対峙
「ウォルター・ベルンハルトです」
名乗りながら校長室のドアを数度ノックすると、中から凛とした声が聞こえてきた。
「お入りなさい」
「失礼します」
重い扉をゆっくりと開き、身を滑り込ませるように静かに室内へと入り込む。
分厚いカーテンで締め切られた室内は、昼間だというのに薄暗い。まるで吸血鬼の巣窟だな。そんな印象を抱くほどに。
異様な雰囲気の部屋だった。その闇の向こう側に得体の知れない何かが潜んでいる。
誰かが居るのは分かる。だがその顔もはっきりとした姿も捉えることが出来ない。
「ウォルターくんですね。私がこの学園の校長であるエウラリアです」
闇の向こう側から聞こえてきたのは、少し無理して出している感じはあるが、想像していたよりもずっと若々しい声。
その言葉の後にテーブルランプが灯され、エウラリアの顔が闇の中にぼんやりと映し出される。
薄闇の中に見えたのは、三つ編みを前に垂らし、薄闇に溶け込むような黒いドレスを着込んだ妙齢の女性であった。
「さて、ウォルター君。君がどうしてここに呼び出されたのかはわかっていますね?」
「なんとなくは」
「君は夜間に図書館に無断で立ち入り……」
「既に夜間使用願いは出してあります。手違いで伝わっていなかったのかもしれませんが……」
俺の言葉は彼女が力強く机を叩く音で中断させられた。
「“それ”は今や大事の前の小事に過ぎません。君はその中に隠されていた……閉ざされていた箇所へと踏み入った。違いますか?」
「……はい」
「その中で何を見たのか、それについて教えて下さい」
参ったな。そこまで気が付いてるとは。
そりゃまあいつかはそこに到達するだろうけど少しばかり早すぎやしませんかね。
とりあえずここで対応を間違えると投獄なんかよりもずっとマズイ事態に陥る。
文字通り消されてもおかしくない。慎重に言葉を選び、回避するのが得策だろう。
「俺が見たのは無限に続く回廊。それだけです。それを降りきる事が出来ませんでした」
俺がそう答える。しかし返答はない。一切の反応もない。
聞こえなかったのか? 俺がそう思ってもう一度同じことを言おうとした瞬間だった。
「ククッ、ククククッ、ウフフフッ」
エウラリアは突然ケタケタと腹を抱えて笑いだす。その途端にテーブルランプの明かりは消え失せ、彼女の姿を再び闇の中へと覆い隠した。
聞こえてくる笑い声は甲高く、そして薄気味悪い。薄明かりの下に映し出されていたどこか幸薄そうな女性が発している物とはとても思えない。
――別の人間がいるのか? そう考えて闇の向こうを見渡そうとするが、何も見通すことは出来ない。
そこで俺は気がつく。……これは作り出された闇だ。つまり、この闇は魔術によって生み出されている。
「ヒヒッ、ウフフフッ、ウフッ、クフフフッ」
「あの……何か……」
闇の中へと向けて、俺は声を掛ける。まるでホールの中にいるように声が反響する。それだけではない。段々平衡感覚が狂っていくのが自分でも分かる。
……尋問用の魔術だ。それが存在する事は師匠から聞き知ってはいたが、まさか自分がそれを体験する羽目になるとは。
「嘘を、吐きました。吐きました、吐きました。オマエは、嘘つきだ。嘘つき、ククッ、ウフフッ」
ぞわり、と背中が寒気立つ。明らかに先程までとは声自体が違う。まるで男の様な低い声が発せられている。
やはりもう一人がこの部屋にいるのでは?
ランプの灯はチラチラと陰り、彼女の姿を暗闇の中に時折シルエットとして映し出し、それが実在している事を示している。
しかし、彼女の顔を照らし出す事は決して無い。
(落ち着けウォルター。これは揺さぶりだ。動揺すれば更に深く術にハマるだけ。今俺が行うべきことは……)
綻びを探す。
「ヒヒッ、お前のそれは嘘だ。嘘だ、嘘。ウフフッ、ワタシにはわかる。オマエの言葉の嘘が。その匂いが、色が、音が、全てが嘘だと告げている!」
「…………」
「ククッ、ここはワタシの領域。オマエはもう逃れられない。嘘は意味がない。無駄だ、効果がない。ワタシにはわかる。分かる、理解できる」
闇の中から巨大な何かが迫りくるような圧力。それを受けながらも、俺は言葉を発することもなく闇を見通す。
舐めるような視線を感じながらも、心を揺るがさない。それを続けていると、再びランプの明かりが灯り、エウラリアの顔を薄闇の中へと映し出した。
その顔には何の表情も浮かんでいない。無表情。何か感情を揺らした痕跡すら無い。
「.……どうしました? 随分と顔色が悪いようですが」
「いえ、特に何も」
「とりあえずお座りなさい。ずっとそのままでいるというのも疲れるでしょう」
椅子なんてどこにも無い。
そう言いかけた所でいつの間にか俺の横に古びたスツールが現れているのを見て取った。
「どうぞ」
「……いえ、大丈夫です」
俺は丁重に断りながら、改めて姿勢を正してエウラリアを真正面から見据える。
「質問をします。君が図書館の中の閉ざされた区画の中で何を見たのか、それについて教えて下さい」
繰り返しだ。さっきと同じ質問。まるでループしているような感覚に陥りそうになる。
ここで先程と同じ答えをするか、それとも全てを話すか、そのどちらかしか道が無いように思える。
……だが、それも術の内。それを回避するには――
嘘の無い言葉だけを用いて罠をくぐり抜ける。
「確かに俺が何を見たのかを言うつもりはありません」
「……それは、どういうつもりですか」
「それを口にすれば俺だけではなくメルを始めとする他人にまで害を及ぼす、それを知っているから口にする事は出来ません」
事実だ。言っていない事はあれど、俺が今口にした言葉には嘘は何一つとして含まれていない。
――俺がそう言った途端に、ほんの僅かだったが初めてエウラリアが表情を崩した。
口元を一瞬歪めたのだ。
正解か不正解かは分からないが、俺の返答が彼女が予想していなかった言葉だったのは少なくとも確かだ。
しばらくすると、エウラリアはゆっくりと頷いた。
「良いでしょう。何があったのかを聞き出す術は無いようです。そして複雑な事情があることも理解しました」
「……」
「面白い子ですね貴方は。……それに予想よりもずっと賢しい」
なんとかやり込めた。ギリギリの所で正解を勝ち取ったようだ。
「……どうも」
「下がってよろしい。今回の件については追って連絡します。ですが、そう重い処分は下らないでしょう」
そう淡々と告げたエウラリアに対して一礼すると、これまで以上に慎重に一歩一歩しっかりと地面を踏みしめながら部屋を抜け出ようとする。
何が仕掛けられているか分かったものじゃないからだ。
そして俺がドアノブに手をかけようとした所で、背後から声が聞こえた。
「一つ、いいですか」
俺は振り返らずに彼女の言葉を待つ。
「私には今のやり取りを誰にも言うつもりはありません。貴方が信じるか信じまいかは勝手ですが」
「それにはどういう理由が……」
「理由、理由ですか。ククッ、フフフッ、ウフフッ」
再びあの笑い声が聞こえる。振り向かなくて正解だったな。
「オマエの方がストラットの阿呆、無能、肥え太った豚共よりも、ずっと楽しそうだから・ら・らさ、ウフフッ、フフフフ、クフッ」
「失礼します」
甲高い笑い声を聞きながら、急いで扉の外へと抜け出て後ろ手でドアを閉めた。
「奇抜って言っても、程があるだろ」
エウラリア・ストラット。
確かに変わり者だった。予想以上に。




