春と刀と
宵の入りとなり宿泊客が増え始め、ゾーイが忙しくなってきたところでその娘は現れた。
薄汚れてはいるがしっかりとした作りの外套と服を身に纏った娘。目立って美少女ということもないが、純朴で、どこか危うい印象をゾーイは彼女に覚えた。そしてそれよりも、見ない顔の出現に厄介事の気配を嗅ぎ取った。若い女というだけで色めきだつ男たちを適当に避け、彼女はゾーイのいるカウンターにやってきた。
「あの泊めてほしいんですがお金がなくて」
ほら面倒なことを言いだした。
「客を取るなら勝手にやりな。うちは関与しないよ」
「客?」娘は首をひねり、どこか宙に意識を向けるようにした後、顔を赤く染めた。「ち、違います。そうじゃなくて……お仕事を、この宿で炊事とかベッドメイキングとか、そういう仕事で働かせてもらえませんか?」
「はあ?」
別の街に生まれ、いろいろあってこの街に流れ着き、売春宿の客の一人から紹介を受けこの宿で働き、経営者になってもう10年ぐらいだろうか。いろいろな娘や客もいたが、わざわざこの宿で春を売らずに働きたいと言ってきた娘ははじめてだった。
「なんだってうちなんだい。働きたかったらもっとまっとうな宿で……そこでなら頭をこすりつければ一晩ぐらい軒下を貸してくれるんじゃないかい?」
「そうかもしれませんが……あまりまっとうな人たちに顔を見られるとまずいと言いますか」
「訳ありかい……はん、男でも切ったんかい」
ゾーイは娘の外套の内側にある細身の剣に目をつけた。
「え、ええ男というか女性もといいますか」
「おおいやだ。かわいい顔して物騒だねえ。そんなら殺しの仕事か追剥でもしたらいいんじゃないか? うちじゃどっちもやってないけどね」
「別に殺すのが好きなわけじゃないですよ……」
娘の目とゾーイの目があう。黒いのに、燃えるような輝きを秘めた強い目をしていた。掃き溜めのような街の一角には似合わない目だと視線を逸らすも、何かないだろうかと考えさせられてしまった。そして浮かんだ考えは、やはり掃き溜めの人間らしいものだと思った。
「一つ聞くけど、身体を売る気もない、殺しもやる気もない、命を賭ける気もないっていうんなら帰りな。これ以上は付き合いきれない」
「……」娘が黙る。答えに窮したようではない。何かを決めたような様子に、ゾーイは舌打ちした。
「来な」
カウンターを出て娘の手を取る。娘の後ろに客が並び始めていたが、待っているように伝えてゾーイは宿のホールの片隅でコーヒーを飲んでいたディーと呼ばれる男の前に立った。
「ようこそ?」
「ふん、最初っから目をつけていたってことかい」
ふざけているようで酷薄さを隠しきれていない、隠そうともしていないディーにゾーイは嫌悪を隠さず鼻を鳴らす。掃き溜めにはいろいろな奴がいるがこいつは一層の下種だ。
「目をつけてたなんて滅相もない。私は身体を売るか命を売るか選択できるお嬢さん方の姿を指をくわえて見ていただけです」
ゾーイは舌打ちした。
「まあ今日は時間がないので本題に入りましょう。……お嬢さん、すべてを賭けませんか?」
「あの、殺しとかは」
「ああ大丈夫です、あなたが勝てば相手を生かすも殺すも嬲るもあなたの自由です。多少のショーをしてもらえたほうがこちらも助かりますが。……ただし、あなたが負けたときは生かされるも殺されるも犯されるも相手の思うがままです」
ゾーイにはまだ人の情というものがある。やはりこの男に会わせるぐらいなら娘を追い返したほうが良かったかもしれないと思った。だが、娘が答えを返した瞬間、ゾーイは下種をものともしない深く淀んだ気配を覚え、戦慄した。
「……詳しく聞かせてください」
ディーのにやけ顔も引き攣っているように見えた。