた。

「村雨! ……村雨!?」

そして刀を探す。乱れてしまった心を落ち着かせるために。だが縋るように求めた刃に手が届くことはなかった。


『もう十分じゃろう、主よ』


村雨は人の姿で、紗月たちから離れた壁に寄りかかっていた。


『主は鋭すぎる。主は硬すぎる。刃としては、脆いだけじゃ』

「それでも、いい。私は……村雨! 来なさい!」

『あくまでも妾を、刃を求めるかえ。ならば』


白衣の童女が歩み寄る。繋いだ手に、刀の身を差し出す。


『この娘を切れ。主よ。それが刃として生きるに必要なことじゃ』


呪いのように告げられる言葉。紗月は立ち上がり、まだ床に座り込んでいたニムの首筋に切っ先を突きつけた。


「……いいですよ」


女は嫣然と笑って言った。


「もともと私はサツキ様に殺していただきたかった。だから、どうか殺してください。それでサツキ様の心が晴れるのなら、こんなに嬉しいことはありません」


そうして彼女は目を閉じた。捧げるように。生から逃げるわけではない。死に陶酔しているわけでもない。ただ純粋に、その命を差し出そうとしているのだ。


「……ばか」


紗月は刀を納め、ニムの胸に顔を埋めるように抱きついた。

ニムは何も言わなかった。紗月が話し出すまで、胸を貸したまま優しく彼女の髪を撫でていた。


「ニムの言うとおりだよ。私は本当はただの高校生……学生でしかなかった。一人の村人、一人の兵隊なだけだった。でも私は私の運命を受け入れなかった。過ぎた力を持って、暴れて、たくさんの人に迷惑をかけた……」

「でも、私は嬉しかったですよ。ううん……嬉しかった。サツキちゃんが助けに来てくれて。死ななくてすんで良かったとか、そういうことじゃないの。サツキちゃんが来てくれたのが嬉しかったの」

「……うん」

「生きるのも死ぬのも、サツキちゃんが良い。私は私の生と死を見つけた。でも、サツキちゃんはどう? サツキちゃんの運命は、本当にカタナのものなの?」

「……わからない」


紗月は素直に答えた。刀は、剣は、好きだ。だから毎日忙しく剣術に励んだ。心身を研ぎ澄ませていくのが好きだった。自分の本質を鋭利なものとしつつ、それを鞘に納めて穏やかに過ごすのが好きだった。

だが今の紗月は鞘を失った刀だった。常に抜き身で、武器としての性質を抑えられずにいる。初めて人を斬ったあの夜に、刃を晒してそのままになってしまったのだ。


『妾は別に主に人を斬ってほしくて主と契約したのではないのじゃ』


また村雨が人の姿をとって紗月たちの傍に立っていた。


『別に人の生き血を啜り続けたいとか、人どもをすべて殺したいとか、そういう邪悪なことは考えておらぬつもりじゃ。封じられてあの道場の壁で朽ち果てるのを待っている時も悪くはなかった。妾は道具じゃ。じゃから妾は妾を適当に使ってほしいだけじゃ。必要なくなれば仕舞っておいてくれれば良い。それも道具の定めじゃからな』

「……そうだね」


紗月は顔をあげニムと目を合わせた。気恥ずかしかったが、誓うように言う。


「やめるよ、殺し屋は。私はもう人斬りだけど、それにとらわれず、溺れず、ちゃんと自分の心と刃に向きあって生きるよ」

「うん。私も、一緒だからね」

「ありがとう……」

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