血と王冠
『黒の王冠』。それは、二十年戦争で滅亡する事となったキリガリア聖王国の遺臣達が中心として作り上げた祖国復興の為の組織を原点とする人々の集いだ。
キリガリアは狂信的な信仰心と、この大陸全土を覆う中央教会に対する強い影響力を有する事で知られていた。
しかし南方の聖なる花とまで謳われた、聖地でありキリガリアの首都であったアル・べサニアが落ちた時に全ては変わり果てた。
キリガリア軍は苛烈な抵抗を行ったものの、未知の力と凄まじい数を誇る異人の軍の前に破れ、アル・べサニアは奪われた。
国王以下、全ての王族は年齢や性別に関係なく、文字通り最後まで抵抗を行い死を免れた者は誰一人として居なかった。……たった一人を除いて。
留学中の為に難を逃れ、唯一生き残る事となったのが皇太子ルオン。
年若く、少年と言えるほどに幼い彼は祖国占領、そして父を始めとする一族郎党全てが死したと聞いて涙する事は無かった。
その理由を問いかけられた彼はこう答えたという。
「私が涙を流すことを父上達は望まないでしょう。その代わりに、遺された私が立ち上がる事を望んでいる筈です」
その言葉通りに彼は異人達に支配されたアル・べサニアと奪われた祖国、その奪還を訴える為に遺臣達がアル・べサニア陥落の際に持ち出した魔具や豊富な資金力、そしてコネクションを活かし、内乱を終結させ異人達に対する反抗を求め、各国を巡った。
彼の努力は実り、信仰心に篤い国家を中心とした数十万にも及ぶ大規模な討伐軍が編成され、ルオンはその旗手となって祖国へと再び足を踏み入れる。全てを取り戻せると、彼らは皆確信していただろう。
しかし、彼らは破れた。完膚なきまでの敗北であった。
アル・べサニアを目前にして討伐軍は異人の軍との決戦で大敗し、数十万の兵は半数以上を失った。
ルオンは、討伐軍の大敗の責を負わされ、それどころか異人に対する内通という不名誉を着せられ、処刑される事になった。
それが濡れ衣であることは、誰もが理解していた。だが、誰もそれに異を唱える事は無かった。誰かが責任を負わねばならなかったのだ。
……そして、その責務を負える者は、ルオンの他にこの世に存在していなかった。彼と轡を並べて旧キリガリアに踏み込んだ討伐軍に所属していた上層階級の者で、生き残る事が出来たのは彼のみだったからだ。
今や大陸の全国家は異人の大規模な侵攻に直面していた。大多数の兵力を失った各国は団結せざるを得ない。しかし、討伐軍の失敗が彼らに二の足を踏ませる。
「団結しても意味はないのではないか?」「異人と講話を結ぶべきなのではないか?」
かくして、彼は生贄として捧げられることとなった。討伐軍の敗北はルオンの裏切りによる物であり、戦いに負けた訳ではないという嘘を信じるしか無かったのだ。
その嘘を堂々と吐いたのは、西方の大国フランベル帝国皇帝、そしてそれに乗った当時の教皇。
そして従ったのは、全ての国家。
彼らを恨みながら、ルオンは死する事となった。
「奴らの頭の上に輝く王冠が憎い、教会の愚か者達が憎い、私を見捨てた全ての者が憎い。奴らの頭の上に載せられた王冠が血によって錆付き、打ち捨てられる事を願いながら私は父上達の元へと逝こう」
彼は死んだ。そしてキリガリア王家の血は絶たれた。
苦難労苦を耐え、カリスマ的な素質を持っていたルオンの元で祖国再興を目指していた忠誠心厚い遺臣達は嘆き、苦しみ、そして憎んだ。
彼らは全てを憎んだ。神を、ルオンを生贄に捧げた他国を、そして教会を。
そして彼らは憎しみの末に結びついてしまった。“悪魔”達と。
『黒の王冠』と呼ばれる組織の誕生である。
キリガリア遺臣達は競うように各国に迎えられる事となった。彼らを迎え入れる事によって、彼らが所持している優れた魔具や知識、遺産が自国に流入してくる事を狙って、というのもあるが、罪滅ぼしの面が無かったとは言い切れない。
しかし、彼らの内には世界に復讐を誓う、『黒の王冠』の構成員も含まれていた。
それを受け入れてしまったのは、この国も同じ。
宗教から極力距離を取る性質を持つ現国王だが、キリガリアへの留学経験もある事から、比較的多くの遺臣達や難民達を受け入れた。
彼らがもたらした知識や金銭は、この国に新しい風をもたらした。
異国を感じさせる各種芸術に大陸中部の物とは異なる建築様式、それに特殊な魔術。そして、仄暗い闇を。
予想通り、その闇の一端が、坑道の先には広がっていた。
これまでの研究室とはまた異なる風景。乱雑さは姿を潜め、神経質なほどに整理整頓された空間には消毒薬の匂いが血の匂いに混じって香る。
「っく……」
「これは異人か、それも結構な数があるな」
通路の両列にズラリと並ぶ曇ったガラス瓶の中に浮かぶ薬漬けの異人の体。
鱗に覆われた体を持つ人間やくすんだ茶色の肌の体の人間、それに羽の生えた体を持つ人間。この大陸に住む人間やエルフ達とは明らかに違う存在が、ラベリングされて検体として保存されている。
「キリガリアの遺物か」
「裏ルートで手に入れた、というには少し数が多すぎるな」
「それ以上何も考えない方が良いですよ。傭兵であるのなら、判るでしょう?」
シルヴィアの指摘は最もな事だ。ブレヴィルとテミスは経験の深い傭兵だ。払うものをきちんと支払えばここにある物に関しての記憶は消え失せる事だろう。
……が、俺は違う。それを彼女も分かっているのか、俺に対しては何も言わない。
キリガリアは亜大陸を目と鼻の先に有する半島国家であり、対異人の最前線に位置していた。
その事から、ある秘密を有していた。それは、異人を利用した人体実験を始めとする禁忌に触れた研究だ。
異人は“人間”ではない。であるので、人体実験に当たらないというのが彼らの理屈だった。
その理論に眉をひそめる者も居たが、同調する意見の方がずっと多かった事は確かだ。
『不滅の炎』や『イリスの涙』と呼ばれる広く知られた薬品もキリガリアが得たデータが無ければ制作される事は出来なかったであろう。
ここに存在しているのは、そんな負の歴史の一端だ。
そしてこんな物を所持しているという事は、この研究所を設立したのは決してコーネリア一人の力による物ではないだろう。
「ウォルター様、あちらを」
「ああ。あそこがボス部屋って事だな」
部屋のずっと奥に存在している閉ざされた扉から、漏れ出す冷気と殺気。
そこに何が居るのかはこの場の全員がすぐに理解した。
コーネリア。この地下の底に縛り付けられた哀れな霊、そして俺たちをここに誘い込んだ敵。
「準備は良いか?」
俺の問いかけに皆は頷く。
準備が整った事を確認し、扉に手を掛ける。
それだけで背筋に寒いものが走る。それでも、前に進む。
そしてやはり向こう側には、彼女が待ち受けていた。
儀式の間とでも言うべきなのだろうか。地面には魔法陣が幾重にも刻み込まれ、所々には真紅の蝋燭が置かれて青白い炎を放っている。
魔法陣の中心には説教台の様な小高い台が置かれ、その上には厚手のローブでその姿を覆い隠した存在が俺たちの方を向いて立っていた。ローブから出ている手先は血の気が無く、白い肌色をしている。
その周囲には無数の顔の無い亡霊が取り囲んでいた。彼らは俺たちに目もくれず、まるで呆けているかのようにローブの存在を仰ぎ見ている。




