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Knight of night

作者: 瀬川 秀子

 そこはうす暗い塔の中だった。

荒っぽく組まれた石組みの隙間から、かすかに外の光が入ってくる。

 いくつもの細い隙間から差し込む赤っぽい夕日に、微細なホコリがゆっくりと渦巻いているのが見える。石壁から少し離れた場所にも微かに光が当たっている。その光の中に浮かび上がったのは、全身まっ黒な西洋甲冑だった。

 漆黒の兜に目庇、両手持ちの大きな剣を、床に突くようにして突き立て、手甲で覆われた両手は柄の上で交差されている。


 引き寄せられるように傍に寄ると、突然甲冑が息を吹き返したのが分かった。

ガチャガチャと音を立てて、ゆっくりと甲冑が動き出す。

甲冑の両の手が剣の柄を握る。

 そのとき、何か分からないけれど、突然強い恐怖を感じた。

甲冑に背を向け、その場から駆け出す。

後ろからかすかに甲冑が歩き出す音が聞こえた。


がしゃり……がしゃり……がしゃり……


 丸い部屋の隅には階段があった。延々と下に伸びる螺旋階段だ。急いで駆け下りる。ところどころに光源のはっきりしない明かりがともっているのを感じる。

 果てしないかと思われるほどの時間、階段を駆け下りていく。不思議と息は苦しくない。


 どのくらい降りたか分からないが、目の前に鋲を打った扉があった。

急いで引きあける。


 明るい色の石畳の夕暮れの町並み。どこか中世風のヨーロッパのような、現代の日本の観光都市のような……。

 と、私が塔から飛び出してきたのを見て、道を歩いていた人々が凍りつくように動きを止め、いっせいにこちらを見た。


「何をした!」


一人の中年の男が私の前に駆け寄ってきて、引きつったような声で叫んだ。


「災厄を目覚めさせたのか!」


私は何も言えなかった。何を言ったら良いのか分からなかったからだ。

男は悲鳴のような声で叫んだ。


「なんてことを!」


そして身を翻して悲鳴の尾を引きながら塔と反対方向に駆けていった。

その声が合図であったかのように、あたりの人々もまた、悲鳴を上げながらいっせいに男を追って走り始めた。


どうしたらいい?

私は一体何をしてしまったのだろう。

恐い。


人々と同じ方向へ走り出す。

石造りの家々の間の道の突き当りには川があり、大きな木造の船が浮かんでいた。

人々は皆、その船に乗り込んでゆく。わたしも船の甲板に飛び乗って、向こうの船縁へ向かった。


けれど、走っていたとは思えないのに、船が動き出す前に黒い甲冑も船に乗り込んできたのだ。

漆黒の甲冑は、夕日を吸い込んでいるかのように暗く、黒い。

両手に巨大な剣を掴み、ゆっくりと甲板を歩いてくる。

人々がおびえて道を空け、息を詰める。

甲冑は一人の女の前で立ち止まった。

その女には見覚えがあった。

私に事あるごとに嫌がらせをしていた女だ。

彼女の顔が蒼白になり、目を見開いた。


甲冑が低い平板な男の声で女に問うた。


「私を呼び覚ましたのは、お前か」


女は声が出ないようだった。

唇をわななかせ、首を左右に振りながらじりじりと後じさる。周囲の人々はあっという間に彼女の周りからいなくなった。

甲冑が女の正面に向かって進み、剣を持ち上げ始める。

高々と頭上に剣を振り上げ、ゆっくりと一歩踏み出す。


いけない。

それをさせてはいけない。

私は急いで甲冑と女の間に飛びこんだ。


「お前を呼び覚ましたのは私だ」


目庇を真っ向から見ながら、私は言った。


「切るなら私を切れ」


その場にひざまずき、頭をたれる。


確実に私は殺されるだろう。

でも、不思議と怖くはなかった。

なるべく速やかに、苦痛がないように殺して欲しいと思っただけだった。


しばらくして、何も起きないのを不思議に思って顔を上げた。

甲冑は剣を下ろし、目庇の向こうから私を見つめていた。


長いような短いような間があり……甲冑はきびすを返して、塔へと帰っていった。

またあの部屋で、動かないときを過ごすのだろうということが、私には分かった。

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