追跡と遁走と
「やっぱり修行不足かな?」
『経験が浅いのは否めぬが、妾の力も貸してやっておったからのう……』
雨の街中を駆けながら少女は刀と会話する。
戦場を離れ、近くの村とも別れ、紗月が次に訪れたのは州境が戦場となっているフラタニア州の州都フラタニアだった。
村を後ろ髪引かれる思いで後にした彼女は、街に入る時は独力で入ることにした。街ほどの大きさであれば人の関わりがなくとも潜んでいられる。しかしその分、入る時の障壁があった。検閲されれば脱走兵として捕まる可能性がある紗月に、妖刀は「歩法」により検閲をすり抜けることを提案した。
村雨が教えた歩法は、対峙した相手のみならず周囲の相手の注意を潜り抜ける業。対峙する相手に気付かれぬまま距離をつめる術などは紗月も知っていたが、そこまでの業があることに驚いた。ともあれ、妖刀からの業の共有があれば歩法の奥義も使えそうに思えた、が、すんでのところで見つかってこの有様である。
「待ちなさーい!」
「しかもあの人、足速いね」
『恰好を見るに武士……ではなく、騎士であるようじゃな。若いが強い力を感じる。身体のみならず、術も身につけているようじゃ』
「へー、騎士ってすごいね」
紗月は感心する。レインも水を動かすような簡単な魔術は使えたが、戦場で役立つほどではなく割と忘れていた。紗月は元々魔法などは幻想と言われる世界にいたのだから、「術」といって実用的なものは剣術ばかりであった。
『主も使えるぞ?』
「まあちょっとだけね」
『そうではなく、今は妾と因果を共有しておるからに、レインという名の因果のものより強い術が使えるのじゃ。まさか知らんでおったか?』
「そうなの? 知らない」
『いまこうして降っておる雨も、主が妾を介して無意識に使っておる術じゃ』
「えー。なんにも得してないんだけど」
『そうかえ。しかしこの雨により主の運動能力や感知能力、その他諸々を強化しておるのじゃ』
どうも戦っているときはよく雨が降るなと思ったが、そういうことだったらしい。別に雨は好きではないが。
(うん、詳しいことはわからないや)
(それより、じゃあ何ができる? 足をもっと速くする? いや、それよりも……)
ちょうど2階建ての建物、それに挟まれた路地が見えた。紗月は路地に滑りこみ、
「……よっと」
足に「力」を込める。跳ぶ。その高さは常人のそれではなく、空を飛ぶがごとく跳ね上がった紗月の身体は、二階建ての屋上に着地した。
『見事じゃ』
「うまくいった」
魔術の知識はレインのものがあった。魔力に乏しかったので大したことはできなかったが、今は言われれば以前よりはるかに多い魔力があった。それを身体能力の限定解除と筋肉の補強に向ければ、3メートルほどの棒無し高跳びは容易だった。
しかしそれに満足して油断せず、すぐに走って隣の屋根に飛び移り、その煙突の影に隠れ気配を殺した。
どしゃ、と重い音を立てて騎士が屋根に上がってきた。やはりこの程度はできるらしい。だがきょろきょろしている。気付いていないようだ。気付かれれば……という考えは捨て、殺気を消し無心で隠れる。
「ガーネット様ー」
下から呼ぶ声が聴こえる。おそらくあの騎士のことだろう。やや間を置いた後「はーい」と答えて屋上から去っていった。女の子の声だな、と思ってどこかに去っていくところを屋根の上から覗き見た。赤い短い髪の、鎧を着た少女が見えた。ああ、あの子は強いな、と紗月の剣士の感が告げていた。