この手を血に染めてでも
ロアークは武器を失い、へたり込みながら俺を呆然と眺めている。
「私が、そんな、まさか」
「……」
「どんな手を使ったのだ!? 私が相手にすらならんとは!? おかしい、こんなのは、絶対におかしい!」
くだらない。
もはや相手にする価値すら無い。そう判断した俺は彼に背を向け、観客の方へと歩き出す。
手を掲げれば、割れんばかりの大歓声が俺を迎える。
「いいぞ、ウォルター!」
「ベルンハルト伯、万歳!」
俺を称える声、そして父を、家を称える声がどんどんと重なり合っていき、大合唱と化していく。
もうそれを止める者は誰一人として居ない。
両親は抱き合いながら喜び、メルは俺に向けて手を振っている。珍しく満面の笑みだ。
彼女に手を振り返しつつ、辺りを見回す。
悪くない、本当に悪くない。
「おかしい、こんなのはおかしい……」
何かをつぶやき続けているロアークに背を向けて、俺は更に人々へと手を振り、栄光を味わっていた。
しかし、突如として歓声が悲鳴へと変わる。振り向けば、何かを振りかざしながらロアークが俺へと突進してくる姿が見て取れた。
「死ねえっ! ウォルター!」
「死ぬのは、お前だ」
彼の胸部に俺の剣が突き刺さる。
突然立ち止まったロアークは、唖然とした様子で自分の身体に刺さったそれを見る。
そして、血を吐き出した。
「貴、様、まさ、か」
「分かってたよ。だからワザと背を向けたんだ」
死を目前にしたロアークの瞳に、絶望の色が浮かんだ。
そう、分かっていた。彼が懐に短剣を隠し、それを使う場面を伺っていた事を。
そして、その短剣には毒がふんだんに塗り込まれていると。おそらくその毒は“骨腐れ”。エレオノーラの暗殺未遂の際に使われた物と同一だろうという事も。
「お膳立てに乗っかってくれてありがとう、ロアーク。これで君は全てを失う。名誉も、そして命も」
「あ、あ……」
ロアークは短剣を取り落としながらも俺に向けて手を伸ばすが、その手が届くことは決して無い。
彼に近寄っていき、微笑みながらその姿を見下した。
……これで、敵を合法的かつ合理的に排除する事が出来た。
「化物、め」
そう言って、ロアークは死んだ。
ゆっくりと血溜まりが広がっていく。
町医者のフローリアンさん率いる救護班が駆け寄ってきたが、既にもう遅い。
俺は手を上げて彼らに敵意が無いことを示すが、何の意味もないだろう。
彼らは軽蔑の色濃くロアークを見下している。
「ウォルター様、大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ。でも、彼は」
「あ~、駄目っすね、これ」
フローリアンさんは軽くロアークの診察をしていたが、すぐに諦めて立ち上がり、首を振る。
そして救護班が二人がかりで彼の遺体を運び上げ、医務室へと運んでいく。すさまじい罵声を浴びせられながら。
しばらくすれば、彼の行いは白日の下に晒されるであろう。
この闘技場に居た全ての者が証人となる事で、俺の罪は問われることも無い。
そして、残された敵はあと二人。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ヴァルトハイム郊外。
東へ向かう経路の内、最も目立たないルートに俺とアザリアは潜んでいた。
既に日は沈み始めている。こんな場所を通る者は誰ひとりとして居ない筈である。
急いで西へと逃げ帰ろうとしている何かの犯罪を犯した者で無ければ。
……しばらくすると、遠くから馬車の車輪の音と馬に鞭を入れる音が聞こえてきた。
「来たようですね」
「ああ」
己の家に逃げ帰ろうとする叔父達の馬車だ。
ここ以外の街道は既に仲間たちに見張らせている上に、一箇所を除いて全ての馬屋には人を遣わせてある。
そして、残る一つは俺の組織の人間関連の家だったので話は容易に進んだ。
その馬屋からこの抜け道を伝えさせ、通るように仕向けたのだが、まさかこうまで上手く行くとは。
既に馬車の外装は傷つき、命からがら逃げ出してきたばかりという印象を与える。
組織の誰かが少しばかり張り切りすぎたのだろう。あまりやりすぎるな、と伝えておいた筈なのだが。
「アザリア」
「はい」
手筈通り、俺たちは馬車の前へと歩み出る。
すると、馬車は丁度俺たちの前で止まる。
「何故止まる! 早く動け、奴らが、奴らが!」
「そうだぞ、このバカ! あの下品な連中に殺される! 捕まる!」
車内からキーキーとがなり立てる声が聞こえる。
それを無視しながら、俺は御者に礼をする。
「ご苦労、シオ」
「いえいえ、この程度でボーナスが貰えるんなら安い物っすよ」
そんな彼女の手に、アザリアは革袋一杯の銀貨を握らせる。
この後の“処理賃”まで含まれているからこそのこの価格である。
彼女は中身を確かめて小躍りすると、馬車の扉を開けて呼びかける。
「さあて、お楽しみタイムっすね。あとはご自由に~」
スキップ混じりで去っていくシオ。
彼女を見送りながら、俺は馬車の中に問いかける。
「出てこい、マティウス」
中から返事が帰ってくる事は無い。
痺れを切らしたのは、俺では無くアザリアが先だった。
短剣を片手に中に押し込むと、しばらく格闘音が聞こえた後、二人の男達を蹴り出す。
彼らは転げ落ちながらも尚も逃れようと、その豪勢で似合わないド派手な服装を泥で汚しながら駆け出そうとするが、その前に俺の剣が彼らの前に突き出される。
「動くな」
「ひ、ひいっ」
「近づくな、このクズが! 僕たちをなんだと……」
ディップは俺を見るなり、怒りの色を隠さないまま俺に詰め寄ろうとする。
しかし、彼は背後からマティウスに殴打され、無理やり取り押さえられる。
「止めろ、このバカ! へへへっ、すみませんね、この馬鹿息子が!」
「黙れ! 元々お前が余計な欲を出さなきゃこうならなかったのに!」
そう言って、マティウスを殴り返すディップ。そのまま二人は殴り合いを始める。
見世物としても面白くもないので、俺はアザリアに目配せし、二人を無理やり引き剥がす。
「ど、どうか命だけはお助けを! 二度と逆らったりは致しません!」
「このバカ親父が言い始めた事なんだ! お前の家の奴を殺せば……」
「違いますよ、へへへっ。このバカ息子と、あのアカーシュの傍流のバカが始めた事で、むしろ私は止めてた側でして……」
こんな立場になってから、途端にへいこらし始めるマティウス。
彼らが今回の一件に深く、深く関わっていた事はもう既に知っている。だというのに彼らは互いに責任を押し付けあっている。そこには親子の情や誇りといったものは何一つとして感じられない。
「嘘をつくな! さっきまで、まだヨハンを殺せば勝機はある! とか言ってたのは……」
「何を言うか! こここ、この大嘘つきめが!」
もういい。
この下らない茶番を終わらせる。
そう決意した俺は懐から短剣を引き抜いた。
アザリアも同じ様に、短剣を引き抜く。
それを見た途端に、彼らは揃って俺たちに慈悲を乞い願う。
「な、何をするつもりだ」
「決着を付ける」
「やめろ、やめてくれ! 何でもするから!」
「止める道理も、義理も無い」
マティウスの喉元を短剣の刃が切り裂く。一瞬の間の後、血がゆっくりと、しかし確実に、大量に流れ始める。
同じ様に俺はディップの胸に、短剣を突き立てた。
心臓を突かれたディップは間もなく動かなくなったが、マティアスは尚ももがき、苦しみ続けている。
そんな姿を見ていても、何の喜びも生まれなかった。
彼がロアークと組み、ベルンハルト領を奪い取ろうとして今まで行ってきた全ての悪行、そしてエレオノーラを殺そうとした事。
そして、前世での彼が結果として成した事。それを知っても、眼の前でもがき苦しむこの男に対して生まれる感情は、ただただ哀れというだけである。
「俺は、あんたが何をしようとしていたのかを知っている。何をしたのかも知っている」
「が、あ……、や、やめ……」
「だから、ここで終わりにしよう」
俺の宣言と同時に、アザリアの刃が彼の頚椎へと突き刺さった。
そして、彼は動かなくなった。
「ありがとう。……悪いな、付き合わせて」
「いえ。ベルンハルトの敵は私の敵、そしてウォルター様の敵は私の敵です。それに」
すこし言い淀んだ後に、アザリアはマティウスの亡骸を見据えながら言った。
「この男がお嬢様へ成した行為は、死に値します。当然の結果です」
丁度、月が登り始めていた。
この世界の月は、今俺の眼の前で流れている血の色の様に赤かった。




