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愛と死と

クランマーを殺害してから、紗月は暗殺の依頼を受けるようになった。とはいっても、彼女は専ら貴族や身分の高い軍人や騎士を殺す仕事を受けるようになった。半ば傭兵のようなものだった。

傭兵の仕事は戦場だ。紗月はまた戦場に赴くこととなったが、あくまでも殺し屋として依頼は街で受けるため、街と戦場を行き来する生活を始めた。

居場所も宿からアパートに変えた。宿に迷惑がかかるかもと思ったのと、そこに別の人間を置くことにしたからだ。他の宿に行く気もなかった。今度こそ誰にも近寄らず、影のように生きることにした。

だがその日、宵の入りに街と自分の部屋に戻ると、何者かの気配があった。魔術式の鍵は部屋で寝るとき以外は使わないから、入ることは容易だ。だがこの部屋の主が紗月であることは公然の秘密で、それを知るような人間はおいそれと紗月に手を出してこない。そういう人間はここ一月ぐらいであらかた殺した。

紗月がドアの前に立っても中の気配は揺らがない。

気配を殺して入ると、見慣れぬ椅子と、それに腰掛けて眠るメイド姿の女が目に入った。くすんだ長い髪、肉感的な唇の目立つ整った顔。メイド服はコケティッシュなデザインで、大きな胸の北半球がよく見える。根本的に猥雑な趣があるが、差し込む黄昏の光によってその低めの品性も、アンティークドールのような瀟洒な蠱惑さに変わろうとしていた。


「どうしてここにいるの? ニム」


それは紗月が一月ほど前に救った女だった。ゾーイの宿に置いてきたはずだが、誰がここを教えたのか。

うん? と声をあげ、呼ばれた彼女は目を覚ます、ぼんやりと目を開けた女は、紗月を見て蕩けるような笑みで言った。


「やっと来てくれましたぁ。……ねえ、私を殺して、死神様?」


死神? 最近はそういう呼ばれ方もするようにはなったが。


「……寝惚けているの? とりあえずちゃんと目が覚めないなら、鞘で叩いてあげるよ」

「寝惚けてなんていませんわ。サツキ様」


ニムは椅子から立ち上がり、紗月の前にふわりと座った。甘い香水のにおいが、死のように控えめであるが香った。


「あの時、私はもう死の中にいました。あなたを思ったまま苦しみの中に死を待つだけでした。でもあなたは来た。前の旦那様を殺し、旦那様の雇った最強の護衛も殺し、次は直接あなたの手で殺してくれるのだと思った。殺してほしかった。でもそうしてくれなかった。だから私はこうして来たんです」

「……」


きっと彼女は破滅を、終焉を待っていたのだろう。

紗月はそう理解した。自分も似たようなものだ。生きるための人斬りをやめ、人斬りのために人斬りを始めた。その先にあるのは栄光や祝福であるはずがない。


「それでも、私は自分で終わる気はない。ニムにも、終わってほしくない」


それを希望というのだろうか? 紗月にはわからなかった。

彼女の言葉を聞いたニムは、一度顔を下げ、また上げた。今度は花のような生のにおいを纏って。


「じゃあ、私は生きてご奉仕いたしますね、旦那様!」

「……は?」


その言葉、その態度に紗月は得体の知れない恐怖を感じて後ずさった。しかし手をつかまれる。はあ、と熱く蕩けた吐息を手にかけられ、紗月の背筋に悪寒が走った。


「いけませんわ旦那様。爪がすっかり汚れて傷だらけです。しっかり磨いてあげますね。私こういうのは得意でいろんな人に褒められているんです。それにお着物もすっかり汚れて濡れてしまってます。早くお着換えしなくては。身体もお清めします。私の身体で!」

「……放して! やめて!」


貞操の危機だった。しかしどれぐらいの強さで拒絶すれば良いか迷っているうちに、服を脱がされ身体を拭かせることになってしまった。


「旦那様はすごいですね。こんなお部屋ですけど魔術式の鍵に魔術式の湯沸し器、石鹸もタオルも凄く上質でまるで貴族の方みたいです」


そのあたりの品揃えは、かつての紗月としての感性によるものだった。寝るだけのような部屋だが、紗月がいた世界としての最低限のものは揃えたかった。鍵はいないとき開けているが、実はその鍵が長時間使ってないと魔力が揮発して勝手に開いてしまうからで、常時かけておきたいという気持ちはある。


「肌もきれい。お若いせいだけじゃないですよね。旦那様はどういったお生まれなんですか?」

「普通の農民だよ」レインとしては。

「前は自分で洗うから」

「えー、せっかくこれからが……あ、はい、どうぞ」


ニムは本気で胸乳を使って紗月を洗おうとしたのでそれだけはやめさせた。今はネグリジェ姿で、まだ気が抜けないが、妥協の結果だった。



「つまりニムは、私がニムを買ったようなものだから、私がニムの旦那でありニムは私に奉仕しなければならないと思っているということね」

「はい、そのとおりですわ。旦那様。あ、動かないでくださいまし」


身体を清め終わったあとは髪を乾かし、梳かされていた。人間として最低限と思うものは揃えつつも、女性としてはかなりいい加減な生活をしていたので、自分が別の何かになったような気分だった。


「……私はニムを買ったつもりはないし、買ったと思われるぐらいだったら働いて返してくれれば良いんだよ」

「紗月様……」


髪を梳る手が止まった。終わったのだろうかと思い立ち上がり彼女を見ると、まるで糸が切れた人形のように手を止め天を仰いだまま、はらはらと涙を流していた。


「な、なにを泣いているのよ!」


紗月は混乱し、半ばわめくように言った。

ニムは顔をゆがめ、すべてに絶望したように笑い答える。


「そうですよね。私みたいな何人もの男の恥垢に汚れた女を、清らかな旦那様がそばに置くはずなんてありませんよね。まして、その手にかけることすらも」

「――ばかなこと言わないで! 私はニムがどんなことをしていても、それで劣った人だと考えたりしない! 私は、ただ……」


次に言おうとする言葉は、紗月にはとても重すぎるように思えた。だが、それでも、自分がそう考えたのは事実で、それを偽るほど彼女は器用ではなかった。


「ニムに、生きていて欲しかったのよ……」


「だったらどうか、私をそばにおいてください、旦那様」

「そんなの、無理だよ。だって私は、人斬りなんだよ。殺し屋なんだよ」

「殺し屋でも死神でも構いませんわ。旦那様が死であるなら、私は死のそばでしか生きられないのですわ」

「どうしてそこまで……」


紗月には理解できなかった。自分はただの刃だと思っている。なのにどうして彼女はそんな自分に生を見出すのか。

ニムの答えはシンプルだった。単純で、しかし紗月には理解できない深遠さだった。


「だって、私はサツキ様を愛してしまったんですから」


『そのくらいでよかろう、主よ。その憐れな婢をそばにおいてやれ』

「村雨!?」


ふいに村雨が姿を現した。人前で彼女が姿を現すのははじめてだった。ニムにも見えるのだろうかと思ったら、彼女の視線も突如現れた童女のような何かに注がれていた。


『妾が見ている限り、主は独りで生きるには向いておらん。その女だけでも、そばに置くのじゃ』

「そんなの、村雨に決められることじゃ……」

『そうじゃな。だが、今のままでは主は長くもたんぞ。妾はあくまでも主の刀であり、主を生かす刃じゃ。殺す刃ではあらぬ。だから、主を生かすための提案はさせてもらうのじゃ』

「……」


生きる? もちろん、彼女は自分が生きるとか死ぬとか考えるのはとうにやめていた。だがニムや村雨の言葉で、紗月はそれにまた向かい合わずにはいられなかった。そこで迷わず死を選ぶほど、彼女の人間性はまだ崩壊してなかった。


「……わかったよ」


だから、紗月はそれらを一度受け入れることにした。


「旦那様!」

「ただし……私を旦那様って呼ぶのはやめて。せめて名前で呼んで。それに、私はニムに生きてほしい。だから何でもいいけど、自分の仕事、やることを私に関わりのないところで見つけて過ごして。ここにいるのは勝手だけど、ここにいるのだけはやめて」

「はい……サツキ様」


やれやれと紗月は頭を振る。疲れた。殺すことよりも、生きることを考える方が難しく、辛い。

そう思う紗月のそばで、ニムが村雨に近寄っていた。


「あのありがとうございます……ムラサメ様?」

『そうじゃ。まあ詳しいことは妾とおまえの主に説明させるが、妾は主の刀じゃ。これは幻影のようなもの。いいか女、主に仕えるということは妾にも仕えるということじゃ。妾の手入れをよくするのじゃぞ? まったく主といったら刃の手入れはするが鞘とか柄の手入れは雑でな……』

「サツキ様がいつも腰に差している剣ですね。カタナって言うんですか。はい、もちろん丁寧にお世話いたします」


話はまとまったようだった。もう何も考えたくない。今日は寝たかった。


「そういえばニムはどこに寝るの?」

「もちろんサツキ様に添い寝いたします。夜のお世話もお任せください!」

「世話させるつもりはないから。余計なことをしたら斬る……のはなしで、部屋から追い出すから」

「そんなあ……」


そうして、血に沈むようであるはずだった少女の日々に、陽気なのか狂ってるのか頭のねじを無くしたのかわからない道化のような元娼婦の女が入ってきた。こんなんじゃ悲劇にもなりはしないと、紗月は自嘲するように思った。


「でも、ね、サツキ様」

「……なに?」

「私本当に、サツキ様のことが大好きですから。愛していますから」


あなたは私の死。愛を売っていた女が死を売る少女に囁いた。

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