天秤に掛ける
「盗み聞きとは、感心しませんね」
「あんなデカイ声で喧嘩しといて、盗み聞きも何も無いとは思いますが」
「……どうやら、恥ずかしい所を見られてしまったようですね」
「そうですね。まさか自治会の面々同士で仲間割れしているなんて思ってもみませんでしたし」
俺がそう言うと、途端に目を閉じ、悲しげな表情を見せるシルヴィア。
なんだ? この態度は。
「……はい。返す言葉もありません。他の学生たちの見本となり、彼らを先導する事によって王国の礎となるべき我ら自治会。それが内部で分裂し、この学院の闇を巡って争いを行う。それが現実なのですから」
悲しみを噛み締めているかのような表情を見せるシルヴィア。俺はその顔を見て、二の句を継げない。
本当はもう少し嫌味をぶつけて揺さぶるつもりだったのだが。
「この学院の闇、って言ったな。あんたらはこの図書館の地下に眠っている物の正体、それを知ってるんだな?」
「はい。ですが、その正体をお教えする事は出来ません」
「いいよ。自分で探すからな」
「その事なのですが」
シルヴィアはそう言うと、俺の元へと近寄って来る。
思わず身じろぎ、身構える。何かをされるのではないかと思ったからだ。
だが、彼女に敵意は見られない。いつもより少しばかり哀しさの漂う微笑みを口元に浮かべているだけだ。
「この地下書庫の奥には、多大なる危険が潜んでいます。私は貴方に危険を犯してほしくないのです」
「知ってるよ。凄いものが眠っているんだろう? そのくらいのリスクがあるのは当たり前だ」
「凄いもの、ですか……」
「ああ。貴族の子女達が仲間割れしてまで求める物が何なのか、知りたくて知りたくてたまらないよ」
「やはり手を引くつもりは無いのですね」
「ああ、無いさ」
俺が冷たくそう言い放つと、シルヴィアの口元からは笑みが消える。そして意を決したように、彼女は言う。
「もし、私を好きにして良い、という条件ならばどうですか?」
「!? ど、どういう意味だよ、それ」
「言葉通りの意味です。貴方がこの件から手を引いてくれるのであれば、私を好きにしてくれて構いません」
あまりにも唐突過ぎるその言葉に、俺は言葉を失う。決して冗談を言っている訳ではないのは彼女の顔を見れば分かる。
彼女のそのはち切れんばかりの胸元に置かれた手は震えている。これが演技だとすれば相当な役者だ。
「自分が言ってる事の意味を、良く分かってないだろ!」
「いえ、理解しています。……理解しているからこそ、こういう手段を取ろうとしているのです」
俺は思わず息を飲む。
彼女の提案は誘惑というにはとても稚拙過ぎたが、その体を考えればあまりにも魅力的すぎた。
ああ言われて落ちない男は殆ど居ないだろう。
「……なんでそこまでする?」
「私を受け入れてくれた仲間たち、そしてこの学院を守るため。ただそれだけです」
彼女の言葉には嘘は無さそうだ。
……が。
「悪いけど、その提案には乗れない」
俺はきっぱりと拒絶した。
「っ……」
「だけど、その言葉は覚えておくよ。俺も別に、この学院をぶち壊したい訳じゃない。……魅力的な提案だったけど、俺にも目的がある」
俺はそう言い残して立ち去ろうとする。
しかし、それを呼び止める声。
「お願いです。あの人達……副会長達にだけは、絶対に鍵を渡さないで下さい。あの人達に鍵が渡る事だけは、それだけは阻止しなければならないのです」
悲痛な声だった。
俺が二派を天秤に掛けつつ、情報を引き出そうとするであろう事を理解した上で、彼女は嘆願している。
「……考えとく」
それが分かっていても、俺には冷たく突き放す以外に取れる手段は無いのだが。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日の放課後、俺は再びメルと共にキルシュの元を訪れていた。
前回と同じ様に、彼女たちを待つ。
今日は先日の変な受付嬢ではなく、ごく普通の真面目そうな男性が対応してくれた。
しかし、どことなくメルは落ち着かない様子だ。
「ウォルター、本当に手を引くつもりは無いんですのね?」
「ああ、無いよ」
「私が巻き込んだ形になった事ではありますけど、少しきな臭くありません?」
メルには既に昨晩の出来事を伝えてある。……流石に会長が体を差し出そうとしてきた事は言わなかったが。
「きな臭いね。というよりあの学院自体なんか、変だ」
「同感ですわね。雰囲気が妙ですわ。それに妙な噂を幾つか耳にしましたし」
「妙な噂?」
「下らない恋愛話の中に、怪談風の伝説が幾つかありましたの。例えば、入り口の無い建物が木立の中に隠されているとか、夜中に顔のない幽霊が道を歩いているとか」
確かに奇妙だ。後者はともかく、前者が。
少なくともコーネリアは強い魔力を持っていた事は明らかになっている。
その魔力を持ってすれば、そんな建物を作り上げて何かを隠すことも可能なのではないか?
そんな事を考えていると、俺たちの元に駆け寄ってくる姿があった。
「ウォルターさん! メルキュールさん!」
「キルシュ!」
俺は駆け寄ってきたキルシュを抱き上げて、軽く一回転した後に下ろす。
「やあ、ウォルター。久しいな」
「師匠!」
「それにメルキュール君も。随分と久々だね」
「お久しぶりですわ、チェルナーさん」
俺とメル、二人と握手を交わした後にチェルナー師は言う。
「立ち話もなんだ、研究室へ来ると良い」
「ウォルターさんは、知ってるんだっけ、チェルナーさんの、研究室!」
「ああ。相変わらず酷い荒れ具合なのか?」
「随分と小奇麗になったよ。あんまり綺麗すぎて落ち着かんようになってしまった」
そう言いながらチェルナー師は石壁の一角に立つと、手にしていたステッキを振りかざし、壁を叩く。
すると、途端に壁が崩れていき、壁の中から扉が現れた。
その扉を開けて見ると、溢れんばかりに本が詰め込まれている本棚で四方を取り囲まれた部屋が現れた。
天井まで続いている移動式の梯子は何十メートルの長さがあるのか。
本棚の途中に突然現れるガラス張りの窓からは明かりが溢れんばかりに入り込んでいる。
しかもその窓から見える光景は一つ一つ異なっている。
海岸が見える窓があれば、寒々とした雪山を映す窓もあり、人で溢れ返った町中を映す窓の反対側には鬱蒼と生い茂った深い森の一角を切り取った様に映す窓もある。
全く、いつ来ても無茶苦茶な部屋だ。




