プロローグ
異形の姿にマントを翻して男はツカツカと大広間を歩き煌びやかな椅子の前まで来ると、その席に腰を降ろした。彼の名はサルベス・バル・アデルス。現魔王と呼ばれる魔界の当主であり魔王軍の総司令官の地位にあるバル皇帝その人だった。この数日彼は悪夢にうなされる毎日を過ごしていた。それは勇者と呼ばれる人族の英雄と対峙するもので、幾何の違いはあれど、どの様な策を効してもあがらう事が出来ずに滅ぼされ、その工程を幾度となく幻視していた。
「・・・ふぅ」
サルベスは溜息をつくと、広々とした誰も居ない大広間に勇者の幻を見る。彼の能力は未来視だった。
「我が滅せるは良い・・・」
彼の苦悩は死する彼には本来知る事もない、彼の死後を知ることが出来てしまう事だった。彼の死後も勇者達は彼の首を掲げ絶望と恐怖をまき散らし蹂躙していった。非力な抵抗すら出来ないか弱き者も魔族であるというだけで、その刃にかけていく。それは目を覆いたくなる惨劇の始まりであった。
「魔王様、お疲れですか?」
ふと、声をかけられた方角に目を向ける。側遣いの彼女は彼の世話係として約半年前に、この城に奉公に上がった魔族としては人間に近い姿で違いと言えば赤い瞳に水色の髪が特徴の妖比子で、戦闘に関しては此れと言った能力も1つもない。そんな彼女の最後が今の彼女と重なって見える。足を諤々と震えさせながらも侵略者から私の首を取り戻そうとして返り討ちにあう姿。悔しさからなのか、その頬を濡らす一滴の涙が彼の心に痛みを感じさせた。
「いや。何でもない」
片手を上げ一度だけ横に振る。その仕草で彼女は歩み寄った歩を止め控え位置へと戻る。不意に彼は立ち上がると歩き出して城の外、城下町へと向かう。それを見て王の間の天井にへばりつく様に待機していたアラクネ達が慌てて床に飛び下りて後を追った。アラクネ種は下半身が蜘蛛の様な8つの足を持ち上半身が女性の様な姿をしたものとされているが、雄が居ない訳ではなく雄は完全に蜘蛛の様な姿の為、タランチアと呼ばれ別種と勘違いされていた。
「うむ」
王は町まで来ると民の生活を眺めていた。人の目には魑魅魍魎とした世界に感じるかも知りないが、彼にとってそれは守るべき者達だった。暫らく歩くと水辺の側でコマを戦わして遊ぶ子供達を見つけて試合を覗き込む。何かの箱の様なものに弛みを持たせて布を張り、その上でコマを回すことで弛みの所為で自然と中央にコマが移動して激しくぶつかり合う。片方のコマが勢いを無くして倒れると一人の少年は腕を掲げて喜びの歓声を上げ、対する相手が項垂れた。そこに未来視が重なって見えた。勇者の刃から仲間を庇って、それは攻撃を捨てた防戦一方の戦いだった。付かず離れず時間稼ぎの為の何処か誇らしげな最後の顔で息絶えた少年の未来と今、勝利の顔が重なる。思わず王は少年の頭に手を乗せて撫でる。そして少年の側の子供達を見て、「お前の努力は実を結ぶ」と呟いた。そして王は踵を返して王城へと足を向けた。
「いたのか」
ただ黙って王の後方で前に腕を回して左の甲に右手を乗せて立つ彼女が、彼が通り過ぎるまで頭を下げ続ける。
「待たせた」
横を過ぎる時に王はそう言うと、彼女は顔を上げ優しいほほえみと共に王の後に付いて行く。今から10年前、王がまだ王子であった頃。彼女は8才になる。とある村娘に過ぎなかった帝都と呼ばれる場所すらまだ知らぬ幼い頃。彼女は出会いと別れを経験する。彼女の辺境の村を鬼族たちが村を襲った。魔族は人族に忌み嫌われ。鬼族たちから蹂躙され続けていた。我らの異形の姿は悪魔達が人と戯れに生んだのが始まりと言い伝えられている。姿は悪魔に寄った者が多く、そうした者達は能力もそれに近かった。しかし、私の様な人寄りな者達は魔力もさほどなく、身体能力も人と交わせない。そしてそれは魔族の大半がそうであった。鬼族は魔族や人族を称して「角無し」と呼び。人族は鬼族や魔族を「化物」と呼ぶ。その鬼達、オーガやオグマ、先兵として小鬼に村は襲われたのだった。子は食われ夫は殺され妻は小鬼達の繁殖に利用される。言わば小鬼はオーガと魔族のハーフでありロバの様に、それ単体では繁殖も出来なく雌も生まれてこない。種としては繁殖出来ないのにも関わらず一向に堪えないのは、それだけ多くの人族や魔族がいる証拠でもある。
彼女は小鬼に腕を掴まれ絶望と恐怖で思考を停止させズルズルと村の中を彼等の住処へと運ばれる途中だった。そこへ駆けつけたのが若き日の王。サルベス王子であり、帝騎士50人からなる帝都軍であった。魔導士である王子は武に長けているとは言い難いが、それでも小鬼よりは優れた剣捌きで瞬く間に少女を掴んだ小鬼の腕を切り落とし、蹴り上げ火炎球を唱えて爆散させた。その爆風に数体の小鬼を巻き込み、他の小鬼達の動きが一瞬固まった隙に彼女を救い上げ片手に抱くと後方へと下がる。その前に帝騎士2人が立ちふさがる。
帝騎士と呼ばれる中でも全身を真っ黒なフルプレイトに身を包み、胸には1つルビーを中心とした薔薇の紋章が細工してあり王子直轄の黒騎士である事が分かった。耐熱用のマントが爆風の風に棚引く。黒い盾と黒い剣は揺らめく炎の明かりに照らされ、ゆっくりと小鬼達を威嚇した。
「あんた手前の奴ね」
黒騎士の1人から発せられた声は以外にも女性の様であった。
「おいおい。普通逆だろ。オーガの相手は俺に譲れよ」
そしてもう片方から聞こえた声は男性のものらしい。
「レディファーストよ」
答えるより先に彼女は空中を蹴ってオーガに向けて飛んだ。足元に浮かんだ小さな魔法陣から察すると飛翔系の魔法であると思われた。空中を正に駆ける様にオーガに迫り黒い剣で、その首を跳ねた。抵抗する間もなく崩れ落ちたオーガに驚き近くのオグマが怒りと怒声を上げて棍棒を振り回して彼女に襲い掛かる。
「あら、貴女の旦那さんだった?」
棍棒は彼女等オグマが愛用する料理器具でもある。獲物の骨毎粉砕し食べやすくする為、此れを持つオグマは番がいる事になる。迫る棍棒を躱しながら片手剣を突き出した。
「安心して未亡人には、させないから」
側面へと回り込み腹部に突き刺した剣を捻り引き抜く。
「引け!」
突如舞い戻った王子の指示が飛ぶと2人は同時に飛翔しバクチュウの様な回転と共に王子の左右に並ぶと、間髪入れずに王子の差し出された手から火炎放射が行われた。無詠唱によるドラゴンの息吹と呼ばれる5000度に達する炎の掃射で群がり固まっていた小鬼の皮膚は焼け、口から呼吸による肺に入った熱は灰すら焼き内と外を黒焦げにしていった。
「西と東は、既に終わっている。帰るぞ」
「「はっ」」
二人の騎士の声が歯盛る。西と東に24名づつ向かわせて南に王子と彼等二人が向かった理由はもちろん最も戦力が高い王子を有効活用する為と流石に最強とは言え魔導士である彼の前衛を担う為に黒薔薇の左腕と称されるマキュア。そして右腕と修されるドーンこと各24名部隊リーダーだった。マキュアはその容姿から別名、黒薔薇の麗人と呼ばれ凛とした佇まいと慎ましやかな胸。整った顔立ちと御淑やかさの無い口調が帝都の女性達にそれはそれは人気で闇でプロマイドと呼ばれるカードが出回る程だ。
マキュアが甲冑の口元を上にスライドさせて口元を露わにすると指を当て笛を吹く。その音に馬3頭が駆けつけた。まるで嵐の様に現れ去った彼の姿をいつまでも見送る1つの目があった。幼い少女の目には王子しか映っていない。そんな顔つきで「いつか必ず・・・」と囁く彼女の手はいつしか強く握られていた。そして今、彼女は王となった彼の側にいる。