売り言葉に買い言葉
二人は、何も言葉を発すること無く互いの目を睨みつけている。
不敵な笑みを口元に浮かべているメル。余裕の無さが眉間の皺に現れている副会長ことクリーフル。
俺はこのまま身を翻してアザリアの所で一時間ほど茶でも飲んでこようかと思ったが、その前にクリーフルと目が合ってしまった。
大きなため息を吐きながら、俺は野次馬達を押しのけて二人の元へと歩いていく。それだけで周りを取り囲む生徒たちからどよめきが沸き起こった。
「はいはい、失礼失礼。この子が何かしましたか?」
「貴方がウォルター・ベルンハルトね」
「ああ、そうだ」
「下級貴族がワタシにここまでの面倒を取らせるなんて。信じられない、本当に信じられない!」
「信じられないのは貴女の礼儀の無さですわ。いきなりそんな言い草だなんて、どういう教育をされて来たのか」
上級生に堂々とした様子で楯突くメル。
それだけで野次馬達、そしてクリーフルのお付きの者達から驚きの声が上がる。信じがたい物を見ているかのように唖然とする生徒たち、悲鳴のような声すら聞こえる。
俺はその様子を苦笑しながら眺めていたが、どうやらクリーフルは違った。怒りに打ち震えた瞳をメルに向けている。
これは、危ない。
「この、女!」
クリーフルは手を上げ、メルへと振り下ろそうとする。
平手打ちをお見舞いしようとしたのだろう。
だが彼女がメルに触れる事は無かった。俺が直前で彼女の細い手を掴む。
怯えの混じった空気がホールに満ちる。誰もがクリーフルの平手打ちがメルに与えられると信じていたようだ。
だが、そうはさせない。俺が彼女を制した。
「貴様!」
「お嬢様!」「お前、何を!」
「暴力はいけない。幾ら何でもな。悪いけどメルも下がっててくれ。話が少しややこしくなる」
俺はメルを手で追い払いながら、庇うようにクリーフルの正面に立つ。
今や、明確な敵意がクリーフル達から向けられている。
「ウォルター!」
「選手交代だ、メル。どうやら俺にお怒りの様だしな」
「怒り? 当たり前でしょうに! 貴方のような木っ端貴族が、私にここまで足労を掛けさせたのですから!」
「?」
わざとらしくトボケてみせる。
それだけでクリーフルの血圧が上がるのが見て取れる。
「どこまで私を愚弄すれば気が済むのかしら、貴方は!」
「そうカリカリされても困る」
「ほんとですわね。心に余裕が無い人というのはこれだから」
「貴方たちのせいでしょうに……!」
俺とメルの言葉に余裕の全く無い様子を見せるクリーフル。彼女は何かを焦っている。
「まあいいわ。貴方が持っている鍵と手紙、その二つを今すぐワタシに渡しなさい! それは貴方の様な下等な輩が持っていい物ではないのですから」
「そもそも、あそこに何があるのかも分からないのに、そんな物を渡せるわけが無いだろう。なんでこれを欲しがる?」
「何が眠っているかなんて、そんな事ワタシには何も興味は有りませんの。あの忌々しい女が狙っている。それが癪に障るだけ!」
成る程。このお嬢様ですら知らないという事か。
この取り付く島もない様子からすれば、副会長側に付くメリットは何一つとして無いな。
まだ会長に尻尾を振ったほうがマシだ。そんなつもりは更々無いが。
「悪いけど、渡す訳には行かないな」
「貴方、ワタシに逆らうつもり? ワタシを敵にするという事は貴族派も敵に回すという事ですのよ!? ワタシ共は貴方の様な低級貴族なんて、一瞬の内に揉み潰せる権力を持っているというのを知らない訳では無いでしょうに!」
「スヴォエにも同じことが言えますの?」
「……」
メルの言葉に苦虫を噛み潰した様な表情となるクリーフル。
俺の背後にはスヴォエ家が存在している。確かにベルンハルトという小領主の息子だけであったなら、クリーフルを始めとした貴族派に逆らうなどと思いもよらなかっただろう。
だが、今は違う。
「やはり貴方達は王党派に付いたという事ですのね。あの忌々しい会長の側に!」
「今の所、どっちに味方するつもりも無いけど。派閥争いに巻き込まれるのは御免だ」
「??? じゃあ、なんでワタシに逆らうんですの? 何の利益も無いでしょうに」
「いろんな事が起きて、混乱してるんだ。第一入学したばかりであなた達の人柄も知らない。そんな状態で陣営を選ぶ事なんて出来ないでしょうに」
突如として、心底意外そうな顔をして俺を見るクリーフル。
どうやら今までのキツい態度は、俺が会長派に付いたと思い込んでいたからこそだったらしい。
しかし、その顔はすぐに哀れみを含んだ物へと変わった。
「そうですの。時勢も読めないただの馬鹿だったという訳ね。ワタシ達貴族派に付かない理由なんてどこにも無いでしょうに」
党派でしか考えられない彼女には俺の行動が何一つ理解できないようだ。
貴族派か王党派か、黒か白か。その二択しかないと心の底から信じているのだろう。
そんな物は俺にはどうだっていいというのに。俺が狙うのはもっと上だ。
「……まあいいわ。二日時間を差し上げます。あの薄汚い女の側に付くか、ワタシの庇護の元で安全な学生生活を送るか。じっくりと考える事ね」
「二日か。もう少しくれると嬉しいんだけども」
それだけを言い残して、俺の軽口に答えることなく彼女は立ち去っていく。
彼女の手下から明確な敵意を向けられながら。
どう考えても、彼女の言う通りの考える時間などではない。
最悪、俺を消す事すら想定に入れた動きだろう。
さっき絡んできた奴ら程度なら何人居ても怖くもなんともないが、どれだけの人間が動員できるかも分からないし、メルに危険が及ぶ可能性がある。
会長派と天秤に掛けて時間稼ぎが出来るかと思ったのだが、俺の見込み違いだった。
人の波が引いていくホールの真ん中で立ち尽くしながら、考え込んでいた俺の手を取るメル。
「……ありがと、ウォルター」
「ああ。メルもあんまり人を挑発するような事を言うもんじゃない」
「分かってますわ。ただ、あの人は気に入らないですわ。あの態度を見てるとどうにも落ち着かないんですの」
そりゃそうだろう。メルをもう少し高圧的にして権力欲を加えればああなる。
……“前”のメルがそうだったように。
「明日ダンジョンに行くよ。アイツらと会長派がこれ以上動く前に行かなくちゃならない」
「ええ。キルシュちゃんには連絡しておきます。貴方は残りの二人の手配をお願いしますわ」
もう引き返せない。俺は何が待っているかも分からない底へと向かう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
俺は、ある人物を引き連れて都市の外れへと訪れていた。
都市の外周部ですら行き交う人は多く、騒がしい。
しかし、歩く人々の姿は中央部とは異なっている。
どこか荒っぽい気配が漂う労働者達やみすぼらしい格好をした人、廃兵と思わしき痛々しい姿の者などが疲れた目をしながら彷徨い歩いている。
表通りでも道路は荒れ、まだ太陽が登っているというのに店の外にまで荒くれ者や酔っぱらいが溢れ返っている。
俺たちが歩くのはそれよりも狭く、薄暗い裏路地だ。
俺の制服姿は勿論注目の的だし、俺の横を歩く人物のお陰で更に余計な注目を集めている。
「このあたりを訪れるのも久々だ。あまり立ち寄りたい場所でもないしな」
「でしょうね」
テミスは辺りを一瞥しながら言う。
彼女が目線を向けると、こちらの様子を伺い続けていた物好き達は途端に顔を逸らし、何事も無かったかのように振る舞う。
そう。俺が雇い入れた人物はテミス。彼女の経験がどうしても必要だった。
彼女も丁度暇をしていたらしく、二つ返事で快く仕事を受けてくれた。
「ここか。……人が住んでいる様にはとても思えないが」
「確かに。どう見ても廃屋にしか……」
チェルナー師から受け取った手紙に書かれていた住所にたどり着き、そこに立っていた建物を眺める。
荒れ果てたアパートメントだった。壁は崩れ、窓は割れ、そして入り口の扉は叩き割られて中の様子が伺える様になっている。
暗い廊下にはゴミが撒き散らされ、誰かの寝床と思わしきボロ布のような毛布が丸められて隅に追いやられている。
とても人が住んでいる場所だとは思えない。




