メイドに窘められる
「……ウ……ォ……ま」
「ウ……ター……様!」
「ウォルター様!」
目を開けて、最初に入ってきたのは血相を変えたアザリアの姿だった。
彼女の目元は赤く腫れ上がり、涙を流しながら俺に呼びかけている。
彼女のメイド服の袖は切り裂かれ、彼女の手元は赤い。
何事かと思い、うつ伏せになっていた身体を起こそうとする。その途端、信じられないほどの激痛が俺を襲う。
一体何が?
「動かないで下さい、ウォルター様。背にシャンデリアの破片が幾つも突き刺さっております」
アザリアは目元と涙を手の甲で拭いながら、俺の背に回り、何かを巻きつけている。
顔を上げると、部屋の隅で震えながら涙を流しているメルキュールの姿があった。どうやら無傷のようだ。
彼女には良い薬になった事だろう。
「アザリア、一体俺の背中はどんな事になってるんだ?」
「酷い有様です。見てくれより傷は深くは無さそうなのですが、一つだけ深く突き刺さっている物があります」
想像したくない光景だった。
使用人たちが前にも増して忙しそうにドタドタと走り回っている。
彼らの口調から、近くには父と母とスヴォエ氏が居る事が分かる。
「旦那様、落ち着いて下さい!」
「落ち着いていられるか! 息子が目を覚ましたのだぞ!」
「今は手当中です、どうか、お気を確かに」
「そうですよ、ヨハン。あの子は強い子です。今も泣き声一つ立てないのですから」
ああ、そうか。普通の子供なら痛さに泣き叫ぶのが普通なのか。
だが、生憎なことに俺はもう“死ぬほど”の痛みを二回も経験している。それから考えれば、この程度の痛みは歯痛と同程度の物だ。
……まあ、そっちが痛くない訳ではないのだが。
しかし、奇妙だ。何故スヴォエ氏は、メルキュールを放置しているのだ? 父が少し子煩悩で過保護気味とは言え、普通の家でも、もう少しあんな目にあった子に優しくする物だろうに。
「最低限の手当は終わりました。後はお医者様がいらっしゃるのを待つだけです」
「ああ、ありがとう、アザリア」
彼女の声は震えていた。俺より年上とは言え、彼女もまだ子供だ。怖いのなどは当たり前だろう。
そんなアザリアに感謝しつつ、俺は立ち上がろうとする。
「ウォルター様!」
「だ、大丈夫だ。それよりも、あの子は?」
俺はよろけながら立ち上がろうとして、メルキュールの方を向く。
ずっとこの世の終わりの様な表情をして立っていたメルキュールは、俺の姿を認めて恐る恐る近寄ってくる。
「やあ、怪我は無かった?」
「ご、ごめ……ふえええええん」
安心したのだろう。俺に対して謝る前に、彼女は泣き出してしまった。
それと同時に、両親達が近寄ってくる。
「ウォルター! 座っていなさい! 背中にそんな大きなものが刺さっているんだ!」
父の言葉に、俺は慌てて後ろを向く。そこには随分と大きなシャンデリアの部品が突き出ていた。
「おお……」
言葉を失った俺を、母は優しく抱きとめて膝を付かせる。
「大丈夫かね、ウォルター君?」
少しハスキーな声がした。スヴォエ氏だろう。
彼は、俺の手を取ると、熱っぽく言った。
「はい、大丈夫、です」
「事情は聞いた。娘が迷惑を掛けたようだ。私どもの医師団を呼びつけた。じきに領地から最高の技能を持った医師たちがやって来て君を治療する。君の身体には傷一つ残さない事を約束しよう」
一見、優しげに聞こえる言葉だが、俺は違和感を覚える。何故、彼は娘を一瞥たりともしないのだ? それに、立場を考えれば理不尽なまでに俺に責任を押し付けてもおかしくはない筈だ。
様々な、何故? が頭を過る。
「あの子を、怒らないで下さい。僕も悪いので」
「……そうか」
それだけを言い残すと、再びスヴォエ氏は父の元へと向かう。俺が彼女を庇った途端に、スヴォエ氏の表情には明らかな陰りが見えた。
少し離れた場所に立っているメルキュールの表情には、悲しみと、そして少しばかりの怯えの色が見える。
その後、俺は幾人もの使用人に神輿のように担がれ、自室へと連れさられた。
そして、村医者によって巨大なシャンデリアの残骸が引き抜かれて止血を行われた俺は、今更痛みに悶えていた。
仰向けになんてとてもなれない。
「痛え、少しでも動かすと余計に痛え」
「失礼します」
アザリアの声だ。
「どうした?」
「夕食をお持ちしました」
そう言って、粥の入った器を持ってくるアザリア。
身体を起こそうとするが、静止された。
「口を開けて下さい」
「いや、自分で食べ……」
「開けて下さい」
有無を言わさぬ声色だ。仕方なく俺はうつ伏せのまま、顔だけ横にやって口を開ける。
どうやらアザリアは怒っているようだ。険しい顔をしている。
「どうして、あの娘を助けたのですか。いらっしゃってから、ずっと旦那様にも、ウォルター様にも失礼な事を言い続けていた上に、あの娘の家は……」
粥を匙で口の中に入れながら、アザリアは問いかける。
そうか、彼女は出自を考えれば、王家を始めとする貴族は嫌っていても不思議ではない。
「僕だってそんなつもりは無かったさ。あんまり好きな子じゃないし、あの態度はなあー」
「……でしたら」
「身体が勝手に動いたんだ。仕方ないだろう」
「自らの身を差し出してまで、助けるような人物ではありません」
随分と強い口調だった。
分かる、分かるが……
「それでも、あの状況で見捨てるなんて事は、僕には出来ない」
俺がそう言うと、仕方無さそうにアザリアは笑った。
悪を志さなければ行けないというのに、俺もまだまだ甘い。
本当に甘い。
だが、この甘さが思わぬ副産物を生むことになった。