将軍と慰問と
ウィリアムは王侯貴族の中では珍しく、実力主義で有能な者は平民でも農民でも取りたてるというのは王国中の評判だ。事実、彼は王ではないがすでに軍の最高指揮権を実質的に握っていて、厳正な人物評価による組織改革により軍の力は大きく強化された。その実感は末端の兵卒にいたるまで浸透していて、王国軍の兵であれば誰もがウィリアムを信奉していた。
ハンスももちろんウィリアムを敬愛していた。彼の慰問を知ったときは、まだ大隊長の末席でしかないため言葉を交わす時間はごく限られているだろうと思ったが、それでも直接会えるということに心が躍った。だが知らせを聞いてから一月ほど経った今はどうだろうか。
「ハンス連隊長。慰問団の使いの方がお見えになりました」
ハンスは呻いた。ついに、もう、この時が来てしまった。
「歓迎の予定を作らせていた第一中隊は……」
「昨日の戦闘で半数が休息中です。その、軍規ですので。半数は有志で集結しておりますが」
ハンスもほとんど寝ていなかった。なにせつい昨日、急遽連隊長に格上げされたのだ。作戦の指揮もその他の業務も、カバーする範囲が突然広がり対応しきれるわけがなかった。
これまでかと思った。ウィリアムが臣下を手打ちにしたという話は聞かないが、まともな上司がいればこの体たらくを晒した責任者には容赦しないだろう。ハンスは覚悟を決めた。
「ありのままを見ていただく。行くぞ」
「そうか。とにかく……フィリップス将軍とはすれ違いになってしまったのだな。彼と話せるのを楽しみにしていたのだが……今は彼の魂が故郷で安らかに眠れることを祈ろう」
いくつかの事情を聞いた後、ウィリアムは前将軍のフィリップスの故郷の方角を仰いで黙祷を捧げた。その敬虔な姿にハンスも心を打たれ、自分の首がまだ繋がっている感謝も含めて祈りを捧げた。
「しかし暗殺とは……将軍となれば陣でも基地、要塞でもかなり守られた位置にいるはずだ。それをかいくぐって暗殺した? 対応がどうなっているのか改めて聞かせてもらおうか」
裁きの時は来た。ハンスは誠心誠意を尽くした説明を始めた。
ことの起こりは一か月ほど前、ちょうど慰問の知らせを聞いて部隊の指揮がそれだけでも高まったころだった。
今ハンスやウィリアム達がいる要塞から少し離れた野営陣地で夜、ハンスの先輩にあたる大隊長が斬殺された。彼は用を足しに行って一人だった。だが士官用の厠は陣のやや外れにある程度で、外ということもない。しかも彼は厠ではなく他のテントの近くを戻りかけに歩いてところで殺されていた。つまり陣の只中に暗殺者は潜入して彼を殺したことになる。
はじめは内部の犯行が疑われた。だがその陣の人間を取り調べている間に、少し離れた別の野営地で別の大隊長が斬殺された。二つの現場の間で自軍兵の行き来はなかったので、内部犯の可能性は大分否定され、未確認の高度な暗殺者が現れたと推測された。
各陣地や拠点では侵入者検知の対策が強化された。要塞は特に参謀などの要人も来ることから重点的に強化された。そしてある夜、侵入者を検知する魔術が発報した。だが発報のあった位置に不審な人影はなく、魔術兵も使った捜索が続く最中に、前線指令の長であったフィリップス将軍が作戦室で護衛もろとも斬殺されているのが見つかった。
「将軍が暗殺されたのが4日前のことです。更なる犠牲者を出さないよう警戒をより強めていますが、まだ時間もなく敵との戦闘もあるため……」
「ああ、わかっている。大隊長二人に前線総司令が殺害されたのだ。むしろよく組織と前線を守ってくれていると思う。ハンス、君もつい先日まで大隊長だっただろう。それが急に連隊長になって、慌てもせず私を迎えてくれたことは評価するよ」
「殿下……過分なお言葉、もったいのうございます……!」
ハンスは自分よりも若い王族の前に傅き、熱い涙をこぼした。ここしばらくの辛苦も力になるようですらあった。
だが、ハンスには無念もあった。
「ですが、申し訳ありません殿下。できることなら殿下が到着する前に、この危険をお知らせしお戻りいただきたかったのですが」
要塞にいた将軍が暗殺されたということは、王族も当然暗殺の危険性があるのだ。この若い王族は、王国の将来に不可欠な人間。弑逆されるなど、その危険すらあってはならないというのに。
「よい。君たちの任務は敵を退け国土を守ることだ。我々王族や貴族を守るためには騎士がいる。私はこの者たちを信じているから、君も安心するがいい」
「は。仰せのままに」
「まあとはいえこの状況で我々が居座っても迷惑にしかならないだろう。残念だが明日には帰るよ。――だが」
そこでウィリアムは立ち上がり、思案するように部屋を歩き始めた。しばらく彼以外の人間が身じろぎもせず高貴な決断を待っていると、やがて彼は数人の騎士を追い出し、騎士団長と若い女性の騎士、それとハンスだけを部屋に残した。
「実は少し前から考えていることがあってな。この私も全体の機微は気にするからもう少し後にしようとは思っていたのだが」
ハンスはウィリアムが何か重大なことを言いだそうとしていることに気付いた。二人の騎士も何事かと固唾を飲んでいるようであった。
「端的に言おう。私は軍と騎士の垣根をなくしていくつもりだ」
「な…!」
軍は基本的に平民で構成されていて、将校も一部に下級貴族がいる程度の組織だ。一方で騎士は貴族で構成される。身分の違いがあり二つの組織は歴史的に分断されている。騎士団は人数が少ないため、時折軍に協力要請という形で中隊などを動員して軍事行動に参加するなどがあるが、そのとき軍は騎士を指揮することはできない。そのように騎士団と軍には圧倒的な身分さがある。
ハンスは咄嗟に、ウィリアムがこの非常事態にそのような騎士と軍の運用を始めるのかと思った。だが、ウィリアムはその考えを見透かしたように話す。
「もちろん垣根をなくすというからには、騎士団の軍に対する優先権も無くするつもりだ。騎士は基本的に高等な教育を施されているからある程度の単位の指揮権を持つのは妥当だと思う。だがその単位以上の指揮権には騎士も従うべきだ。たとえその上官が平民であったとしてもね」
「……」
「そして現状を見るに、指揮権を持った人間が複数殺害されて前線は混乱しているね。だから私は、騎士ガーネットを君の指揮下に入れさせるよ」
「……!」
ガーネット、と示されたのは若い女性の騎士。彼女は啞然としていた。だが彼女が何か言いだす前に、騎士団長、名はベニ―と言ったか、が口を開いた。
「お待ちください殿下。おそれながら申し上げます。そのような……身分を無視するようなこと、貴族にも平民にも良い影響をもたらしません!」
「ガーネット、君はどう思う?」
ベニーの奏上を無視してウィリアムはガーネットに聞いた。彼女は啞然としていたが、聞かれると平静な表情で答えた。
「まあ、その、軍の指揮を受けることはかまいませんが、殿下の仰りようだと一兵卒からのスタートではございませんよね?」
「そうだね。大隊長が殺されたのだからその代わりを務めるのがいいんじゃないか?」
「だ、大隊長はさすがに……」
「じゃあ中隊長かな。今もきっと中隊長あたりを繰り上げで大隊の指揮に充てているのだろう? 彼のことは知らないが、君がその人物を問題ないと思うならそのまま大隊長にして彼女を中隊長にすると良い。ああ、今すぐではないよ。彼女にいま護衛を抜けられるのはさすがに私も不安だから、一度王都に戻ったあと、一週間後ぐらいだね。それでいいね、ガーネット」
「……はい。拝命いたします、殿下。あ、ハンス連隊長でしたっけ? よろしくお願いしますね」
「あ、はい……」
「ガーネット、貴様勝手に」
ハンスにも不思議なことにこのガーネットという若い騎士は前代未聞の采配を当然のように受け入れ、自分にも挨拶してきた。若いから考えが柔軟なのだろうかと思う。何が常識だったかハンスはわからなくなっていたが。
そういう点ではベニ―はまだ、ハンスも持ってたはずの常識にしがみついていられているようだった。だが、ウィリアムが彼に冷たい目線を向けた。
「ベニ―騎士団長、残念だが君の意見を聞くためにここにいてもらっているわけではないんだ。さすがに普段騎士団をまとめてもらっている君の立場を尊重してこの話を聞かせたわけだが……なあ、ベニ―。君はこの国を守るために自分が何をすべきだと思っているんだい?」
ベニ―はハンスよりやや若いがウィリアムよりは年上である。だがその男も、怜悧な王族の前には色を失い震えるだけだった。
「そ、それは……この国の治安と要人の方々、つまり内部を守り健全に保つことで力が自然と発揮されるようにすることで」
「まあそれもそうだ。不健康なものは病気はもちろん怪我にも弱い。だが健康でありさえすれば如何なる怪我にも耐えられるわけではない。内から外に身体を鍛え、脅威に備えることが大事だ。ガーネット、君はそれがわかっているのだろう?」
「いえ、それは過分な評価というものです。私はただ、必要とされる場面なら選ばずこの騎士の力を振るうまでです」
「ああそれでいい。ベニ―、わかったかね。必要なところで必要な力は使われなければならない。私がそういう人間だということはよく知っているだろう?」
「は……存じ上げております」
「だから君にも期待することはある。何とは言わないでおこうか。君を団長にまで任命したのは今の王だが、私もそれなりに君のことは買っている。しかし……もし見込み違いなら、私がこれまでしてきたことを思い出すと良いよ。まあお取り潰しまではしないとだけは言っておくよ」
だがウィリアムはその年、まだ王位継承者の第三位であるというその立場にもかかわらず、多くのことを為してきた。実力主義で効率主義の彼が何かを為すということは、その分だけ無駄が排されてきたということだ。その中にはお取り潰しの類も少なくない。蹲るように跪くベニ―の姿に、ハンスは同情してしまった。




