恥も外聞もなく
「……私を、どれだけコケにすれば気が済むのですか……!」
俺の一言に、クリーフルがギリギリの所で保っていた“貴族らしい”顔がついに崩れ落ちる。
双子の方に向き直ると、彼女は血相を変えて詰め寄っていく。
「それを寄越しなさい」
「で、ですが、お嬢様」「そうです、お嬢様が手を汚す必要は……」
「寄越せ!」
哀れな双子は、怯えながら同時に剣を差し出す。彼女はその一本を手からもぎ取るようにして奪い取り、その切っ先を俺に対して向けてくる。
「ええ、良いでしょう! 私が直々に、この手で貴様を今ここで叩き切ってやります!」
「そんなのに付き合う義理は無いと思うんだけどな」
答えるように剣に手を掛けた瞬間に、クリーフルは口元に下品な笑みを浮かべて言い放つ。
「もしかして抵抗するつもりなのですか? ハハッ、流石は田舎貴族。礼儀と常識という物を知らない!」
「だからなんだよ」
「ストラット家に逆らうという覚悟があるのなら、その剣を抜きなさい!」
なるほど、何だかんだ言ってるけど要は一方的にいたぶりたいだけか。ロクでなしの貴族にありがちなやつだ。
俺がここで手を出すと家に迷惑が掛かるし、ここで黙って切られる訳にも当然いかない。
どうしたもんか。そう考えていると、背後から声が聞こえる。
「抜きなさい、ウォルター」
「正気?」
「正気も正気です。ここで黙ってやられる理由はありません。……それに、後の事は私がどうにかしますわ」
「どうにかするって、なんかプランはあるのかよ?」
「ありませんわ」
堂々と言い放つメル。思わず脱力してしまう。
割と出たとこ勝負だもんな、メルも。
しょうがないので、改めて目の前の敵を観察する。
握りやら動きやらが緩慢。ド素人丸出しだ。殺気立ってるのは良いけども、見てるだけで心配になる位に頼りない。
「死ねっ!」
勢いよく斬りかかって……いるつもりなんだろうけども、フラフラとスローモーションな袈裟斬りが繰り出された。
当然避ける。避ける、避けるというより一歩下がるだけでラクラク回避出来る。
おばあちゃんでももっとマシな動きするぞ。
「避けるな!」
「いや、当たってやる義理が無いだろ」
「うううう! お前、お前っ!」
もう型とか関係なくぶんぶんと力任せに振り回してるが、あまりに動作が緩慢なので余裕で避ける事ができる。
「避けるなぁぁッ!」
「嫌です」
「ネフィ、デレス! コイツを抑えて!」
双子に指示を出したクリーフルの息は上がり、剣を杖代わりにして荒い呼吸を続けている。
結局他人を頼るのかよ。そう思いながらもやってくるであろう双子をどう捌くかを考えている時だった。
同時に足を一歩踏み出そうとした双子の背後に、二つの影がゆらりと這い寄った。
「動くな」
「……」
二つの影は、双子の首筋を捕らえた。
アザリアとカリンだ。
「申し訳ありません、お嬢様」「クソっ、何者だ!」
「名乗る必要も感じませんが」
「……」
アザリアは既に双子には気にも止めずに、その先にある存在――クリーフルへと目を向けている。
彼女は無言のままに、言わんとする事をクリーフルに対して伝えている。『彼に手を出したら、殺す』と。
「……くうっ!」
それでも、クリーフルはその目をなんとか無視し、俺に対して今再び剣を振り上げ……
「あ」
彼女が振り上げた剣はすっぽ抜けて明後日の方向へ飛んでいく。
呆然としながら、彼女は自分の手の内を見ると、そのまま地団駄を踏んで癇癪を起こした。
「あの平民が! 私は貴族ですのに!」
ぐずりっているのを、双子に慰められながら立ち去っていくクリーフル。その背には哀しさすら感じる。
「実に哀れですのね」
「そうだね……」
自滅、と言っていいんだろうか。この後が怖そうではあるが、とりあえずなんとかなったという事だろう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「叔母様!」
私は声を張り上げながら、校長室の扉を開いた。
先を見通すことの出来ない闇に覆われた暗い室内の中をぐるりと見回し、目的の人物が居ない事を理解しながらも、私はもう一度だけ声を張り上げた。
「クリーフルです! 叔母様、いらっしゃらないのですか!?」
誰のせいで、こんな恥をかく事になったと思っているのか。
誰でもない。この学園の校長の座にある、私の叔母だ。私の父の口添えによって校長の地位に付けて貰った当の本人が、事もあろうに私の足を引っ張るとは。
許せない。それでどれだけ私が恥ずかしい思いをしたと思っているのか!
「ここに居ないのなら、どこに……」
「私はここに居ますよ」
部屋の奥から声が聞こえたのと同時に、執務机の上に置かれたランプがぼんやりと灯り、暗闇の中にぼやけた人影を映し出す。
「叔母様! 一体どういうおつもりなのです!?」
「何の話ですか?」
「とぼけないで! あの男、ウォルター・ベルンハルトです! 私は確かに退学処分にしろと申し付けていた筈です! それがどうしてあんな……」
「あんな、なんです?」
子供を諭すような口ぶり。それが癪に障った。ふざけている。
「叔母様……いえ、エウラリア! 貴女もまた、身の程を知らないようですね! 一体誰のおかげで、その椅子に座っていられると……」
「身の程を知らないのは、お前だよ」
……え?
理解が出来なかった。今私が聞いたのはよく聞き知っているいつも叔母……エウラリアとは全く異なる声。
誰か他の人間が、この部屋にいるのか? そう思って辺りを見回す。
「え?」
私の周りはいつの間にか闇に包まれていた。入ってきたはずのドアは見当たらず、いつの間にかエウラリアの姿を映し出していたランプの灯りも消えている。
「だああれがああ、みのほどしらずだってえええええエエエ?」
「ひ、ひっ」
私の頭の中に直接響いてくるような甲高い声。その声を聞いた後に、私は“それ”を見た。
暗闇の中に現れた巨大な影。その影は部屋全体を覆い、いつの間にか私の周りを取り巻いていた。
それを認識した瞬間に、生暖かい液体が下着から溢れ落ちて太腿を伝い、絨毯の上に流れ落ちて染みを作り上げていくのが分かる。
貴族としてはあってはならない事態。恥。どうして私がこんな事に? なんで?
どれだけ考えても考えは纏まらない。そのうちに液体は止まったが、それと同時に足の力が抜け落ちてじっとりと濡れた絨毯の上にへたり込む。
自らから流れ落ちた液体の冷たさを感じ取りながらも私は何も出来ない。
そして、いまさら全身が震えている事に気が付いた。
「あ……あ……!」
何かを言いたいのに、言葉が出ない。今すぐ動きたいのに、足が動かない。
どうして私が? 何で私が? 目の前の“これ”は何?
様々な考えが私の頭を過るが、それはどれも形とならずに霧散していく。
「臭いな、お前」
「貴女は……何なの……」
「ヒヒッ、それに答える義理は無いなあ、キヒッ、キヒヒッ、ウフッ」
闇の中に居る何かは、あの女ではない。
それだけを理解するのが精一杯だった。
「私に手を出したなら、お父様が……」
「そうかい。アイツが苦しむのかい。良い事を聞いたなあ」
その言葉が致命的な失敗だと気が付いたのは、“闇”が私の体の中に入り込んだその瞬間だった。




