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15 舞踏会の華

 円舞曲の終わりに、最後のターンを鮮やかに舞い終えた美鈴は、リオネルの(たくま)しい腕にしっかと抱きとめられた。


 心臓が苦しいほどに高鳴っているのは、ダンスのせいなのか、それともこうしてリオネルに抱きしめられながら荒い息を吐いているせいなのか……。


 未だかつて経験したことのない感覚に、美鈴の頭はジンと(しび)れ、言葉さえ上手く紡ぎだせない。


 ダンスが終わって数分、呼吸を整えきれず(うつむ)いていた美鈴がやっとのことでリオネルを見上げると、彼は満ち足りた微笑みを浮かべながら美鈴の瞳を見つめ返した。


「ほら……言った通りだろう? 『君は、社交界の華になれる』……と」


「……え?」


 戸惑う美鈴の肩を右手で軽く抱き、まるで舞台の上の役者がするように、リオネルは胸を張って左腕を広げてみせた。


 まるでそれが合図であったかのように、舞踏会に参加している紳士たちが続々と美鈴とリオネルの元に駆けつけてくる。


「ご令嬢、素晴らしいダンスでした!」


「初めてお見かけいたしましたが……ご挨拶をさせていただいても……?」


「リオネル、今日もまた、美しい令嬢を連れて……!ぜひ、僕にも挨拶をさせてくれ」


 わらわらと二人に群がる紳士たちに向かい、リオネルは片手を優雅にひらめかせて一同を制止する。


「……まあまあ、皆さんご静粛(せいしゅく)に。ここにおられるご令嬢は、ルクリュ子爵家のミレイ嬢だ」


 周りに集まった紳士たちが口々に美鈴の名を呟く中、リオネルがそっと美鈴に耳打ちする。


「ミレイ、これから……この舞踏会に参加している男の内、誰と踊ってきてもいい」


 いつになく真剣な表情で、リオネルは慎重に言葉を選びながら美鈴に語りかける。


「だが、最後には、必ず俺のところに戻って来てくれ。……ブールルージュの森の時のように、君を見失うのはこりごりだからな」


 今夜、君が踊っている間、俺は、君から目を離さない ――最後にそう囁いて、美鈴の背に軽く触れると、居並ぶ紳士たちに対して、リオネルは彼女の隣を明け渡した。


「リオネル……」


 美鈴の声を背中に聞いてチラリと彼女を振り返ったリオネルの瞳は、彼が今までに見せたことのない、感情の揺らぎを(たた)えているように見える。


「ミレイ嬢? どうしました?」


「リオネルのことなら、どうかお気になさらず。大方(おおかた)、参加しているご婦人、ご令嬢方へ挨拶に行くのでしょう」


 美鈴を取り巻く男性陣の声音に混じって、背後からリオネルの声もかすかに聞こえてくる。


 さきほどからやや遠巻きに様子を眺めていた令嬢たちが、美鈴の傍を離れたリオネルに次々と話しかけているようだ。


「まあ、足を? ……先ほどはあんなに素敵に踊ってらっしゃったのに」


「それより、リオネル様がお連れになった、あのご令嬢はどなたですの?」


「じゃあ、今夜はもうダンスはなさらないのね……そんなぁ……」


 矢継ぎ早に質問を繰り出す令嬢たちを適当にあしらいながらリオネルが少しずつ遠ざかっていくのを、美鈴は背中に感じていた。


 彼のリードで初めての舞踏会でダンスを踊った。


 ……事実を端的に述べれば……たったそれだけのことだと、美鈴は思う。


 しかし、ついさきほどまでリオネルに握られていた手が、抱きとめられたときに触れた腕が、熱い呼吸を感じた肩が、彼が傍に居ない今も、熱をもってしまったように熱い。


 我先にとダンスのパートナーを申し出る紳士たちに応対しながらも、美鈴はつい、彼女を残して去っていったリオネルのことを気にかけてしまう。


 最初の円舞曲の後も、少しの休憩を挟んで、引き続き男女二人がペアになって踊るダンス、あるいは次々と相手を変えるグループダンスが、オーケストラの演奏を伴って繰り広げられていく。


 ダンスの申込をしてきた踊り手たちの相手が一通り終わると、美鈴がほっと息をついたのもほんの束の間。


 なるべく人目につかないよう舞踏会場の次の間の端にある椅子に腰かけようとしていた美鈴を、彼女も聞き覚えのある凛とした女性の声が呼び止めた。


「あら……! そこにいらっしゃるのは、ミレイ様ね。この間、森でお会いして以来ですわね」


 舞踏会場よりもいくらか照明が抑えられた、休憩用の椅子が並ぶその部屋の入り口に佇むアリアンヌの姿は、眩いホールの光を受けて輝いているように見える。


 公爵令嬢 アリアンヌは優美な微笑みを口元に浮かべて、美鈴をまっすぐに見据えながら、ゆっくりと歩み寄ってくる。


「ごきげんよう……。パリスイでの舞踏会は初めてでいらっしゃるのよね? 先ほどは見事なダンスでしたわ」


 純白の手袋をつけた片手で、貴婦人用の背の低い布張りの椅子を示し、美鈴に座るように勧めながら、アリアンヌも隣に腰かける。


「いえ……こんな華やかな会は、初めてで……。緊張してしまって」


 アリアンヌの賛辞に対して、正直な感想を口にした美鈴だったが、舞踏会の開始を彩ったアリアンヌの見事な舞を思い出し、彼女の瞳を見つめた。


「アリアンヌ様の舞踊こそ……素晴らしかったです。あんなに大勢の人が見ている中、とても優雅でそれでいて自然で……」


「ふふふ……。あなたに、そう言っていただけて嬉しいわ。社交界デビューして以来、何度も踊っている舞だもの……ね。今更、緊張することもないし」


 先ほど、大勢の観客たちを魅了した、天使のような笑顔を浮かべて、アリアンヌは美鈴の瞳をじっと見つめ返した。


「……もう、ご存じだと思うけれど、フェリクスは事情があって今夜は来られないと言ってきたわ」


「……ええ。さきほど、お使いの方が見えたようで」


 アリアンヌの言葉に軽く頷きながら、美鈴は人混みの中で見たジュリアンの姿を思い浮かべた。


「ええ、ジュリアン・ド・ヴァンタール。アルノー伯爵家と血縁関係にある子爵家の御曹司よ。まだ、爵位は継いでいないけれどね。……あなた、ジュリアンとはもうお知り合いなのかしら?」


「いいえ、一度、お会いしただけで……ほとんど言葉を交わしたこともありません」


「……そう。フェリクスとは、この前、ブールルージュの森で会ったのよね」


 フェリクスの名を口にする際、ほんの少し声を潜めたアリアンヌの青い瞳が壁際のランプの灯りを反射してきらりと光る。


「そうです。本当に偶然お会いして……道迷いしたところを助けていただきました」


 ……なぜ、この女性(ひと)


 彼女の叔母の主催する舞踏会で、名実ともに主役であるはずの公爵令嬢が、こんなところで招待客の一人に過ぎない自分にこうまで熱心に話しかけているのだろう。


 フェリクスとアリアンヌの関係を詳しくは知らない美鈴は事態が飲み込めず、アリアンヌの問いかけに対してなるべく当り障りのない返答を心がけた。


「そう……それは、大変だったこと!」


 アリアンヌは、美鈴からみれば、真実そう思っているとしか思えない、相手を気遣うような(いた)わりをにじませながらそう呟いた。


 隣のアリアンヌがかすかに動くたびに、甘く上品な香水がふんわりとあたりの空気に溶けていく。


 その類まれな容姿と相まって、典雅な物腰、優しく鼻先に香る甘い香水は、同じ女性である美鈴から見ても魅惑的だと思わせるほどにアリアンヌの美しさを引きたてていた。


 アリアンヌの、華奢な腕がすっと伸ばされ、白手袋に包まれた細い指が、美鈴の膝に置かれた両手を柔らかく包み込む。


「……ミレイ様……あなたとはぜひまた、ゆっくりお話ししたいわ」


 長い睫毛に縁どられた瞳を輝かせながら、アリアンヌは美鈴に向かってそう言った。


「ぜひ、一度私のサロンに遊びにきてくださいな。……あなたのこと、もっとよく知りたいわ」


「え、ええ……ありがとうございます。……機会があれば、ぜひ」


 外ならぬ公爵令嬢じきじきの誘いを無下にすることもできない。美鈴は何とか無難な回答でこの場を収めたいと思い、そう答えた。


「嬉しいわ……! きっとよ」


 文字通り、花が咲いたような笑顔を見せるアリアンヌを、美鈴は複雑な感情で見守った。


「では、わたくしは、これで……今夜は、どうぞ楽しんでらしてね」


 話を終えて椅子から立ち上がり、その場を去りかけたアリアンヌが、ふと、何か思い出したように美鈴を振りかえった。


「そうそう、パリスイに来て間もない、あなたにはお知らせしたほうがいいわね。……近頃、貴族の舞踏会、それも、大舞踏会に、貴族階級でない人物が紛れ込んでいることがあったらしいの」


 扇で口元を軽く隠しながら、アリアンヌは続けた。


「一目見れば、(わか)りそうなものだけれど。……なんでも、貴族階級の婦女子を篭絡(ろうらく)しようという魂胆(こんたん)で、動いている輩もいるという噂よ」


 眉を(ひそ)め、苦々し気にそう言い放ってから、扇を閉じてアリアンヌは軽く美鈴に会釈した。


「ダンスのパートナーには、どうぞ気をつけて……。また、お会いしましょうね。ミレイ様」


 そう言い残して、真紅のドレスを(ひるがえ)し、公爵令嬢は後姿も美しく舞踏会場へと去っていった。

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