悪役令嬢、登場
「エーテルを……?」
「診断で使ったあの壺自体が純粋なエーテルに近い。君の息子はそれに干渉し、その存在その物を希薄にしていた。普通の判定法だと分からんだろうな。診断したのが儂で良かった。そうでなければ今頃この子は光か地系統の下級魔導師の烙印を押されている所だろうよ」
当っている。前世においても光魔法の才は認めらたが、それも僅かばかりの物。
それでどれだけ辛酸を嘗めたことか。
「じゃあ、僕には才能があるって事で、いいんですか?」
「……凄まじい才能がな。今すぐに儂の塔へと連れて帰りたいものだ」
「はは、それは勘弁願いたい」
しかし、チェルナー氏の表情はあまり明るくない。小躍りしそうな父とは正反対だ。
その様子が不気味だった。
「儂がそう言うのは、莫大な才を持ったこの子を自らの手で育て上げたいというだけではない。危険だからだ。この子をこのまま放っておけば、力を持て余して悪の道に走る可能性もあり、莫大な力を暴走させる危険性もある。更には魔術師たちからも命を狙われる事になるかもしれん」
すいません、悪の道に走るつもりです。本当に申し訳ございません。
そんな俺の気持ちをつゆ知らず、父とチェルナー氏は深刻そうな顔を突き合わせている。
「この子の将来のためです。予算は惜しみません。どうか指導をお願いします」
「言われなくとも行うよ。それに指定の謝礼以上は要らん。儂と君の仲だし、エーテルに干渉出来る様な使い手と出会えたそれ自体が報酬の様な物だ。錬金術師達は泣いて羨むだろうなあ」
そう言って、先程までの好々爺な声色へと戻るチェルナー氏。
ケタケタと笑いながら、ワイスさんに目配せをする。
すると、ワイスさんは俺に近寄ってきて、何かを手渡してきた。
「魔力の制御を助けてくれるお守りのようなものです。君の場合だと本当に気休め程度の物ですが」
「ありがとうございます」
「少しばかり用意が必要だ。講義は来週から始める事にしよう」
そう言うと、山高帽を脱いでチェルナー氏は一礼する。
すると、途端に彼の足元から風が立ち上がり、彼ら二人を包み込んだ。
そして彼らの姿は消え失せた。転移魔法だ。これを使えるというだけで相当高度な魔法使いである事がわかる。
とんでもない事になりそうだ。心が躍るのを感じる。
だが、本当にとんでもない事になったのは、この数日後だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
いつもの様に、大あくびをしながら階下へと降りていく。
最近は朝になるとアザリアが起こしに来てくれるようになったのだが、今日は珍しく来てくれなかった。
彼女も忘れる事があるのだな。そう思いながらも朝食を求めてダイニングホールへと足を踏み入れた。
そこで見たのは、信じがたい光景だった。あちらこちらであくせくと動き回る使用人たち、その中の一人にアザリアの姿もあった。
普段は閑散としているダイニングホールが、テーブルや椅子で埋め尽くされている。その上には様々な料理が所狭しと並べられており、まるでパーティー会場の様に飾り付けすら行われている。
俺はその中で一人の使用人を捕まえて、事情を聞き出すことにした。
「おはよう、ロレーヌ。一体どうしたんですか?」
「ああ、おはようございます、坊ちゃま。これですか? 私どもは昨日突然準備するように旦那様から言われただけで、私どもも誰がいらっしゃるのか伺ってないんでさ」
古株の使用人であるロレーヌにすら知らされていないという事は、他の使用人達に聞いても同じ事なのだろう。
俺はアザリアに挨拶して父の元に向かうことした。
「おはよう、アザリア」
「おはようございます、ウォルター様」
アザリアはテーブルを布巾で拭いて回っている。
「随分と忙しそうだね」
「ええ、今朝も随分と早くから厨房もフル回転しています。その割には誰が来るのかという事も聞かされていませんし」
あまり長居しても仕事の邪魔になるだけ。一礼して俺はさっさと父の元へと向かった。
しかし、父も使用人頭や出入りの商人(レオも含まれている)に細かく指示を与えており、中々聞き出せる状況でも無さそうだ。
しばらく応接セットのソファに腰掛けていると、父の方からやって来てくれた。
「おはようございます、父上」
「ああ、おはよう、ウォルター。どうしたんだい?」
「今朝から随分と忙しそうですが、どなたかがやってくるのですか?」
俺がそう聞いた途端に、父は渋い顔をして俺から顔を逸らす。言いたくない事がある時の癖だ。
という事は、あまり嬉しくはない客なのだろう。
しかし、父から発せられた名前は、俺の予想を越えた物だった。
「スヴォエ氏だ」
父も俺も、言葉を失う。この国に住む人物なら、誰もが知っているであろう有名な大貴族の一人だ。
それも、悪い方向で著名な人物である。国王の座を狙っているというのが最も有名な噂である。
更に、俺にとっては因縁深い人物の一人である。その理由が……
「旦那さま、スヴォエ様がお付きになられました!」
「何! クソ、随分と速いな。分かった、私が出迎えよう」
父は俺を置いて出ていってしまう。当然ただ座って見ているつもりはない。彼が来たというのなら、直々に確かめに行ってみよう。
そう思って階下に下っていき、応接室から玄関先をこっそりと覗き込む。
ちょうど、人を刺し殺せそうな程にケバケバしい装飾を屋根に飾り付けた四頭立ての馬車から丸々と太った成金趣味そうな男が降りてくる所だった。
その後に、俺の因縁深い人物が姿を見せる。当然、俺が子供であるのだから彼女も子供であるのだが。
腰まで届く長い金髪に、憎らしいほど生意気そうな目元、それに常に勝ち誇ったように吊り上がった口。
忘れようとしても忘れる事の出来ない相手だ。
メルキュール・フランソワーズ・スヴォエ。相変わらず憎ったらしい顔をしてる。