失踪と葛藤と
その夜、コロシアムから戻ってくるとゾーイの雰囲気が違った。いつもに比べ苛立っている様子。だが試合の後で余裕のなかった紗月は気にしないことにして寝た。
次の日、心なしかやはりゾーイの態度がおかしかった。どうかしましたかと聞いたが、何が?、と返されたのでそれ以上は聞かなかった。詮索するほど誰かとの距離を詰める気はなかった。
だが昼過ぎの休憩になって、別の違和感に気付いた。ここ数日欠かさず来てた子が来ない。胸騒ぎを覚えた紗月は自らサロンに顔を出し、娼婦の一人に聞いた。
「ニムはどうしたんですか?」
聞かれた女は、たっぷり時間をかけたあと、知らないと答えた。知っていると言っているようなものだった。しかも口に憚れるような何かを。こんな場所だ。碌でもないことがあったのだろうと察し、紗月はもう少し気力のある人間に聞くことにした。
「……知ってどうするんだい? あんたはそういうことには踏み込まないんだと思ってたけど」
ゾーイは親切にも一線を目の前で引いてくれた。
紗月は、勢いに任せてそれを越えるようなことはしなかった。部屋で頭を冷やしなと言われたとおり、部屋に引っ込んだ。
「……どうしたら良いと思う?」
日当たりの悪い薄暗い部屋で、ランプもつけずしばらくドアの前に座り込んでいた紗月が村雨に問いかけた。
『妾が言えるのは、しようのない主じゃ、だけじゃな』
「どういうこと?」
『呆けるではないわ、手間のかかる。妾に問うたとて、主の答えは決まっておるじゃろう。……妾はせいぜい主の力になってやるゆえ、行くならさっさと行けい』
あきれ返ったような村雨の口調に、紗月は苦笑する。だが村雨は口調を変えて続けた。
『だが心せよ主よ。妾にできるのは切ることであり、妾との道は修羅の道じゃ。ここまでは主は主のために人を斬ってきた。じゃが次はきっと、他人のために人を斬ることになるぞ? それは大義でもなんでもない。他人のためになりたいという、何よりも醜い我欲じゃ。それでも行くかえ?』
その問いは紗月を立ち止まらせた。だが、一つ呼吸をして、彼女はドアに手をかけた。
「行くよ。私はもう、生きるためなんてきれいごとで人は斬らない。……人を斬るために、行くよ」
ざわざわと木々が鳴き始めた。
ぞうぞうと風が歌い始めた。
雨。冷たい雨。群がる雨。地を洗い始める。流される血のために。




