鉄と拳と
ディーに紹介された話は、端的に言えば闇試合や試合賭博などと呼ばれるものだった。試合は通俗小説ならば「死合い」とでも書くのだろうか。ルールなし殺傷ありの殺し合いだ。無論、紗月は賭ける側ではなく賭けられる側だった。
国境では戦争をしているというのに、どうしてここで無益な殺し合いをして、見て楽しんでいるのだろう。紗月は自身の惨めな従軍生活を思い出して憤懣やるかたない気持ちになった。巨大な屋内コロシアムの観客は、裕福そうな人間が多い。離れた前線ではなく、近場で殺し合いを見たいのだろうか。
だが綺麗ごとを言っていてもしかたがない。紗月とてこれから人を斬って一泊の金を得ようというのだから。
「さえない顔だな」
コロシアムの中央で、紗月が対峙する大柄の男。名前はナグーというようだ。重厚な腕防具、ガントレットをと鎧を纏っている。武器は持っていないからそのガントレットが武器なんだろう。暗い表情に、目が危うい光を放っている。
「できればこんなところに来たくなかったからね」
「そうか。だが、俺は今日は廻り合わせが良いと思っている。……俺は、君みたいな未熟な少女が大好きなんだ」
よくいるチンピラめいた男ではないが、その言葉と笑みに鳥肌がたった。殺す気はないが、傷つける罪悪感はおかげで減った。
GAAAAAAAAN――銅鑼が叩き鳴らされた。試合の始まりだ。
「オオオーー!!」
雄叫びをあげナグーが拳を振りかぶり突撃してくる。速い! 思っていたよりも長くバックステップしたが、続く追撃に紗月はステップを繰り返させられた。
「いいぞ、いいぞいいぞ、その身のこなし。華奢だぁ……可憐だぁ」
後ろではなく横に跳んでも彼は拳を繰り出しながら追撃してくる。怒涛だ。あれだけの鉄塊を腕にした状態での剣戟。そのスタミナと足腰の強さに紗月は素直に感心し、その気持ち悪さには目をつむって相手の力を認め、本気を出すことにした。
「――!?」
ナグーが目を見開く。その視線は己の右側、木の葉めいた足さばきで自分をすり抜けた紗月に向けられていた。
その程度ではナグーは逃がさない。自分の身体の大きな運動量を見事に反転させ、まずは肘打ちで反撃する。そしてすかさず拳を突き出し、その勢いで振り返る。
しかしそこに紗月はいなかった。拳を突き出し硬直するナグーの首筋を、一陣の風が撫でた。そしてその首筋から、噴き出すように鮮血が迸った。
「イイ……!」
感極まったようにナグーは天を仰ぎ、そのまま倒れ伏した。巨体が沈む音を合図に、コロシアムを怒号が埋め尽くした。
「いやー、良かったよ。最高とまではいかないが、初めてのショーにしては素晴らしい見せ方だった。それに大番狂わせ。私たちも大儲けだよ」
最後のが一番の感想だろうと思いつつ、紗月はファイトマネーを受け取った。おそらく普通にしていれば一週間は暮らせる金額だ。だが旅をするには足りない。宿代も払わなければならない。
「しかし最後のは何をやったんだい? 私は戦うのはからっきしだからよくわからなかったんだが」
「どうして知りたいの?」
「今後の演出のためさ」
紗月は答えるかどうか悩んだが、はぐらかすのも面倒だったので簡潔に教えることにした。
ナグーの側面に回り、肘打ちが来た瞬間、紗月はその力を掴まえて後ろに大きく跳んだ。そして彼が振り返りきるより先に前に飛び出し、居合の一閃を首筋に放ったのだ。
「あの人、生きてるよね?」
首を切ったが絶命するほど深くはしなかった。血が吹いて意識を失うが、ちゃんと治療すれば死なないはずだ。
「ああ、まあ彼もうちとしては大事にしたいファイターだからね。ちゃんと治療をしているよ。彼は弱くないし、ちゃんと話は聞くし、ショーでも楽しませてくれる。相手の顔面を壊してしまうが頭が割れるほどじゃないし、ほどほどにグロテスクになった女性をいたぶる様はファン受けが良い」
その話を聞いて、やはり殺せばよかったかと思った。そして、そういう選択肢を自然と考える自分が一番嫌だった。
「とにかくお疲れ。ゾーイはちゃんと部屋を用意してくれたようだから、ゆっくりお休み。次もよろしくね」
このようにして、紗月の闇試合の第一夜は終わった。