マーキング?
「欠席?」
「はい。副会長……クリーフルさんは昨日から一切授業に顔を出していないようで」
俺はシルヴィアと会話を行いながら、通りのチリゴミをまた一つ拾い背負った大きな籠に入れていく。
先日命じられた通りの〝社会奉仕活動〟を行っているのだ。……せっかくの休日に。
通りを行き交う人々の目線がようやく気にならなくなってきた頃合いである。
監視役であるはずのシルヴィアは横で俺と同じ様にゴミを拾う。というか彼女が注目を集めている第一要因である事は間違いない。
わざわざやらなくても良いだろうに。
「あんな事になったから、不貞腐れてるんじゃないの」
「それならあの双子が血相を変えて部屋の戸を叩いていませんよ」
「あの二人ですら知らない事情があるって訳ね」
深く考える必要もないだろうが、貴族様は何を考えてるのやら。いきなりキレて斬りかかってきた時点でどうかと思ったけどさ。
「わざわざ彼女が動いてくれた事でこちらとしては助かりました。精一杯ボロを出してくれたようですし」
「ボロが出たというより、勝手に自爆したというか」
あの形相を思い出して笑みが溢れる。メルですら呆れる程のワガママと傲慢っぷりだ。
「ですが、いくら彼女があのような性格であるとしてもストラット家は貴族派の中でも有力な家の一つです。私としてはあまり表立って敵対したくはありません。それに、立場を考えれば対立する事自体が……」
言外にシルヴィアは俺とクリーフルが揉めても助けられないと言っているのが嫌でもわかる。
俺は彼女の言葉に肩をすくめながらゴミを拾う事で答えた。
彼女には彼女の目的と立場がある。そう俺の手助けばかりはしてられないという事でもある。
……と、彼女は唐突に俺を見据えると言った。
「ウォルター。そろそろ引き返しましょう。随分と遠くへ来てしまったようですから」
「まだ籠は一杯になって……」
そう言いかけた所で、周囲を見回した俺はシルヴィアが何を言いたいのかを察した。
辺りからは人影が消え失せ、空気は澱み、道路も荒れ果てている。治安の宜しくない地区に入ってしまったのが一目で分かる。
それに何より、人の姿が見えないというのに妙な視線を感じる。
「大人しく帰った方が良さそうだな」
「スラム、という程ではありませんが、ステアマルクにもこの様な荒れた地区は幾つも存在しています。嘆かわしい事ですが」
シルヴィアの言葉を適度に聞き流している俺の目に止まったのは、辺りを伺いながら怪しげな路地に身を滑り込ませる怪しい身なりの男たち。
この寂れた区画には似合わないホクホク顔だ。何かを期待しているのがありありと浮かんでいる。
「あれは……?」
「この辺りには違法な賭博場があるという話です。だから治安が宜しくないのか、治安が宜しくないからそういう物があるのかは知りませんが」
なんでそれをあんたが知ってるんだ、という疑問は浮かんだがそれ以上に賭博場という言葉が気になった。
賭博場。それはヒトとカネが集まる場所だ。それが集まるという事は、自然と情報が集まる。
なんとかして潜り込めないものか。そんな事を考えていると背後から声が聞こえた。
「随分と綺麗な服を着てるじゃん。流石は学園の子」
「……通してもらえませんか?」
「へへっ、そうつれない事言うなって」
シルヴィアが薄汚い男に絡まれていた。顔に傷があり、少し癖のある喋りをする男はイヤらしい目つきでシルヴィアを下から上まで舐め回すように見る。誰でも何を考えてるのかは嫌でも分かるだろう。
「だからさあ、俺が色々と面白い事を教えてやろうって言ってるの。お嬢様には想像もできないようなさあ」
「……興味がありません」
「あのなあ、いい加減にしないとさあ、俺も怒るよ? ここまで頼み込んでるんだから少しぐらい付き合ってくれていいんじゃないの」
籠を下ろしながら、明らかにカタギの人間でない男とシルヴィアの間に割り込む。
「すみません、少し良いですか?」
「んだコラ。俺はテメエなんかに話しかけてねえんだわ。ガキはとっとと……」
「誰がガキだ、誰が」
男が言葉を言い終える前に俺の右拳が鳩尾を綺麗にえぐった。その直後に左拳が小枝を折るような小気味よい音を立てながら顎を叩き割る。
しばらくは物を食うのも苦労するだろう。
「うごっ、ごっ」
「行こう!」
男が地面に倒れる音を聞きながら、少し強引にシルヴィアの手を取ってさっさと走り出す。
これ以上留まっても何一つとして良いことは無い。
「…………」
シルヴィアは少し戸惑った様な顔のまま、黙って俺に手を引かれていた。
――意識した事は無かったが、彼女は随分と背が高い。
周囲が見たら、姉弟の様に見えなくもないのだろうか。……いや無いな。ありえない。
しばらく走り、人通りも元に戻った辺りでようやく立ち止まり、手を離す。
彼女は優雅な仕草で俺の額に浮かんだ汗をほのかに甘い香りの漂うハンカチで拭うと、微笑みながら言う。
「暴力を振るうというのは、会長としては見逃せません。――ですが、私個人としては感謝しています。ありがとう」
「余計なことじゃなかったかな」
「いえ、私は君ほど強くはありませんので」
よく言うよ。
そんな事を思いながら俺は違和感を覚える。何かが足りないような、何か重要なことを忘れているような……
「それで、籠は?」
「……あ」
そうだ。折角集めた籠をあの場に置いてきてしまったのだ。
すっかり忘れてた。今から戻るか? でもあの男が仲間呼んでないとは限らないし……いや、あの分なら別に苦戦する事は無いだろうけど。
このままだと最初からやり直しになりかねない。どうしたものか。
そんな事を考えていると、シルヴィアは俺の背後に回る。
「これを」
今まで彼女が背負っていた籠が、俺の背に収まった。
「これで何もなし。報告書にはしっかりと社会奉仕活動を終えたと記しておきましょう」
そんな事を妙に自信満々の顔で言うシルヴィアだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ただいま」
「おかえりなさい、ウォルター」
談話室に入ると、赤い液体が並々と注がれたカップを片手に悠々と新聞紙を捲るメルが俺を出迎えた。
くたびれた俺とは正反対に、優雅な休日を過ごしているのが見て取れる。
「ウォルター、最近穀物の値段が上がっているそうですけど、河川の交通量はどうなっているのです?」
「そんな事いきなり聞かれても困るが……えっと」
実家の資料、そして父との会話を思い出す。
穀物を始めとする農作物はこのローメニアでも豊富に生産されているが、北に位置する大陸有数の平原地帯を有するフランダリア王国からの物も少なくない。そして王国の南に位置するメディア都市連合は農業に適した土地が少ないので、ローメニアとフランダリアから各種作物を輸入するのが常だ。
「行き来する平底船の数はそう変わってない。ただ荷揚げの量は少し減ったって話だな」
「成る程。フランダリアは供給を絞り始めているんですのね」
そんなやり取りをしながら、俺は制服を脱いでソファに掛ける。
その途端に、メルが顔を顰めた。
「……この匂い、あのシルヴィアとか言う女の」
「ああ。あの子がお目付け役だったからな」
途端にメルはカップを乱暴にソーサーの上に投げ、俺の元に駆け寄ってきた。
と、何をするかと思えばくんくんと俺の匂いを嗅ぎ始める。
「汗臭いですのね!」
「そりゃ当たり前だろ、外に居たんだから」
と、メルは俺の額の所でその仕草を止めると、懐から華の香りが漂うハンカチを取り出し……
「ちょ、何するんだ、痛い、痛いって!」
無言のままにゴシゴシと俺の額を擦る。というより拭いている。
何を思っているのか聞けないままに、俺はしばらくの間黙って拭かれ続ける。数分はゴシゴシとやられ続けたろうか。
……その後しばらく、俺の額からは華の匂いが漂い続けていた。
何故かその間中、メルは満足そうにしていた。




