危機と凍る心と
「俺の名はネイト。家名はない。傭兵だ。流派なんかもねえが、元騎士の男から剣を習った」
「……紗月。朔流、新条道場、師範代」
いつしか紗月は館の玄関前ホールに移動し、突如現れた剣士、ネイトと死闘を続けていた。
これだけ騒げば思春期の子供でも目を覚ます。だが主が死んでいることが知れ渡ると、大抵の使用人や護衛たちは館を離れていった。ロクでもない趣味をするための別宅だけあって、雇われているのはすべて金だけを目当てにきた人間なのだろう。とはいえそのうち治安部隊の類が来るかもしれないが――今は目の前の敵に集中するしかなかった。
ネイトが放つ疾風迅雷の剣の舞いがまた紗月に押し寄せる。紗月は刀に極力負担がかからないようにかわすと同時に相手の死角に潜り込み、斬撃を放つ。受け止められる。更に強く互いに打ち合うと、切っ先が身体をかすめ服が裂ける。そして離れる。もう時間の感覚もなく繰りかえした応酬であった。
コロシアムでも実力のある相手はいたが、ここまで実力が伯仲した相手はいなかった。紗月は村雨を構えなおし次の攻撃のための気を練る。相手が倒れぬなら、倒れるまで打ち込むだけだ。手にした刀そのもののように、自らの目的を相手を殺すだけに傾ける。そうすれば気力が尽きることはない。だが、物理的な特性、体力は如何ともできなかった。悔しいがネイトの方が余裕があるようだった。全力を出していないということはないだろうが、このまま打ち合えば最後まで太刀筋を保つのはどちらか、紗月は認めざるをえなかった。
しかしそれは打ち合い続けたときの問題だ。その前に一瞬でもいい、相手を凌駕すればいい。紗月はその時を虎視眈々と狙い続けていた。
「……そろそろ十分じゃねえか?」
ふいに、わずかに切っ先をさげネイトは言った。
「おまえの力はよくわかった。おまえも俺の力がよくわかっただろう? 殺すには惜しいし、殺される気もねえ。俺と手を組もうぜ。そうすればもっといろんなところで剣を振って、おもしろ楽しく生きていける」
油断を誘う言葉ではない。相手は本気であるようだった。そのために隙をさらしている。
「おまえは相棒だ。女だからって情婦だとかなんとか、あの貴族のオヤジみたいに下に見たりしない。なあ、どうだ?」
「……」
一瞬それでもいいかと考えた。軽薄に見えるが、この男は一流の剣客で、本気だ。目的が漠然としているが、剣で自由に生きていきたいという純粋さは感じた。
自分はどうだろうか。紗月は考え、村雨を鞘に納めた。
「お……っ」
「私はおまえ……ネイトさんと行く気はないよ。……構えて。もしくは、生きたいのならこのまま帰って。今なら見逃してあげる」
答えは否だった。紗月は剣の道に生きるのではない、修羅や羅刹の道に生きると決めたのだ。
心が凍っているようだった。少し前まで頭に血が上っていたのがわかった。この男に踊らされていた。だから、次の一撃で終わらせる。大衆小説のように、居合の一閃で。
「おいおいおい、まじかよ」
「私とネイトさんの道は違う」
「……そうか。なら、仕方ねえ。……俺も剣士だ。それだけの剣気を前に、逃げるわけにはいかねえ」
ネイトが構える。やや上段の、振り下ろしが最速になるであろう構え。
「おまえ、サツキのその構えは何度かコロシアムで見せてもらった。早抜きのようだが少し違う。なんだそれは?」
「居合いっていう。抜刀術とかともいう。刀を抜くことを極めた技だよ」
「カタナってのがその剣か? なるほど、要するに早抜きだがレベルが違うわけか」
そこで会話は終わった。雨の音が聴こえる。
風が豪と弾けたとき、二人の剣士の気合いも弾かれた。
「イア――!!」
果たして、斬られていたのはネイトだった。剣を振り下ろした体勢で硬直し、血を身体から吹き出させていた。
「今、何を……分身、魔術か?」
なるほど、分身したようにも見えたのかもしれないと紗月は思った。
「刀を抜く前に剣気をぶつけた。ネイトさんはそれに反応して、本当の剣擊には対応できなかった」
「朔」の文字を冠する、流派の奥義だった。平易には無刀斬りとか不抜之抜などと言う。無刀取りと並び、紗月の朔流では刀を抜く前に相手を制していることが極意とされている。
端から見ている分にはネイトが先走って剣を空振りさせたように見えたかもしれない。紗月がフェイントをしたように見えたかもしれない。だが「朔」の真髄は刃を幻覚させることであり、フェイントとは一線を画する。幻の刃は一流の剣士であっても反応してしまうし、心身が未熟な者であればそれだけで死に至る。それが月無き深奥の刃であった。
「……見事」
紗月は村雨を鞘に納め、倒れたネイトに一礼した。ホールを見上げると、二階の廊下の手すりに寄りかかってニムが見ていた。目があった瞬間、彼女は胸を押さえ崩れ落ちた。




