求婚と雨音と
到着した日のうちに慌ただしく慰問の演説を済ませたウィリアムは、次の日には前線を離れていた。本当に慌ただしく、忸怩たる思いだった。この訪問には期するところがあったのに、果たしてどれだけのことを為せただろうか。暗殺、しかもかつてない巧妙さと不気味さを伴うそれもあって、適切な判断ができなくなっていた。
隊列は緊張に満ちていた。いつもどこか泰然としているガーネットも、今日は息を殺すよう、耳を攲てるようにしてウィリアムと同じ馬車にいる。
「昨日は突然の話ですまなかったね」
実は意外と沈黙が苦手なウィリアムは、世間話でもするようにガーネットに話しかけた。
「え、いえそんな。殿下がお謝りになるなど畏れ多いことです」
「君は私が未来の妃と決めた女性だ。一人の男として謝ることなどいくらでも起こるだろう」
「いえ、そのような……」
自分の求婚した相手は、それに関しては歯切れの悪い反応しかしない。軍の指揮下に入るという話には特に戸惑いも見せなかったというのに。
「君は変わった人だ」
「そうでしょうか」
「昨日のベニーを見ただろう? 貴族とは矜持を持つ。だが君はそれを見せなかった。なぜだろうか?」
「……わかりません。私にはそれが自然なことに思えたのです」
彼女は自分でも不思議に思っているようだった。ウィリアムにはそれが好ましく思えた。
「もしかしたら君は、私が求婚しながらそばから離すようなことを言って矛盾しているように思うかもしれないとも、私は考えたのだが」
「いえそれも……畏れながら申し上げれば、殿下が私を妃にするという話のほうが突飛だと思いましたので」
「そこまで言われるとさすがに傷つくな」ウィリアムの正直な気持ちだった。「私は君が本当に好きなんだ。……まあいい、今は片想いに甘んじるのも悪くはない」
「……本気でいらっしゃるのですね」
それは伺うような口調で。今まではどこか呆れられていたようだったので、風向きの変化を感じてウィリアムは少し嬉しくなった。
すぐに答えようか考えたが、笑みを浮かべ黙っていることにした。相手の興味は引っ張るべきだ。
ガーネットはそれ以上何も言わなかった。二人の間に再び沈黙が訪れる。だがウィリアムは、その沈黙を珍しく好ましいと思った。
そして、雨が降り始めた。
「さて、常時であればロマンチックな雨と、雨音を楽しみたいところだが」
ガーネットの表情が変わっていた。異性に興味を持った乙女の顔ではなく、敵を待つ戦士の顔だ。
「ハンスや兵たちが面白いことを言っていたね。暗殺が起きたとき、急に雨が振りだしたと」
「実は私にも一度覚えがあるのです。突然の雨、それに紛れて歩く気配の無い侵入者。その者は剣を帯びていました。その時は血が流れることはなかったですが……」
そういえばウィリアムも聞いたことがある。雨の夜に殺された州都の貴族の話を。
「殿下、よろしいでしょうか」
馬車の外から騎士団長のベニーが呼び掛けてきた。
「ああ。ちょうどもう夕刻であるし、今日はここで野営しよう。とはいえ、君らには雨の中に立ってもらわなければならないが」
「いえ、それが我らの務めです。ガーネットをお返しいただいてもよろしいでしょうか?」
ウィリアムは一瞬悩んだ。おそらく暗殺者の特性として、馬車の回りを肉の壁で囲わせても効果は薄いだろう。ならば侵入されたときのことを考えるべきだが、
「わかった。ガーネットは返すが他の者をここに入れてくれ。交代でついてくれ」
「御意」
表向き、しばらくはガーネットは一介の騎士に過ぎない。彼女がイキシア姫から寵愛を受けていることなどで、彼女をやっかむ声があることは知っている。ウィリアムはガーネットの立場を考慮した判断を下した。
それが彼と彼女にとってどのような利益をもたらせたかは、後になっても評価の難しいこととなった。




