伸びる2つの影
魔獣とは、人型の2本足に対して4本もしくは、それ以上で立つ結果的に腹を下に向ける格好となる者達を言う。元来生物である以上腹と言うものはもっとも重要かつ脆く弱点となりうる部分となる。2本足で立つ事は腕となる部分が自由に使え、それ故に武器を手に戦う事が可能となった。それは武器としての牙を持たぬ者達の知恵と努力であったのかも知れない。しかし、魔獣は獣であることを誇りにし、4本とも足として大地に立つことを選んだとも言えなくない。弱点の腹を正面から隠し、4本の足で走る事で2本足よりも早さを手に入れた。やがてそうした獣にも知恵者は生まれる。己が内包する魔力を爪や牙に注ぎ込み強度を鋼に変える事を可能にしていた。
「キュ?!」
本来4本脚で立つソレは、器用にまるで椅子に座るかの姿勢で状態を背を空に向け2本足の様に立つと首だけを動かして周囲を警戒した。それは少しでも高く遠くを、その目に視界に入れる為の行為なのだろう。彼?は暫らくして風が運んで来た異質なものの気配の元凶をその目にとらえた。まだ距離はある。4本に戻ると彼は走り出した。
「足の速そうな魔獣を捉えて乗る」
彼女の質問にドーンが答え指さす方向に目を向けると、確かに居ました。それっぽいの
「どうやって」
彼女は、乗る方法を聞いたつもりだった。しかし、帰った来た答えは「倒す」の一言だった。もちろん魔獣と言っても色々であるが野生の魔獣は弱肉強食の世界に身を置く、つまるところ力が強いものに従う性質がある。
「はぁ~」
私は溜息を吐き、角が生えたトラ見たいなものをと隣の男を交互に見て、彼の指さす方向が間違いではない事を確認した。この世界の非戦闘員である民間人の男性は平均80㎏、女性は50㎏を持ち上げることが出来る。対して彼女はかつてトレーニングジムで40㎏のバーベルでプルプルであった。精々30㎏までが限界の筋力しかない。それはそのまま戦闘能力と言って差し支えないと思われた。彼女自身も気づいてないが、その身に着けたフルプレート。正確には胸の魔石によって1.4倍に補強された今、もしも持てなかった40㎏のバーベルが目の前にあれば難なく持ち上げることが出来る事に驚いていただろう。それでも数値上42㎏となれば、こちらの女性の平均ですら下回るのだが・・・。
「きゃー、やめてぇ~」
角が生えたトラはジャカルリッパーと言う名の魔獣で、前足の爪に己が魔力を注ぎ爪が10㎝以上伸びる。その強度は鉄に匹敵する爪を使って目の前の彼女へと前足を振り下ろした。悲鳴を上げながらも彼女は、その爪を盾を使って受け止める。
初め魔獣は後ろで腕を組み立っている雄が相手だと思っていた。だが、前に歩み寄って来たのは雌の方だった。正確は雌と判断したのは戦いが始まってからなのだが、人型の雌特有の甲高い声を聞き相手が雌と判断した。魔力を込めた前足での攻撃を盾で防がれたが、その一撃で盾が曲がった事を確認すると、もう一撃で使い物にならなくなるだろうと思った。その瞬間、その盾は見る見る間に元の形状へと復元した。
「グッルル・・・」
低い唸りを上げ威嚇し考える。さっきと同じ様に右前足を使って攻撃すると見せかけると盾を雌は同じように右に傾ける。そのタイミングで、そのまま右前足を地面へと運び盾から外れた左前足で雌の左腰へと攻撃した。雌は肢体をくの字に曲げ悲鳴と共に横へと転がり倒れた。策が上手くいった事を内心喜んだが、見るからに平然と雌は立ち上がった。
「いたぁーい。(けほっ)」
衝撃で手放してしまった剣を、注意深く魔獣に視線と盾を向けたまま腰を落とし手探りで柄を掴むと構えなおした。そして彼女も自分とは思えない俊敏さで1撃目を耐えた事を内心驚いていた。剣を構えた事で少し落ち着いたのか、彼女はちらっとドーンを確認すると、思った通りサドーンの顔を浮かべていた。
(おに、あくま、ひとでなしぃ~。って人じゃないか魔族だし・・・)
不意にガクッと膝を落とした彼女の肩に魔獣の肉球が激突って膝を着いていた事でL字型に膝全体が地面に減り込む程の衝撃で体が硬直し迫る魔獣の顔を払い除けようと剣を握っていた右手を上に上げる。硬直し剣を握る手は緩むことは出来ずに魔獣と彼女との合間に滑り込み無意識にさらに盾を持つ左手で、それを押しやる。ガチっと固まった処へ魔獣が勢いのまま彼女の体に衝突してくる。それは幾重にも重なった偶然から剣は魔獣の喉笛を貫き、圧し掛かる体重が盾に引っかかった剣を固定した事で貫通していた。
彼女の顔は何時までも剣を伝わり続ける血が真っ赤に濡らしていた。此方の世界に来て初めて現実的な感覚に襲われ恐怖で気を失っていた。そう彼女は何処か夢と言うか現実味のない事に認識が遅れていた。魔王に呼び出される。鎧を着る。スケルトンと戦う。どれも非現実で特にスケルトンは動作も鈍く血も出ない。およそ生物とも言い難い、しかしスケルトンと違い魔獣は同じ動きを繰り返すのでもなく生物らしい臨機応変さで動きまわり傷つけば血を流し体温が温かい事を知った。人は本当に恐怖した時、声すら上げず意識を保つ事すら拒絶する。
「おい、お嬢大丈夫か」
走り寄ったドーンは魔獣の体躯を片手で避けると下敷きになっていた彼女引き釣り出した。
「白目むいてやがる」
やれやれと彼は片手で魔獣を支え片手で彼女を抱えると魔獣の方を放り出して空いた右手を彼女の膝裏に引っ掛けて持つ。所謂お姫様だっこ。
「やはりな」
彼女を抱えたまま首を魔獣に向ける。やがて天から一筋の光が魔獣へと降り注ぎ、傷を癒し死する魂を踏みとどまらせた。
「天使の瞬き?いや、光女神の口づけか?どちらにせよ見るのは始めてだな」
それが抱きかかえる彼女の自身の異能か、神々の祝福か判断しかねるが、2度も続けては偶然ではなかろう。王が欲した異界の少女は紛れなく奇跡の使い手と言えなくもない。ドーンはもちろん彼女の手にティマーリングがある事は知っている。確かにこの指輪は服従させたものを従わせる能力がある。だが、それは通常、ギリギリ弱らせて行使するものであって、復活させるものではない。
(それとも余程、異界とやらの神に愛されているか・・・連れ去られた異界まで救いの手を差し伸べる程に)
彼の目の前で、むくりと魔獣が起き上がり彼の傍らに立った。いや、正確には意識を失った少女の傍らである事は分かっていた。かつて自分もその指輪を付けてここへ来た事がある。しかし、彼は失敗した。魔族の中で戦闘能力で言えば5本の指に入る彼は手加減しても相手を上手く死なない程度に弱らせることが出来ず、察知され逃げられるか倒してしまうかの何方かであり、彼には復活の奇跡は起こらなかった。故に彼の指にはティマーではなくサマナーリングであり日に3回の呼び出しが出来る。例の馬はそれである。
「さて、どうしたものか」
未だ気を失ったままの彼女を抱える彼は、おとなしく座っているものの魔獣に見つめられ続けていた。そして彼はニャッと何か思いついたようにして、彼女を魔獣へと向けると、それを察してか魔獣は横たわった。そこに彼女を置くと包む様に体を丸める。
(まっ、これで暫らく安心だろう)
ドーンは火を起す為の石を見繕い丸く積み上げて中央に使う枯木を集めた。
バチバチッと焚火が小さく跳ねる、木串に突き刺さった肉から汁が垂て香ばしい匂いと共にジュジューと熱く熱せられた囲い石にも落ちる。
『愛奈、起きなさい愛奈。何時だと思っているの』
「あと5分だけ・・・」
『もう、そんな事ばかり言って20になったんですからね。いつまでも子供みたいな事言ってないでちゃんとしなさい』
「んんん・・・」
『早く起きて、朝食済ませちゃって。片付かないじゃない』
細井愛奈。年齢的には大人の仲間入りを果たした彼女だが中身はまだまだ子供のままで日課の朝の風景は、いつもと変わりなく繰り返されていた。
『まったく・・・夜遅くまで起きているからですよ』
そう言って近づく母の顔が魔獣へと変わる。
(へっ・・・ひぇー)
心臓が飛び跳ねる。一気に覚醒された感覚で硬直したまま状況を確認すると私は枕と思っていたモフモフは魔獣の腹で布団は尻尾だと認識する。
(ど、どいう事?)
バチッという足元のから聞こえる音で魔獣の視線が気になりつつも、そちらに首を起すと彼が焚火の前の地べたに腰を降ろしていた。炎の明かりでユラユラとしていた。再び魔獣へと視線を向ける。
「起きましたか主よ」
(えーと?)
思わず後ろを振り向く。そこには暗い夜の闇が広がっていただけで誰も居ない。
(なんか良くわからないけど、仲間にするのに成功したんだ)
「私はアリイ、よろしくね魔獣さん」
「固有名詞は無いが、ジャカルリッパーです」
「それって種族名?」
「そうです」
「私があなたの名前考えてもいい?」
「もちろん」
彼女は顔を上にしたり、横にしたりして考え始めた。
(ジャカルだからJで、リッパーだからRかぁ~。そうだそうしよう)
「あなたの名は今日からトレンね」
「賜りました主よ。我はトレン」
そして彼女は焚火の前に座る彼の元へと歩く、炭素繊維強化樹脂で出来た彼女の鎧は鉄の様なガチャガチャといった音もなく大地を踏みしめる音だけが静かな夜に響くが、それは焚火の音に掻き消され自分の耳には聞こえない。
「よいしょっと」
彼女は彼の側に腰を降ろす。
「食べるか?」
差し出された串にささった肉を受け取る。座る彼と自分も同じように兜を後ろに倒すと香ばしい匂いを放つ肉を口へと運ぶ。
「あっ、おいしい」
ハフハフと一串の肉を平らげていく。
「あと少し休んだら帝都にもどるぞ」
「うん」
ユラユラとした炎の明かりが、やはりゆらゆらと2人の影を作り、それをトレンが眺めていた。