memory2.《Alice》
――緑。
赤に慣れた目からすればそれは幻覚のような程に鮮やかな緑だった。背に触れる柔らかい草の感触と土の匂い。見上げればそこには紅の三日月が浮かんだ青空が――。
「……は?」
そこまでぼんやり考えていたが、首を傾げて身体を起こした。何度見てもそれは紅を落としたような色の三日月で、しかも周りは夜ではなく昼間だ。
「……は?」
思わず立ち上がって息を呑んだ。
待て待て待て、落ち着け僕。第一に紅の三日月だなんて見たことが無い。だって僕はさっきまで真昼間の街に居たんだ。日本の都会の街の駅前。そこには何万人という人が毎日行き交っていたはずで、僕達もそこにいて。
何の変哲もないただの午後、ただのバス停で――柊斗がトラックに轢かれて死んだ。人が死ぬのを初めて見た。救急車とパトカーのサイレンが鳴り響いて、悲鳴が溢れて、僕は柊斗に手を伸ばして。
それから何があったのか、記憶がきれいに抜け落ちている。というか記憶なんて初めからなかったのかも知れない。だって起きたらいきなりこんな草原の真ん中で倒れてるし、変な空だし。一体どこまでが現実でどこからが夢だったのか今の僕にはさっぱり――。
「ん?」
ふと、前髪に違和感を覚えた。
太陽の光を反射してきらきらと輝いている。それはまるで金髪のような色合いに見えて。一瞬、思考が固まった。
「え、ちょ、はあああ!?……って、」
髪が金髪になっている。そのことに驚いて叫んでから、一瞬その声が自分のものだと分からなかった。
高い。小学生の頃に戻ったように高い声。ともすれば女子のようにすら聞こえる。いや、まさか。まさかそんな馬鹿なことは。うん、万が一にもそんな馬鹿げた話は――。
「――なんだよこれえええええ!!!」
都合良くあった水たまりに映る自分の顔を見て。立ち上がったときのその服を見て、僕は絶叫した。
金髪青眼の幼い少女が、驚きに目を見開いて立っていた。
青と白のエプロンドレスに身を包んで。髪には白いリボンをカチューシャのように結んで。金髪の綺麗な髪は肩より少し短い位置で切りそろえられ、異国のお嬢様といった雰囲気を湛えていた。
いや、《お嬢様》ではない。
自分の身体だから分かる。
これは、というかこの姿は男だ。少女ではなく、少年なのだ。
「……マジか……ついに名前だけじゃなく容姿まで女子に転生したのか僕は」
転生なのか転移なのかそれとも夢なのかは不明だが、この際そんなことはどうでもいい。
僕は水溜まりの傍でくるりと回ってから、もう一度自分の姿を見つめた。
まるで童話に出てくる《アリス》のような格好だ。なるほど、確かにこれなら名前と釣り合う。よし!これで名前とのギャップを感じることもない!
「いや違うから!こういう希望じゃないんだって!女子になりたいんじゃなくて、女子みたいな名前が嫌だってことだから!!」
誰にともなく訴える。
一人で自問自答のように叫び続けながら頭を抱えていると、近くの茂みからガサガサっと物音がした。
人かも知れない。この近くに住んでいる人ならここがどこなのか分かる可能性がある。そうすれば元の場所に戻れるかも知れない。
僅かな期待と希望と共に、僕は勢い良く振り返った。
「あの、すみません!お尋ねしたいことが、」
言いながら相手を見つめて――喉の奥が驚愕で凍りついた。
相手、否。彼らは。
「ぐるるるううぅう!!!」
咆哮。
そこに居たのはゲームに出てくるモンスターでよく見るような大きな蜥蜴の群れだった。赤い皮膚にぎょろりとした目をぎらめかせ、とんがった口からは煙と炎を吐いている。そんかフィクション地味たことを他人事のような見つめてから――僕は現実に引き戻された。
待て。待て待て待て待て。
「え、なんで!?」
理解が追いつかない。こんな生き物は現実にはいないはずだ。というかいろいろおかしい、サイズも大き過ぎるし炎を吐く動物なんか居てたまるか。
首筋を冷たい汗が滑り落ちた。
逃げないといけない。はやく別の、どこか隠れられる場所へ。
そう思ったが近くには身を隠せそうな場所などなかった。
「くるぅ……ぐるうううう!!!」
先頭の怪物が首を擡げ、鼻から煙を吹く。
「ぐるるぅぅぅううう!!!」
それを合図にするかのように他の十体ほどの怪物が火を吹き、捕食対象と見なしたらしい僕に襲いかかってきた。