そして、ダンジョンへ
俺たちはそんなアパートメントに恐る恐る足を踏み入れていく。
何が飛び出してくるのかもしれない薄暗い闇の中を歩いていくと、一つ風変わりな扉が鎮座していた。
その扉は埃一つないほどにきちんと磨き上げられ、荒れ果てた周囲の光景からは明らかに浮いている。
住人の几帳面な性格が伝わってくるようだ。そんな人物がなんでこんな場所に住んでいるのかが理解出来ないが。
俺は扉をノックし、声を掛ける。
「すみません! 誰かいらっしゃいますか!?」
「……」
返事は帰ってこない。だが俺はめげることなく、繰り返し何度かノックを行う。
「すみません!」
「開いてるよ」
扉の奥から唐突に聞こえた声の後に、重そうな扉は音もなく開かれた。
姿を見せたのは、髭をたっぷりと口の周りに蓄えた初老の老人。今まで眠っていたのか、眠そうな顔を見せながら、大あくびを一つ行って見せている。
彼こそがお目当ての人物、ブレヴィル・マルクトだろう。
「こんな時間に、なんだ。非常識だとは思わんのか」
「こんな時間って、夕方ですが」
テミスの言葉を聞いて、訝しげな反応を見せる老人。彼は目を細めて俺たちの背後を見る。
「ん、ああ、そうか。それなら済まなんだ。こんなところで暮らしてると、どうにも時間間隔が鈍ってきてしまってな。で、何者だ、お主らは」
「師匠……じゃなくて、チェルナーさんから言われてこちらへ来ました。ブレヴィルさんは手練の狩人と聞いています。お力を貸してください」
「ああ、チェルナーの。なになに、『私の弟子が来るので、宜しく頼む』ったく、あいつもまた適当なことを。で、何をさせようと言うんだね、この老骨に?」
そう言いながら、もう一度大あくびをしてみせるブレヴィル。彼は気怠そうに頬を掻きつつ首を鳴らす。
この姿はとても手練の老人の姿には見えない。普通にそこらを歩いていそうななんの変哲もない老人だ。
「ダンジョンに潜ります。力を貸してもらいたい」
その言葉を聞いた途端に、彼の目の色は変わる。目を輝かせ、俺に黄色い歯を見せながら笑いかけて言う。
「何時行く? 何処へ行く?」
「今夜、学院の地下です。少し急なのですが、込み入った事情がありまして」
「ほう! あそこの地下書庫のダンジョンか! 噂には聞いていたがな。その若さであんなところに潜ろうとは、随分な命知らずと見た」
「どうしても、確かめなければならないことがありまして」
俺はそう言ってブレヴィルの顔を見る。遊びではなく、本気であることが伝わるように願いながら。
「なるほどな。あそこの生徒にありがちな遊び半分では無いか。事情持ちであるならば、こっちの方も弾んでくれるかな?」
彼はそう言って金を表す仕草をしてみせる。それを見たテミスは顔を顰める。
どうやら彼は冒険者としての気概を持つ珍しい人格者である彼女とは正反対の性格、現金な人物のようだ。
だが、わかりやすいのは良い。金で解決できるのであれば何よりだ。
「失礼だが、貴方の実力が定かでない。本当に肩を並べて戦うに値する人物なのか?」
「ほう。私の腕前に疑問があるとでも?」
「金の話を先にする冒険者で腕の良いのはそう多くない。貴方がそうと言いたい訳ではないが、経験上どうしても、な」
「止めてくれ、テミスさん。そう無駄に事を荒立てないでくれ」
しかし、売られた喧嘩をすでに買うつもりのブレヴィルは、テミスを指し示して言う。
「私は保険のような物だ。この知恵と経験を持ってダンジョンに潜む危険を察知し、罠を回避する為の策を与える。備えが必要ないというのなら雇わなければ良いだけの話。それに、ここまで緊急の案件を受ける事のできる輩など、私より更に怪しい者しか居らぬだろう」
それを言われてしまっては何も言うこともできない。ここから別の人間を探しても、見つかる保証などどこにも無いのだ。
それを理解しているテミスさんは渋々引き下がった。
「では、後ほど。私は少々準備があるのでな」
「宜しくお願いします」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夜の帳がすっかり降り、夜を行く鳥達が怪しげな鳴き声を交わしている。
図書館前は昼間とはすっかりと雰囲気が様変わりしていた。
これから乗り込もうという俺たちを拒絶しているかのような、そんな雰囲気だ。
ここに集ったのは、俺、アザリア、キルシュ、そしてテミスとブレヴィス。そして見送りのメルの六人だった。
メルはまるで姉の様に卸したてのキルシュのローブを始めとした格好を整え、何か心構えらしき事を教え込んでいる。
「もし何かあったら、ウォルターを盾にしてさっさと逃げ出すのですよ」
「そ、そういう訳には……」
俺は苦笑しながら二人のやり取りを聞いていると、頃合いとでも言いたげにアザリアがメルに目配せを一つする。
それを見て取ったメルは、仕方なしにキルシュの元から離れた。
「では、開けますわね」
メルが懐から取り出したのは、どこから手に入れたのか定かでない古びた鍵。それを迷うことなく図書館の閉ざされた扉の鍵穴へと差し込み、扉を開こうとした瞬間だった。
「そこのお方々、少しお待ち下さい」
突如として、それを制止する声。
姿を見せたのはシルヴィアだった。
「何の様ですか、いまさら」
俺の突き放すような一言など意に介す様子もなく、シルヴィアは俺たちの元へと向かってくる。
奇妙な格好だった。いつもの制服ではなく、動き易そうな短いスカートを身に着け、流麗な形状をしたレイピアを腰から下げている。
まるで、戦いに向かう者のような姿だ。
戦い?
俺の脳裏に何かが閃く。
そうか、彼女は実力行使を持ってして、俺たちを止めようと言うのか!
その考えに思い至った俺は、すぐさま腰の剣に手を掛けた時だった。
「剣を収めて下さい。私は貴方達と争うつもりはありません」
「だと言うなら、その格好は一体?」
「おい、何が起きているんだ?」
シルヴィアは表情を動かす事なく、じっと俺の瞳を見つめる。
戸惑っている様子を見せるテミスに、我関せずという様子のブレヴィス。それにおろおろとしているキルシュ。
「私を、探索行の仲間に入れて下さい」
「はあ?」
「ご迷惑をお掛けする事は無いかと思います。どうか、お願いします」
一体どういう心変わりなのだ? あれだけ阻止しようとしていた事に、自ら参加しようだなんて。
そんな俺の動揺を他所に深々と頭を下げるシルヴィア。しかし、そう安々と受け入れられる提案ではない。
戸惑っている俺の元へと近寄ってきたのは、メルだった。
「良いじゃない。入れてやりなさいな。腕前に自信があるのなら、頭数は多いほうがいいでしょう?」
「なっ……」
戸惑う俺だったが、メルは俺に抱きつくと、耳元で囁くように言う。
「懐柔出来るのなら、おやりなさい。怪しい動きを見せたのなら、殺しなさい。ダンジョンの中でならあの娘の手下達も何が起きたのかは突き止められないでしょう」
それだけ言うと、笑みを浮かべながら少しばかり名残惜しそうに俺の元から離れるメル。
相変わらずしれっと恐ろしい事を平然と言う子だ。味方で良かったと心底思う。




